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第二次大戦中の看護兵(?)はどのようにして選ばれたのでしょうか。
第二次大戦中の看護兵(?)はどのようにして選ばれたのでしょうか。 私の祖父が第二次大戦中に看護兵(衛兵?なんと言うのでしょうか)をしていたそうです。 ただ私の祖父は戦前、交通局に勤めていたので医療関係の知識があるわけではありません。 祖母になぜ祖父が看護兵に選ばれたのかと聞いたのですが分からないらしく、 そして祖父はもう他界しているため、誰にも確認が取れません。 もしお分かりになる方がいらっしゃれば、教えていただけないでしょうか。 よろしくお願いします。
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前職とは関係無しに「適当」に「必要に応じて」選ばれていた様です。 小生の父の場合は、古参兵とのいざこざが元で報復から護るため衛生兵にさせられました。 頑健で成績は良かったようです。 衛生兵は、1中隊(約100名)に1名で、訓練は厳しく、中隊代表選手見たいなもので 互いの競争意識も高かった様です。 TVの手術のシーンで医師が「メス」「鉗子」等と言っているのを見て、「軍隊では 軍医は黙って手を出すだけ、間違った物を渡すと黙ってメスでも何でも投げ返して来た」 と話していました。(自分はミスしたことが無いと自慢していました。) それから20年程も経ってから、手を神経まで深く切ったことがあり、町医者に行きましたが 「縫合があまり下手なので、自分で縫って来た」と手を見せてくれました。上手なものでした。 自嘲的に「ヨーチン軍医・看護兵」と言っていましたが、1年半で素人が到達できる レベルとしてはかなり高かったのではと思います。 日中戦争直前の軍組織がまだしっかりしていた頃の話です。 新兵教育が終わった段階で、「必要に応じて」「適当に」成績優秀な者から選んで 行ったようです。訓練は徒歩行軍も無く体力的には楽だったようですが、戦場での厳しい 状況に立たされる時の覚悟についての精神教育は徹底していたようです。 その後惚けた時でも、お医者様の前では背筋を伸ばしてシャキッとしていました。 お医者様=「軍医殿」の世界が蘇っている様でした。 補足ですが、分隊(10人程度)x3→小隊x3→中隊x3+α→大隊x3+各種科(砲科等) →連隊(軍医が居り、各地に駐屯する単位)と成っていました。
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- mk57pvls
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こんにちは > ただ私の祖父は戦前、交通局に勤めていたので医療関係の知識があるわけ > ではありません。祖母になぜ祖父が看護兵に選ばれたのかと聞いたのです > が分からないらしく、 (旧)日本陸軍の場合は「衛生兵」ですね。 入隊時に既に「衛生兵」と兵科を指定されている場合と、入隊後に志願して (当然試験等を受けて)配属される場合の二通りがあったようです。 平和記念展示資料館の証言集(↓)の中 http://www.heiwakinen.org/shiryokan/heiwa/onketsu07.html "幾度か死線を越えて フィリピン第一三八兵姑病院"の証言者、山崎薫氏の 場合は 「軍隊に入るまでは役場で事務をしていた。昭和十七年徴集兵で高知連隊区 での徴兵検査では第二乙種でした。その通知にはもう衛生兵と決められて いた。」と、入隊した時にはもう決まっていた、の例です 一方 http://www.heiwakinen.org/shiryokan/heiwa/onketsu06.html の"印度支那駐屯軍衛生兵手記"の証言者、松塚喜代隆氏の場合では 「私は秘かに衛生兵になろうと決意していた。入隊して三カ月目に衛生兵 の募集があり、早速、人事係に是非衛生兵になりたいと申し込んだ。試験 の結果八八点でトップ合格となり、半年間の衛生兵教育が陸軍病院で始ま った。」と、当初は違う兵科で入隊したものの、その後志願し、衛生兵に 転属となった例です。 歩兵科や砲兵科に比べ、衛生兵科は圧倒的に少ない人数ですので、徴募 (徴兵)されて、そちらに配属されるのはとても珍しい事であろうとは 思います。 ただ、前述のいずれのケースでも、衛生兵科の採用基準といったものが伺え るような内容は残念ながら見当たらず、かつ(当然かもしれませんが)それ まで医療や看護の経験は全く無い人ばかりです。 当時の状況では、ごくごく"当たり前"ことなのかもしれませんが、現代の 感覚で考えると 確かに不思議な感じがしますね。
お礼
とても分かりやすく説明していただきありがとうございました! 平和祈念展示資料館の存在も知りませんでした。 近所なので近いうちに行ってみようと思います。 衛生兵になる過程は人それぞれのようですが、 自分の祖父や、日本人の祖先を考え直すいい機会になりました。 私は祖父が誇りです。 本当にありがとうございました。
- pri_tama
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「兵種選定標準表抜粋」と言う物によると http://www.warbirds.jp/heiki/400000.htm 陸軍 衛生兵 聴力成ルベク完全、性質温順ニシテ患者ノ取扱ニ適スル者 海軍 看護兵 体力強健ナル者 当時の衛生兵って軍病院とかに勤務する者以外って、負傷者が出るまでは普通の歩兵・海兵として行動し、負傷者が出た時はその負傷者を担いで後方まで連れて行くのが任務です。 (医療活動は精々、傷を消毒し薬を塗って包帯巻くくらいしか出来ない。) 海軍だと狭くキツイ階段ばかりの艦内を負傷者を背負って行かなければ行けないので体力が無いと勤まりませんし、陸軍だと野戦病院までだって遠く時間がかかるので負傷して気弱になった兵士を元気付けられる人で無いと勤まりません。 ちなみに、たいした治療が出来ないので平時は衛生兵って馬鹿にされますけど、戦闘中に士官の命令無しに後方へ下がる事が出来るのは衛生兵に担がれた時のみですし、往々にして戦場で負傷しても放置されてしまう事も多かったので、戦地へ出兵した兵士からは衛生兵って敬意をもって対応されたそうです。 (銃弾飛び交う危険な場所へ身の危険も顧みず、負傷者を助ける為に飛び込んでいく為)
お礼
とても分かりやすく説明していただきありがとうございました! 私自身、子供のころ祖父が衛生兵だったことを聞いて、 ただなんとなく普通の兵士よりも劣るというか、やや楽な位置にいたのでは?と思っていました。 でも衛生兵の重要性や、周囲から敬意を抱かれていたということを聞いて、 祖父のことがとても誇らしく思えました。 本当にありがとうございました!
お礼
分かりやすく説明していただきありがとうございました! お父様も衛生兵だったのですね。 私も祖母(今年で92歳になります)に聞いたのですが 曾祖母の治療に自宅へお医者様がやってきて、 うまく注射を打てず戸惑っていたところ、 祖父がその姿を見かねて代わりに注射をいとも簡単に打ったそうです。 とにかく器用な人で包帯を巻くのも上手だったと自慢げに話していました。 戦争は二度と繰り返してはいけないものですが、 私たちの祖先が文字どおり命をはって日本を守ってくれたこと誇りに思います。 ありがとうございました! PSdrmuraberg様のお父様に敬意を込めてベストアンサーに選ばさせていただきます。