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娘が高校生になったばかりで合格した学校について相談
- 娘が4月から高校生になり、真面目で熱心な学校に入学しました。
- 娘は校則を守り勉学に励み、周りとの合わなさを感じています。
- 娘は退学を考えており、自由な高校に行きたいと言っています。
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こんにちは。 私は現在大学一回生で今年の3月まで中高一貫の高校に高校から通っていました。理由はガラの悪い高校には通いたくなかったからです。 私の高校は進学校でしたがクラスの半分以上が自習時間に勉強し始めたのは2年生くらいからだったので娘さんの通ってらっしゃる高校は大変志が高い学校のように感じます。 私も高校1年生の時友人関係や勉強で何度も親に行きたくないと涙をこぼし親も転校を進めてくれましたが、それでも通いました。2年生になってやっと友達もクラスにでき、そして受験を意識し始めたとき、自分のおかれている学習環境の良さを実感しました。 3年生の時もし周りの人が自習をしない人だったら、もし学校の先生が親身になって進学指導してくれなかったらと思うと、止めないで良かったなと思います。 長々と自分のことを書いてしまいましたが私の個人の経験で言うと遅かれ早かれその学校のスタイルには慣れると思いますのでこのまま通うことをオススメします。まだ四月ですから始まったばかりです。ダサい子と思っていた子が将来の親友になるかもしれません。転校などは早すぎると思います。 それと大学へ進学のことを考えていらっしゃるのであれば今娘さんが通ってらっしゃる学校は大変素晴らしいと思います。 では長文失礼しました。 娘さんの高校生活が有意義なものとなるよう祈ってます。
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- publicpen
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しかしながらそれはあなたの価値観で誰かに強制をできるものではないと思います。 わが子の価値観を強制して逮捕されてしまう親が続出ですが・・・ 幼児期と違い、子どもは自主性が出てきますのでそれ自体が自然なことと受け止めるべきかと思います。 またあなたが重要視してるのは「厳しいか否か」でなく、大学進学やしつけの面だと思います。 表面上あなたの満足行くとおりに過ごしていても内面に残ってなかったら何にも意味は無いと思いますよ。 また進学校も含め、「勉強に打ち込む」時代では無いかと思います。大学がそこまでの難易度ではないからです。また勉強、特に受験勉強がそのレベルの時代に受験勉強だけしかやっていない高校生と言うのは、レベルとしては低いと思いますよ。要するに労働生産性が低いと証明してるようなものですから。 仮に勉強に打ち込むにせよ、それは本人の夢や興味の上での自主性次第かと思いますね。 本人にはいい面もあると思いますのでなるべくそれを見つけ褒めるべきでしょう。仮に悪い点があり、指摘するとしても、そのような側面(判断が公正であること)が普段からなければ、言うことを聞かないものだと思われます。
- publicpen
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親はどうしてもそういう所を選びたがりますよね。 アインシュタインの例で言うと、最初に選んだ厳格で有名な名門カトリックの学校は、 厳格で彼に合わずに中退してしまいました。 次に選んだスイスの自由教育の少人数制学校で彼の能力はスパークしたと言います。 彼の親はその辺はとても柔軟だったようです。 またロシアからの医学部留学生(同じユダヤ人であるアインシュタインの父親から融資を受けていた)の家庭教師としての良い影響もあったと言われています。 逆にカストロ(彼は弁護士です)は厳格なイエズス会学校から学んだものが多かったと述べています。 要するに個人差が大きいんですね。 全国トップ10に入るような学校でも個々にとっては最悪であるってことは当然あります。しばらくはほっといて様子見すべきですが、どうしても合わなければ見切りをつけてもいいと思います。 それが必ずしもマイナスにはならないはずです。 女性はその手の勇気が持ちづらいのですが、そもそも「何もしないことのリスク」はかなり高いのです。ですから満足度が低いままで、だらだら続けるのだけは辞めた方がいいかと思います。 勉強は大事だと思う。 でも高校3年間って人生80年の中でたった1度きりなわけです。 「勉強だけしてダサい」ってのは共感出来ませんね。 それに先生の言う事を聞いてればラクだけど、自主性がつかずばかになると思う。 その手の子は大学入学後に伸び悩むでしょ。 あと1番大事なのは親子間の信頼関係でしょう。そこが壊れたらどうしようも無いですよ。 あなたの意見を述べるにしてもフェアに人間扱いしないと結局、お互いにとって不利益な結末に なる可能性だって十分あります。
お礼
信頼関係は壊れているのか、と思う時もあるし、壊れていないと思うところもあるし、わかりません。 たとえば、こちらが正しいと思うことを言うと(おそらく世間の常識では正しいとされてる)言ったことが正しい、正しくないということはともかく、親が自分に意見をしたということで激怒し、大声で怒鳴り肩をどつくなど、暴力も奮い、親が怯んでいると自分が勝った、自分は正しい、と満足するようです。 姉がいるのですが、姉がかなり分かりやすく話をしても、理不尽な暴力を奮われたり、わけのわからないことを怒鳴ったりされるので、もう当たり障りのないよう、表面的に接するようになり、楽しいことだけを共有していくことにしたようです。 本人の将来を考える必要のない人にとってはこれが一番良い方法です。 しかし、これは信頼関係があるといえるだろうか? 自分の意見を言わず、もしくは多少言ったとしても相手の言うとおりにしているのは、信頼関係があると言っていいのだろうか? 意味不明なことで激怒するのは、自分は絶対に相手に見捨てられない、という自信があるように見えます。 本人にとって今は勉強よりも目の前の寂しさを解消するのが一番重要なことのようです。 寸暇を惜しんで、携帯、中学の友達との遊び、借りたマンガを読むこと、などに励んでいます。 マンガを借りるということはまた返す時に友達に会えるということ、「面白い?」と聞くと「面白くない」と答えるのですが、きっと友達には「すごく面白かったよ!」と言うことでしょう。 将来のことを考えたり、勉強に打ち込むような心理状態でないのでしょう、気の毒です。 世の中に必死になって遊んでいる高校生を「馬鹿者どもが」と思っていましたが、実は気の毒な人々だったんだな、と気がつきました。
- asebi-0806
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こんばんは。高2の娘、中2の息子の母です。 高校に入学したばかり。慣れない環境に苦労しているのはどんな子も多かれ少なかれある時期ですね。 ただ、ご質問を読んで感じるのは娘さんには目的意識というものがあって高校に通っておられるだろうか?という事です。 高校生活を楽しみたい。それはどんな子も持つ希望であり期待をもって高校に入学したと思います。 でもどんな環境の高校で、自分はそこで何をするべきか、入学前にきちんと考えたり意識して入ったかどうかというところは大きいと思うのです。 目標や目的意識が明確であれば、多少の困難や戸惑いは乗り越えられるもの。 私は娘の高校受験にあたり、そこを一番意識して事あるごとに話してきました。 偏差値の良い高校に入って欲しいとか、真面目な高校に入って欲しいとか、そんなことは基準ではありませんでした。 娘が一番娘らしく過ごせる高校はどこなのか、という事を志望校選びの段階から強く意識して選択をしました。 この高校はこんな校風でこんな特色があるから、入学したらこんな高校生活が予想できるよ。 この高校ではこんなことが学べるから、あなたの得意とする事を強化できるね、とか。 良い面ばかりでなく悪い面や厳しい面も予想できることを話して、娘にできるだけ具体的な高校生活をイメージさせるようにしました。 最終的に今現在通っている公立高校を第一志望とし、私立にタイプの違う高校を3つ受験しました。 どこに行くかで180度も違う高校生活になる。それを十分納得させたうえで決めました。 明確な目的意識を持てたせいかすべての高校に合格でき、まさに自分から選びとった真の第一志望に進学することができました。 ちなみに卒業後の志望大学も高校入学の時点で大かた決まっています。 しっかりした目的意識のもと、娘は高校生活を十分に楽しみながらコツコツとやるべき事をやっています。 これほど娘の高校選びを丹念に熱心に行った理由は、自分自身の失敗経験からのことです。 私立の女子高だった私の出身校は、娘さんの高校と同じ「真面目でダサい」学校でした。 真面目でダサいことは私にとってさほど嫌なことではありませんでしたが、生徒の自主性を無視した校風にすっかり嫌気がさし、いろいろと良くない方向にも脱線したものです。 楽しい思い出は少なく不毛だった高校時代でした。こんな思いを娘にはさせたくない、という思いは強かったです。 話は脱線してしまいましたが、要するに娘さんは今の学校に対するイメージをきちんと持って入学できただろうか。 自分がそこで何をすべきなのか、わかって入っただろうか、という事です。 ちなみにうちの娘が第二志望としていたのは同じように厳しい中高一貫の私立。 ここに入ったら勉強は相当厳しいよ。それでもいい?やって行ける?と何度も念を押しました。 「大丈夫。頑張る!」と不安は隠せない顔ながらしっかりとした口調で言っていました。 その高校へ行くメリットを十分に理解していたからです。 今からでも遅くないのでは? なぜこの高校に入ったのか。その目的は何なのか。 しっかり家庭で話をされてみてはいかがでしょうか。 蛇足になりますが、下の息子は現在公立中学に通っています。 とくべつ厳しい学校というわけではありませんが、学校帰りの寄り道などには厳しく対処しています。 息子はどちらかというと問題児で、規則を破って叱られたり親が呼び出されたりという事もある破天荒な子です。 それでも規則を破ることを許してもいなければ、その都度徹底的に厳しく当たっています。 規則を守り勉学に励むことと「自由を与えられること」はまったく別次元の問題ではないでしょうか? 娘さんは中学で自由を与えられていたのでなく、単に放任されていただけでしょう。 いつまで経っても自分と真剣に向き合えず、なすべき事に取り組めないことのほうがよほどダサいのだという事を、親が教えなくて誰が教えるのでしょうか? 偉そうな事ばかり言いましたが、私は今現在も日々、葛藤し苦悩し、なりふり構わず息子と向き合い続けているただの一人の親です。 すべては息子の将来のため。 自由は許しても、規則を破ることは許しません。 なにがオシャレでなにがダサいのか、毅然とした態度で言ってあげる事も必要なのではないでしょうか。 きっと、娘さんだって心の奥底ではわかっている事なんですから。 ただ、言われないとわからない、意識できないって事は多分にあると思いますよ。
お礼
入学して2ヶ月半、親の目から見るとまだなじめていないように思います。 高校でなじめない分を穴埋めするかのように、中学の時の友達と激しく遊ぶようになり、学校帰り、土日常に中学の友達と約束を取り付け、制服のまま8時ごろまで遊びます。 いけないことだよ、と言っても聞く耳を持ちません。 寂しいのでしょう。 親では埋められない隙間を中学の友達で埋めているのでしょう。 帰ってからも携帯を常に離さず、友達とつながっていたいようです。 必死に携帯の数字を連打しているのを見ると、あまりの孤独さに何も言うことができません。 今は将来の目標よりも目の前の寂しさを解消するので手一杯のようです。 反抗期のパワーは想像以上にすさまじく、親が正しいと思うことを言っても、理不尽なことを狂ったように大声でがなりたて、どつきまわし、親がその迫力に恐れをなして黙りこんだり「すいません、すいません、もうそんなこと言いません」と言ったりすると自分が論破してやった、勝った、と思い親を征服してやったと満足するようです。 親が言うより自分の頭で正しいことが何なのか、考えることができるようになるといいと思います。 社会に出ないと、もしくは親が死なないとわからないかもしれません。 なぜなら、今は寂しさを解消するのが優先で、学ぶこと、成長すること、に関しては拒否をしているからです。 同じような友達と傷を舐めあうのですが、お互い先に行くことを嫉妬しているので、立ち止まっています。
- re-ma
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こんばんは。 質問文を拝見し、娘さんの訴えとしては「ダサい子ばかり、仲良くしたいタイプがいない、真面目すぎる、勉強ばかり」とのことですが、悩みの本質はもしかしたら別の所にあるのではないかと思いました。 中高一貫校でほとんどが中学からの持ち上がりということですよね。仲良しグループが中学から固定されていて、その輪に入りにくい雰囲気があるのではないでしょうか。 途中から仲良しグループに入っていくのは結構難しいですよね。 娘さんはダサい子ばかり、仲良くしたいタイプがいない、と表現されてはいますが、もしかしたら、なかなか友人が出来ない状況を寂しく思っているのかもしれません。 学校の真面目な雰囲気にも戸惑いを覚えておられるようですが、それはきっと友人が出来れば徐々に馴染んでいけるのではないかと思います。 娘さんのお話の中に、辛い気持ちや寂しい気持ちが潜んでいないかよく聞いてあげてください。 もしそんな気持ちがあるようならば共感して受容してあげてください。 検討違いな回答でしたらすみません。
お礼
回答ありがとうございます。 今は高校から入った子たちと一緒にいるようです。 高校から入った子たちも真面目で勉強が好きな子が多いようです。 相手をマイナスの目でみていると、相手にもそれが伝わって、いつまでたっても友達はできないと思うので、今の状況は自ら寂しい立場に追い込んでいるとしか思えません。 真面目に頑張ることはよいことだと気がつけば、学校になじめるのだろうかと考えています。
お礼
回答ありがとうございます。 つい先日まで高校生だったとは思えないほど、しっかりした方ですね。 まだ娘は精神的に幼い部分もあり、自分がおかれている環境がよいものであるか、悪いものであるかの判断が自分にとって楽であるか、楽でないか、という基準でしかないのかもしれません。 今までと正反対の環境にとまどっているのでしょうね。 真面目に頑張るということが今は娘にとってはかっこ悪いと思えるようですが、実はそれはとても大切なことだということにいつか気がついてほしいと思います。