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私は慈悲の瞑想をしていますが、心配があります。
私は慈悲の瞑想をしていますが、心配があります。 私は毎日、日常生活を送るなかで、仕事中などでも、少し暇な時間ができると、慈悲の瞑想をしています。生きとし生けるものが幸せになりますようにと、繰り返し唱えています。慈悲の瞑想もサマタ瞑想らしく、集中して行うと、禅定が現れると聞きました。 しかし、仕事中などに、もし禅定が現れたら、仕事どころではなく、なにも手に付かなくなってしまうのではと心配です。 暇なときは慈悲の瞑想をするという習慣は自分でも気にいっているのですが、いま述べたことが少し心配です。 やはり休みの日だけなどにした方がよいのでしょうか?
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こんばんは >やはり休みの日だけなどにした方がよいのでしょうか? 結論から言わせて貰うと、休日だけにしたほうが宜しいのでは。 その理由として、瞑想やメディテーションの方法に良い悪いは無いと思いますが。 メリットばかり強調されていますが、反作用と言うかデメリットもある事をご存知ですか? 代表的なモノを上げて置きます。 1つは、座禅で言う禅病の症状がでる可能性は有ります。 禅病とは、禅宗の高僧 白隠禅師に出た症状が発端のようですが 白隠禅師はわずか3年で「悟り」を開いたと言われています。 ですが「悟り」開いた後、頭痛、発熱、冷え性、耳鳴り等 現代の自律神経失調症の様な症状に襲われました。 それ以後、禅修行に励む学僧にも似たような症状が現れ「禅病」と呼ばれています。 白隠禅師は白幽と言う仙術を使う老人より内観修養の術(現在に自律訓練法?)を 教わり、心身のバランスを整え、正常な状態に回復したそうです。 たった「3年」の修行で「悟り」を開いた者でもこの様な状態になるのですから 充分、注意すべき点だと思います。 瞑想にもクンダリーニ症候群と呼ばれる似たような症状を起こします。 こちらは瞑想修行で現れる好転反応と言われていますが 実際には、心と体のアンバランスから生じる症状だとも言われています。 印度で瞑想法の他にヨガ等が有るのは心身のバランスを維持する為だったのではないでしょうか。 ヨガの行者の中には苦行を行なう者います。 この事は「瞑想の精神医学」にも同様な事が書かれています。 下記はその抜粋です。 思考・感情の氾濫 「強烈な衝撃をもって迫ってくる意識内容、さらには視覚的、聴覚的な幻覚にも似た体験、奇妙な身体感覚などが生じることもあり、瞑想者はそれに引き込まれて正しい瞑想が維持できなくなるようなことが起きてくる。こうした状況が続いて体験内容に圧倒されてしまうと、妄想的な思考にとらわれたり、絶えず不安につきまとわれたり、頭痛や消化器系の不調をはじめとする種々の心身症症状が現れてきたりするという」 もう1点が現実からの疎隔です。 「長期のリトリート(集中合宿)などではとくに、瞑想体験が深化し、内面への意識の集中が深まり、外部の世界や日常生活から意識が遠ざけられることになるが、そこから再び日常生活に戻る際に障害がみられることがある。現実的な見当識が弱まり、思考プロセスが止まってしまい、自分が何をすべきか、どこへ行くべきかといったことがなかなか決断できなくなったりする。瞑想によって現れるこうした精神状態は、精神医学で<離人病>と呼ばれる症状と類似している。瞑想によって引き起こされた離人病の報告によれば、病院での安易な薬物投与がかえって症状を悪化させることがあると指摘されており、適切な瞑想の指導者への相談が考慮されるべきであると示唆されている」 解離性障害の1つで、離人性障害と呼ばれる物です。 簡単に説明すると、目的意識も無く漠然と瞑想にふけると、日常社会を超越してしまうリスクです。 世俗に関心を示さなくなり、仙人化します。 こうなると、社会生活、日常生活にも支障を来たします。 >生きとし生けるものが幸せになりますようにと、繰り返し唱えています< これが目的意識なのかは判断できません。 「瞑想の精神医学」は瞑想を科学的アプローチした本です。 他にも瞑想の問題点を解き明かしています。 リスクを避ける為にも、一読されて見ては如何でしょう。
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>集中して行うと、禅定が現れる 「集中して」:禅僧のように、それだけに集中する場合です。 「禅定が現れる」:高僧でも十年は現われません。
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 日常生活を超越して仙人化するのも リスクですね。確かに仙人になるには早すぎます。未練ありですから。 慈悲の瞑想は副作用もなく安全だということで、行っていましたが、色々な危険性があるんですね。 トランス状態になって、私は神だとか、神が現れた、だとか、神秘だとか、宇宙が見えたとか言う人もいるそうです。 日頃そうした、心で瞑想したりすると、それが実際に現れたと言って、勘違いして、とてつもない妄想に巻き込まれる。と聞いたことがあります。 そうなったときは、ただ心の状態が少し変化しているだけだと受け流すのがいいと聞きました。 禅病恐ろしいです。素人が正しい知識も指導者もないと不安になります。私はお坊さんのように集中して座禅をしてるわけではありませんが、指導者のいない自分には、ほどほどにしたほうがよい気がしてきました。 瞑想の精神医学読んでみたいと思います。