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学歴社会が完全になくなったら、塾や予備校はなくなると思いますか?

学歴社会が完全になくなったら、塾や予備校はなくなると思いますか?

みんなの回答

回答No.13

学歴社会も本当に上位の人間だけの社会ですけどね。早稲田大学とか東大とかならいくら努力しても受からない人がほとんどなわけでそういう点では他人よりも秀でた能力を持っている証拠になるのではないかと思いますが、そうではない大学の人間を学歴で比べるわけがありません。世の中のほとんどの仕事は学歴なんて要りませんから、もっと他の要因で人間に優劣をつけるはずです。 学歴というのは結局、知的な労働者には欠かせないものであって、そういう人間が社会に現れなくなるということは日本が植民地化されるということですか。それはありえないでしょう。 まず学歴社会はなくなりませんし、塾や予備校でやってる内容も知的な労働に欠かせない要素を養っているわけですから絶対に必要です。学歴社会とは関係なくエリートを目指す人間はこうした組織が必要なのです。

回答No.12

学歴社会も本当に上位の人間だけの社会ですけどね。早稲田大学とか東大とかならいくら努力しても受からない人がほとんどなわけでそういう点では他人よりも秀でた能力を持っている証拠になるのではないかと思いますが、そうではない大学の人間を学歴で比べるわけがありません。世の中のほとんどの仕事は学歴なんて要りませんから、もっと他の要因で人間に優劣をつけるはずです。 学歴というのは結局、知的な労働者には欠かせないものであって、そういう人間が社会に現れなくなるということは日本が植民地化されるということですか。それはありえないでしょう。 まず学歴社会はなくなりませんし、塾や予備校でやってる内容も知的な労働に欠かせない要素を養っているわけですから絶対に必要です。学歴社会とは関係なくエリートを目指す人間はこうした組織が必要なのです。

  • docstyle
  • ベストアンサー率42% (45/105)
回答No.11

無くなる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%A5%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85 これ見て欲しい。 国別のノーベル賞数です。 日本は17個で8位。立派な数字だけど、イギリスやアメリカは100個以上とってる。 日本より少ない、オーストリア、イタリア、オランダ、デンマークなど(10個以上)も、 人口が300-3000万人程度だから、人口1億2000万人の日本から見れば、ずっと多いと 言える。 そして実に優秀な人の多い、この欧米の国家における教育と言うのは、ごくごく単純な公立教育が殆ど。 (パブリックスクールに代表されるようなエリート教育を受けている・・と言うのは誤解。私立校があるのはアメリカとイギリスぐらいのもの。しかも公立出身者の成功者・学者も多い) 当然、塾も予備校も無いし、だから浪人生と言うニュアンスも無い。 もちろん欧米でも、階級社会、学歴社会は存在します。 けれどアジアよりももっと個人主義的な感じですね。 本当に学歴社会が無くなるんなら、 大学は知的好奇心を求められる本来の姿になるでしょう。 そうなれば当然、余計な時間やお金をムダにしようと思う人は減るでしょう。 需要が無くなれば供給も無くなる。

回答No.10

今も、受験生や大学生が思っているような学歴社会じゃないかと。 あと2~3年で本格的になくなると思いますよ。 ただ、大学名を学歴とよんでいる場合の話ですが。 ただ、ホントの意味での学歴、中卒就職者がほぼいなくなり、高卒就職や大卒就職が厳しいので、自身のスキルをキチンと持った専門学校卒や、大学院卒を重視しているという今の状況は、今後もより進んで行くのではと思います。 なにげなく高校を出たり、大学に進学した人たちの就職や就職後の収入が厳しい状況はより進むでしょう。 就職人気企業は国内の学生に失望していて、これまでの国内枠・海外枠を撤廃して、採用活動を行うようになってきています。日本企業は、その、企業活動がより高度化し、また、海外企業との競争に疲弊して余裕がなくなってきています。なので、即戦力と、将来の幹部候補(マネジャー)の価値がある新卒以外は不要と考え始めています。 また、優秀なヒトや「やる気」があるヒトは、海外にチャレンジしていくことになるかと思います。 あとは、手に職・スキルのサービス業が就職先の中心により移行していくことになります。 となると、高度な資格が必要なもので、学歴が必要なものか、修行・経験などが必要な接客的なものが主となるわけですよね。 そういう生徒を支援する塾・予備校が増えていくんじゃないでしょうか。

noname#232424
noname#232424
回答No.9

宇宙が熱的に死んだら,みたいなはなしですね。

  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.8

無くならない。 学歴社会向けに進学のための勉強を教えているが、 例えば個人の能力主義になったのであればその能力を高めるための塾ができるでしょう。 要するに、内容は変わってももの自体は無くなりません。

  • kei74
  • ベストアンサー率19% (166/848)
回答No.7

学歴社会が完全になくなったら、塾や予備校に好き好んでいくバカはいないので当然なくなるでしょう。 「学歴社会が完全になくなったら」はありえない前提です。

  • raooo
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.6

no.1の方の意見と重複しそうですが・・・・ 学歴社会がなくなることが、そのまま大学がなくなることではないと思います。学歴社会がなくなる、ということを、学歴がまったくその後の人生になんらメリットもデメリットも与えない社会、としても大学がかならずなくなってしまうか、といえばそうともいえないと思います。 大学卒ということが社会でなんら価値をもたなくても、そもそも大学は教育・研究なので研究したくていく人はいるんじゃないでしょうか。で、研究するために必要な学力の基礎を保証するために入試は存在しているかもしれませんし、入試があるなら予備校があっても不思議ではない、と思います。 つまり、資格を得るための勉強や、公務員試験や民間企業の登用試験対策の勉強を専門的に行う予備校と、大学受験予備校はなんらかわりがなくなって存在し続けることもありえると思います。ただそのときに大学受験予備校と資格試験予備校が別々に存在しているか、といえば一緒になってるだろうな、と思います。 つまり、大学卒業に価値がなくなる→予備校がなくなる、という流れは、予備校が生き残りのために何もしない、という前提が必要ではないか、と思います。現実にはそんなことはなく、他の資格や留学・語学、通信講座などに資源を振り向けていくと思います。学歴社会がなくなれば、今度は資格社会が来るんじゃないかな、と思います。つまり今度は資格のために小さいころから塾へ行く、とか。 こう考えると、やっぱり塾もなくならないみたいです。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.5

こんにちは。よい着眼だと思います。 高卒ではなく大卒のことですよね? 私は常日頃主張していますが、塾や予備校が流行る理由は、大学の入学定員の合計が多いことにあります。 ざっくり、高校3年生の人数が 1億人÷100学年=100万人/学年 としましょう。 そして、大学進学率が 50% だとしましょう。 すると、大学に進む高校3年生は、毎年50万人です(浪人がいることを考慮しても同じです)。 これを逆から見れば、大学の入学定員合計が、毎年50万人あるということです。 簡単のため、入学定員合計と塾・予備校に通う高3学生数とに比例関係があるとして、その係数を1としましょう。 すると、塾・予備校に通う高3生の数は50万人です。 しかし、もしも入学定員合計が10万人になったとしたらどうでしょう。 塾・予備校に通う高3生の数が50万人そのままになるはずがありません。 子供を通わせても無駄だと考える親が増えるからです。 ですから、「なくなる」とまではいかないものの、塾や予備校の大半が潰れると思います。 以下は、極端な話ですが、 大学の入学定員がゼロ、つまり、大学というものがまったくなくなった状況を考えます。 しかし、企業や役所では優秀な人材を登用しようとします。 つまり「科挙」ですね。 科挙に受かるために塾・予備校に通う高校生は相当数いるはずです。 日本では総じて、レベルの大学ほど学費が安いということがありますが、科挙のための塾・予備校ではそういうことはないでしょうから、貧しい家庭の高校生ほど憂き目を見るという事態が発生しかねません。 つまり、大学制度をすべて廃止するのも考え物かもしれません。 私は、レベルの低い私立大学にはどんどん潰れてもらうのが、日本のためになると思います。 高校レベル以下の学力しかないのに親がお金を持っているおかげで「大卒」の学歴を手にするボンボンをこれ以上量産しないためです。 そうすれば専業主婦/主夫が増えて、完全失業率も出生率も最低賃金も改善して、保育所の不足も解消するはずだと思っています。

  • note100
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回答No.4

「学歴社会」が何を指すのかわかりませんが、学歴(学校歴)が重視されない社会というのがあるとしても、生きていく上で必要な知恵や技術は学ばなければいけませんし、現在の社会で生きていくためには、義務教育レベルの知識は必要です。義務教育でも平均的なレベルについていけなくて落ちこぼれる人はいますので、補習塾はなくならないと思います。 また、他の方が書かれているように、大学などの高等教育機関は本来は自ら学びたい人が行くものです。学びたい学問を教えている教育機関で入学する人の基礎的な知識のレベル・範囲を定めていれば、そのレベル・修得範囲に達しているかどうか(入学後の勉強についてこれるかどうか)確認するための入試を当然行うでしょう。そして、そのレベルに達していない人、入試の勉強を効率良くしたい人は、予備校のような場所を求めるでしょう。 それから、現在でも、資格取得のための予備校・専門学校はたくさんあります。資格は学歴ではなく、ある職業・専門分野で必要な技術・知識を修得していることの証明ですので、学歴(学校歴)とは異なります。むしろ、学歴ではない部分の実力を測る一つの尺度だと言えると思います。 上のようなことから、どこの教育機関で学んだかではなく、何をどういう風に学んだか・どういう知識・技術を持っているかが重視される社会が実現したとしても、補習塾と資格のための予備校・専門学校は残ると思いますので、そのような社会が実現したら、現在の進学予備校はそちらにシフト・進出すると思われます。

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