集団ストーカーかわかりませんが、うちも複数の人間からつきまといや嫌がらせを受けています。
庭先からものが盗まれ、近所から盗まれたものが投げ込まれ、うちにいると、投げ込まれたものが、バンっと壁に当たる音がすることがあります。(スリッパやマットなど、公共施設の備品から、近所の家の庭先のおもちゃまで)玄関に犬の糞が放置されたり、庭にタバコが(大量に)投げ込まれたり。(火が残ってないか怖い。)車のタイヤの空気を抜かれたり、(パンクではなかった。。)庭先にあった子どものおもちゃの車に機械油のようなものをぬりつけたり。
あと、うちの前が、町内の老人のたまり場になっていたこともありました。気持ち悪いエロトーク炸裂で、家族の留守に、怖くてしょうがない。(「こんどあっこの家族もよんでお好み焼きしましょうよ」「いやいや、おくさんだけとな。しっぽりと」「ふへへへへ」とか、「あっこの若いの、腰を痛めたんやって」「??」といった話。あまり聞きたくないので、聞こえてしまった分にとどめさせてください。)
うちの前は畑で、両隣は昼間は留守。うちの前にたまる理由は不明です。
子どもが単車に付け狙われたこともありました。歩道に乗り上げて子どもの行く手をふさいだり、細い道で子どもの周りをまわったりということが数回起こりました。
下の子を妊娠していた時には、家の前を通る登校はんの小学生が「ぶた、でぶっ。きもっ。お前なんかのいうこと誰も聞かない」と、やじをとばしました。
たんたんと事務作業をこなしています。
自転車や子供のおもちゃなどは、盗難届をだします。投げ込まれたものは、落し物で届けています。たばこ、犬の糞などは、ついでに届けます。
警察は動きませんが、自転車など、防犯登録がすんでいるもので事故を起こされたりすると、濡れ衣など、新たなトラブルにまきこまれかねません。たばこだって、万が一引火したときに、自分の過失じゃないと証明できなければ、大変なことになるかもしれません。記録を残してもらうことが大切と思います。
最近防犯カメラをつけました。金銭的な理由で、庭じゅう見張ることはできないのですが、登校はんの暴言をひろってくれていて、ちょっと一人で悩まなくてよくなりました。外に出したりしていませんが、家族に相談できるようになりました。
バイクでの子どもの付け狙いは、帰宅時刻にパトロールしてもらうことと送り迎えでなくなりました。危険走行を繰り返し、本当に怖くて、子どもから目をはなせず、気が気ではなかったので、下校時刻のパトロールは本当に心強かったです。多分、白バイをみてやめたんだと思います。
地域の学校には相談しなくてよかったです。一度、おけいこごとの先生がバイクを通報してくれた折に、おけいこごとの別の父兄が学校に苦情をいれたらしく、学校からおけいこごとに「被害者の名前を教えろ」と問い合わせがありました。
この学校は、加害者を匿名にし、ターゲットとなっている被害者を朝礼で発表したりするので、
「被害にあう場所が、下校時刻からおけいこごとの行きかえりに広がった。ストーカー犯罪なので、被害者の個人情報を暴露する可能性のある人に首をつっこんでほしくない。特に犯人に心当たりないことから、学校で出会った人の親兄弟が加害者であることも考えられる。」むね説明したところ、「そんな、学校の関係者なら、犯人もすぐに見つかる」的なことを言われました。しつこいので、「学校の外で起こったことだから、学校に責任があるとは全く思いません。ストーカー被害なので、これ以上話せません。」ということになりました。
本当に、言わなくて良かった。地域の学校は、加害者の悪癖を治せずに社会に送り出した学校だから。危険走行に対する指導はあの人たちにはむりでしょう。
あと、うちの前のご老人たちには、思い切って「こんにちわ」と、あいさつしました。変な顔をされたので、「最近盗難にあったので、挨拶運動を始めたんです。自転車やら子どものおもちゃやらやられたんですよお。空き巣狙いなんかは、顔を覚えられると、犯行をおもいとどまるそうです。顔を覚えられるのを嫌うから、挨拶しても返事がない人にも気を付けたほうがよいそうですよ」と話しかけました。まともな返事はありませんでした。
たまに、「ここのおばさんはきちがいや。」など、通りすがりにやじをとばしていくことはありますが、みんなでたまることはへりました。
いろいろありますが、心が折れそうな時には、オウム真理教の地下鉄サリン事件で濡れ衣を着せられた方の話を思い出すことにしています。個人的に尊敬しています。あと、子供向けの防犯対策の本で、「悪い人ってどんな人?」という本を読み返します。
集団の嫌がらせでは、よく宗教が疑われていますが、、登校はんの子どもやたまるお年寄りや学校の先生など
、人が嫌がるようなことをする人の笑顔を見ていると、何かの思想価値観というか信念信仰というか、日本の法律や近代的なモラルには合致しない迷いのない共通意志を感じることもあります。
人を苦しめてにへにへするひとのヘンタイ笑いと、誰かに攻撃されてひっしで身を守ろうとやぶれかぶれになってる人と、どちらが気持ち悪いかということは個人の主観の問題なので、どう思っても自由というのが日本の法だと思いますが、、
相手が悪い、あいてがキモイとなったら、どこまでやっていいのかというところで、あっきらかに日本の法律からは逸脱した価値観がそん存在するんだと思います。
それが宗教なのか何なのか私にはわかりませんが、たとえ一人になっても、私はそういう人間と一緒になりたくないし、迎合したくないと思います。