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お気の毒な障害者
お気の毒な障害者 一言で「障害者」と言っても実は色々な人がいます。 障害の苦しみゆえに他人の痛みを理解する 素晴らしい人格を持った方を見たことがあります。 そうかと思えば他方では、先方が無視を続けてもなお、 他人に対して尋常ではない執拗さで 何十回も嫌がらせを繰り返す人がいたりなど、 (足だけじゃなくて、) 人格まで「お気の毒な障害者」となってしまう人もいます。 両者の違いは一体どこから生まれるものだと思いますか? あなたの経験を基に、意見をお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
障害者にも身体と知的と両方があるので、一概に答えられませんが、 見るからに障害のわかる人と見た目じゃわからない人など、 障害者は障害者にしかわからない気持ちってあると思います。 健常者もどのように扱ったら良いのかわからない時もあるはずです。 いたわるべきか、普通と同じように接するのか。 なので、さしさわりのないようにする人がほとんどじゃないでしょうか。 その対処の部分が、その障害者に気に入らないと無性に腹立たしくなってしまうのかもしれません。 実際にうちの息子が、電車内でされた事にたいして怒り心頭して、忘れられない出来事になってしまったことがあります。 健常者にとっては、何の変哲もないことだったんですけどね。 その身にならないとわからない事ってありますね。
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本当に、そうなのでしょうか? その方の“素性”を調べなければ、回答不能かと?(・・) なぜ、身体障害者になってしまったのか? 例えば、その筋の方で、内部抗争の結果、そうなったのかもしれませんし。 ちなみに、精神障害(うつ病とか)の方ではないことは、ほぼ確信致します。 http://okwave.jp/qa/q5860355.html 暴力を“振るえない”から、うつ病になってしまった例しか、私は、知りません。 (暴力を振るえない、って、素晴らしいでしょ? 暴力を振るうくらいなら、自分が命を落としてしまう・・・本当に残念。) ですから、たまたま、その方が身体障害者だった“だけ”なのではないでしょうか? 一方的に暴力を受けた?質問者様は、納得がいかない、という感じでしょうか? ただ、果たして、暴力地帯に、明るい未来(将来)が、あるのか? そして、その男は、いつまでも、その態度で通用すると思いますか?
補足
すみません。 毎度の申し出ですみませんが、 あなたは何が言いたいんですか? 書くならば質問趣旨に沿った形で、 もう少しわかりやすく書いてください。
- catsboy
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育ち方の影響が大きいと思います。 生まれつきの障害者の場合、周りが「可哀想だから」「気の毒だから」と過保護になって甘やかされて育てられると、その通りに「お気の毒な障害者」に育ちます。 周りが過保護をせず、なるべく多くの事を経験させるような育て方をすると、素晴らしい人格を持った人に育ちます。 事故などで障害を持った中途障害者でも、結局同じことです。 障害を負う前に、障害者に対して「可哀想な人」と思ってたり、いじめをしてた人が、事故で障害者になったとたんに特権階級者になった気分で、周りの事を考えずに過剰な要求をするような「お気の毒な障害者」と化すのです。 障害を負う前から、スポーツなどで健全な精神を育まれていた人は、例え事故で障害者になってしまっても、健全な精神のままで、決して「お気の毒な障害者」にはならないです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >周りが過保護をせず、なるべく多くの事を経験させるような育て方をすると、素晴らしい人格を持った人に育ちます。 過保護はよくないですが、 あまり厳しすぎる態度もどうかと思います。 かえってひねくれる人も出てくると思います。 一概には言えないと思います。 つまり、身体障害児の場合、 その人の元々の気質に合致した育て方を、 しなければならないと思います。 元々神経質で傷つきやすい身体障害児を、 厳しく育てすぎても逆効果だと思います。 逆に、気の強い子だと、あまり甘やかすと、 調子に乗ると思います。 難しい問題ですよね。 過去に生物学カテゴリーでこんな質問をしました。 生まれつきの悪人は存在するのでしょうか? http://okwave.jp/qa/q5855347.html 回答者さんも参照してみてください。 なかなかいい回答を得られましたよ。
- toku4de-su
- ベストアンサー率20% (123/597)
は~い。 精神障害者です。 入院経験もあるため、色んな障害者を見てきました。 結局、性格だけですね。別に、障害持ったからひねくれたんじゃなくて、そういう人は障害もたなくても結局ひねくれるんだと私は思ってます。 障害と人間性に相関関係はないと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >障害と人間性に相関関係はないと思いますよ。 うーん。私もなんとなくそんな気がするんですよね。 詳しくは回答者3さんへのお礼をご覧ください。 「育ち」か「生まれつきの本性」か、 難しい問題ですよね。 過去に生物学カテゴリーでこんな質問をしました。 生まれつきの悪人は存在するのでしょうか? http://okwave.jp/qa/q5855347.html 回答者さんも参照してみてください。 なかなかいい回答を得られましたよ。
- kotoby2003
- ベストアンサー率15% (280/1755)
おっしゃるとおり、障害者といっても、事故で障害者になるケースや、知的障害など先天的な障害者もあります。 したがって、質問への回答は、そういう障害だから、です。 他人に執拗に嫌がらせをするのも、障害の症状のひとつですよ。 そういうことを理解することは必要ではないでしょうか。 そりゃ、私だって、たとえば、駅の中を大声を上げながら歩いているおばちゃんとか、たまに見かけて、さすがに不快な気持になりますが・・・病気なんだから、仕方ないです、残念ながら。 あと何年かすれば、こういう障害すら、治療できるようになってしまうようですよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 好きで障害を抱えた障害者はいないでしょう。 ゆえに障害者への理解は大切です。 もっとも理解しようとはしても、 なかなか相手の立場に立つのは大変です。 (うつ病の人の気持ちを理解するのが難しいのと一緒で。) だからこちらも慎重な姿勢で接しなければなりません。 私は精神・知的障害者に嫌悪感は感じないし、 先天的要因による人格障害者にも嫌悪感はありません。 ただ中には困った方がいるんですよ。 回答者1さんへの補足とお礼をご覧になってください。 普段は誰にでも快く席を譲る私ですが、 この時は色々と考えさせられました。 いまだに後味の悪さが残る出来事です。
補足
誤解があるようなので補足します。 ここでいう障害者とは精神・知的障害者ではなく、 身体障害者のことです。 精神・知的障害による人格障害は仕方ありません。 質問文で述べているのは、 先天的な精神・知的障害がないにも関わらず、 「片足を失ったこと」で人格まで異常になる連中のことです。 私が言っているのは、こういう“お気の毒”な障害者のことです。
私も質問者様のような違いを感じることがあります。 素晴らしい人格を持った方がいる一方で、世の中が自分中心に回っていると勘違いされている方がいると思います。 その違いは、「特権意識」を持っているか否か、だと思います。 大手スーパーを利用する際に、車椅子を利用する方を見かけます。 その中に、狭い通路をふさいだまま、どいてくれない方がいます。 「すみませんが、そこを通していただけないでしょうか」とお願いしたら、 「まだ連れが来ないので無理です」と断わられました。 私もショッピングカートの中が一杯で遠回りできなかったので、仕方なく待っていました。 その方は連れの方が来られても、当然のようにのんびりと行ってしまいました。 “お待たせして申し訳ない”という気持ちがあったら、そんな態度は取れないと思うのですが・・・ 「お気の毒な障害者」は、特権意識を持っている人だと思います。 「障害者だから大目に見ろ」 「障害者だから免罪符を発行してもらって当然」 そういう意識が知らず知らずのうちに自分の中に芽生えているのでしょう。 それは人格にも影響するはずです。 世の中には、障害者でなくても様々な事情を抱えている人が生きています。 障害者だからといって過剰な特権意識を持つ人は、「お気の毒」としか言いようがありません。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >その違いは、「特権意識」を持っているか否か、だと思います。 それに関して、私は過去にこういう質問をしました。 http://okwave.jp/qa/q4751036.html http://okwave.jp/qa/q4809984.html この時は私も困惑しましたね。
補足
お礼欄で記したリンク先の質問文には書いていませんが、 その電車の中で出会った障害者はすごい剣幕というか…、 …とにかくすごい勢いで迫ってきました。 ヘッドフォンで音楽を聴きながら寝ぼけてい私は、 かなりビックリして飛び起き、 何か「緊急事態」が発生したのかと思いました。 で…ヘッドフォンを外して話を聞いたら、 「障害者だから席を譲れ」というのです。 いや、それは別に構わないのですが、 このお方、普通に階段を降りてきて、 凄い勢いで電車に飛び乗ってきた上、 数メートル歩けば空席があるのに、 寝ていた私の顔に自分の顔を近づいて大声を出すんです。 かといって精神・知的障害があるようには 全く見えませんでした。 (たぶん間違いなく精神・知的障害は無いでしょう。) 私も首を傾げざるを得ませんでしたね。 行き過ぎた「特権意識」も困ったものです。 あんなに無理やり起こさなくてもいいのに…。
お礼
ご回答ありがとうございました。 好きで障害を抱えた障害者はいないでしょう。 ゆえに障害者への理解は大切です。 もっとも理解しようとはしても、 なかなか相手の立場に立つのは大変です。 (うつ病の人の気持ちを理解するのが難しいのと一緒で。) だからこちらも慎重な姿勢で接しなければなりません。 私は精神・知的障害者に嫌悪感は感じないし、 先天的要因による人格障害者にも嫌悪感はありません。 ただ中には困った方がいるんですよ。 回答者1さんへの補足とお礼をご覧になってください。 普段は誰にでも快く席を譲る私ですが、 この時は色々と考えさせられました。 いまだに後味の悪さが残る出来事です。 ちょっと話は変わりますが、似たような例は他にもあります。 例えば、同じように貧乏な家に生まれ育った方でも、 次の二通りに分かれます。 (A)苦労人の痛みがわかり、思いやりのある人。 (B)苦労人の痛みをわかった上で、 他の苦労人に自分以上の苦しみを与えないと気が済まない人。 この違いはどこから生まれるのでしょうか? 「育ち」でしょうか? それもあるかもしれません。 でも私が様々な人と接した経験上、 「育ち」だけではどうしても説明がつかない気がします。 生まれもった気質(先天的な脳の構造)が 関係しているような気がしてなりません。 やはり私は「生まれつき」の善人・悪人がいるような気がします。 ただ、善悪の基準は人間が決めたものに過ぎません。 例えば殺人が悪と決めたのも人間界だけのルールであり、 自然界で通用するルールではありません。 人間として優れた善人(人間的エリート)が、 子孫をたくさん残すモテる人(生物的エリート)とは限りません。 否むしろ、善人に限って子孫が残らなかったりします。 それが残酷なところです。 善人が持つであろう「幸福感の強さ」や「理性の強さ」は、 生物として繁栄する際には『諸刃の剣』となります。 もちろん人間界でいう生まれつきの悪人も、 自然界や宇宙全体の進化向上には 必要だから存在するのでしょうけどね。 不必要なものは淘汰されて消えるのが自然法則ですが、 生まれつきの悪人は今でもきちんと存在しているでしょう。
補足
ここでいう障害者とは精神・知的障害者ではなく、 身体障害者のことです。 精神・知的障害による人格障害は仕方ありません。 質問文で述べているのは、 先天的な精神・知的障害がないにも関わらず、 「片足を失ったこと」で人格まで異常になる連中のことです。 私が言っているのは、こういう“お気の毒”な障害者のことです。