学生時代最後に妻と巡り合い、既に40年の歳月を過ごして来ました。
定年を迎えた頃、自分の思い出として自叙伝を書こうと考え、その中で自分の恋愛史をまとめてみました。大きな思い出がある人だけでなく、単に接点があった程度の様々な人も含めて。
高校時代に恋愛など他人事だった私でも、高校3年から予備校の頃に、中学時代の人に果たせぬ片思いの心を寄せてました。でもやはり片思いの悲しさ。念願の大学に合格したと伝えようとしたら、もう会ってくれませんでした。でも受験時代の私の心を支えてくれた大切な人でした。
大学に入って出会った初恋の人とは、文字どおり相思相愛の恋人どうしでした。結婚できるまでは、お互いに体の関係は求め合わないとの約束で、子供ながらのお付き合いでした。
でもそれを壊してしまったのは私。プラトニックラブが災いしたとは言いたくない。大切な人がいるのに、さして気持もなかった別の人とのお付き合いができてしまって。
好きな彼女とそうでないもう一人の人。ダブル交際は正直辛かったです。その辛さに耐え兼ねて、その事を彼女に話してしまった。自分が許さなかったから、別の人に求めようとしていると思ったのでしょう。自分が許すべきだったとも言ってました。
可愛らしかった彼女の表情を曇らせてしまった責任は全て私。修復は不可能と悟りました。そして彼女はお別れの道を選んだ。私はそれを受入れました。
東京駅には大垣行きの夜行列車が既に止まってました。正月の髪に結い和服を着た彼女は、姫路から更に先の方にある故郷に帰るキップを手にして、夜行列車に乗り込んだ。「お嫁に行く前の日に会いに行くわ」と言い残して。でもその意味は私には分らなかった。混雑するホームで、ラストキスさえ交せずに。
もう一人の人には理由もなしに別れを通告し、独りぼっちの自分に戻って大学も留年。自分自身をリセットしました。これが恋愛史にもまとめた私の悲しい初恋の思い出です。
恋愛史を書き上げた後、考えてみました。大切な初恋の人も含めて、自分の様々な思い出の中で、忘れる事ができなかった人は誰なのかと。それは当然初恋の人だろうと。
もし思い出がある人と顔を合せる事があったなら、何を話そうかと。それは別れに際して言えなかった言葉、別れてから考えた気持かも知れません。
「もし仮に~であったなら」とのドイツ語文法で言う接続法第II式。有り得なかった過去を仮定した場合の話です。
架空の再会を想定して、小説にを書いてみました。それは言い換えれば、恋愛の総括です。
定年近くになっての仕事の上で、訪ねて行った先の会社の経営者が初恋の人との設定での小説。仕事の上での再会ではあっても、長い事胸につかえていたものを全て彼女に伝える事ができたと。
果たせなかった思い出も小説としてまとめ、その中に自分が長い事思っていた事を書き表す事で、総括ができたと思いました。
その小説の後日編はあの世での話。閻魔大王に、食品衛生といえども殺菌は殺生の罪と裁かれ、その数だけの新しい生命を産ませない限り生前の妻には会えないと言い渡される。
都合が良い前提ですけど、黄泉の国で自分に思い出がある人、想いを受入れて上げられなかった人との出会いがあったとして、何と言うのかと。架空話で自分の心の中を洗い出してみました。
その結果気が付いた事は、忘れられない思い出が残っていたのは初恋の人ではなく、その前の片思いの人なのだと。受入れて貰えなかったからこそ、総括し切れていない事に気が付きました。
あの世でもう一度会いたいと思う人は、実は一緒に暮している妻ではないのかと。あの世に行ったらお互いに若い姿に戻って、あの燃える様な激しい恋愛をもう一度してみたいのだと。
本当の後日談があります。現実に数ヶ月前に退職後に頼まれた仕事での出張がありました。行き先は姫路から先にある工場との事。
「まさか!あり得ない。いや、あったら困る。」
前泊したホテルで、自分が書いた小説を読み直しながら考えてしまいました。余りに似過ぎている、これじゃ自分が書いた小説通りじゃないかと。
もし本当に初恋の人と顔を合せる事があったらどうするのかと。そう思ったら怖くなりました。昔の人には絶対に会いたくないと。
何事もなくその出張は終り、私は胸を撫で下ろしました。それが真実なのでしょうね。
お礼
沢山教えていただいて有難うございます。 参考にさせていただきます!