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その昔、刀で斬られた人は?

夫がよく時代劇をみています。 よく、屋敷に囲まれたとおりや橋の上で、人が斬られる場面があります。 悪党一味が数人、まとめて斬られたあと、お侍はそのまま立ち去ります。 テレビや映画はそこまでですが、現実は、 そのあと、斬られた人はどのように扱われるのでしょうか? 息をひきとらず、瀕死でうめいていたら、道行く人も不気味ですよね。 重傷をおっているが死んではいない場合、どのように悪人なのか見分けもつかないし、その後、どうされるのでしょう?

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  • yot15
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回答No.4

時代劇の様な斬り合いなんて、実際には無かったようです。そして剣術そのものの考え方の変遷が、切り傷に対して大いに関連するようです。  江戸時代初期は、戦国の記憶により、鎧ごと斬る術が求められました。非常に困難な技で、これが出来る技術保持者は、極少数で全国にも3桁の人数は存在しなかったと推察できます。つまり伝承が殆ど無いのです。従って一般には刀剣の闘争は、刺突が中心でした。切り傷は、そんなに深い事は少なかったと考えられます。こんな訳で、止めが必要なのです。現代の剣道は、人を切る技術の鍛錬では無いので、斬撃はどうなるか不明です。恐らく首切りも3人が限度と思われます。古武道の免許皆伝なら、30人以上切った伝承があります。それ程古武道と竹刀剣道は違います。  斬撃の訓練は、振り棒で行い、刃筋を立てる訓練を行います。この訓練を経てきた名人に斬られると、一刀の下に絶命と言う事になります。幕末の例で言えば、近藤勇一派が典型的古武道派です。竹刀ではまるで初心者並みに打たれたようです。  こんな訳で、切り傷は意外と浅い場合も多いと考えられます。切り傷を焼酎で消毒する伝承がありますが、傷口を洗うと言う効果があり、殺菌の効果はありません。その後傷口を縫合する技術の医師がいれば、縫合です。傷口に薬を塗り、包帯をして、治療は終わりです。動脈の切断があれば、包帯の圧迫でとまらなければ、出血死となります。そして傷口の炎症により高熱が出ます。これに耐えられれば、命が助かります。  切断された神経や、腱、筋肉の縫合技術が無いため、傷が治癒しても、障害が残ります。片手、片足を失えば、収入の手段も限られ、生活は困窮します。そんな訳で、友人に介錯の依頼をする場面が出てくるのです。  

morino-kon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 命をとりとめても、大けがで発熱や痛みに苦しむなんて、すっぱりと死んだ方がマシですね。 戦場なんて、まだ生き残っている人が多くいたんでしょうね。 テレビのチャンバラは、食事中にみてほしくないなあ・・・。 でも、夫の楽しみを取り上げるわけにもいきません。

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  • nazca091
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回答No.5

他の方が言うように刀は斬れません。というより一太刀で即死させられるような武器ではないんです。 日本以外の国では、刀剣は叩いて殴って骨を砕き肉を潰す武器と考えられています。刀で即死させられるのは槍のように突いた時だけです。 戦いの中、刀で首を切断することも理論上不可能ではありませんが、突いたほうが簡単だし合理的です。 集団戦では敵一人に構ってられませんし、1対1の決闘では隙がないので首を切るなんて無理です。 よく首をとる、という表現がありますが大抵は死体の首を小刀や脇差などでのこぎりの様に引いて苦労して切断していたんだそうです。 刀ではそれほどの重傷はあたえられません。出血多量か感染症で死ぬ事が殆んどです。 だからケンカとか紛争などで刀傷を負ったものが出た場合、自分で歩いて帰って治療を受けるか、仲間に担がれて帰るか、奉行所に通報されたら下っ端の役人や岡っ引き、火消の~組という人達が出てきて負傷者、または死体を回収・搬送していきます。 悪人の場合、一応公設の療養所などで治療をされたあと取り調べを受け裁判の後、罰を受ける事になります。 どのように悪人なのか~?前科者には入墨が施されているので見分けがつきます。 この時代の取り調べは拷問がOKなので、たいてい自白させられてしまいます。罪を犯してなくても。 ちなみに既に死んでいた者は、縁者が分かれば引き取らせますし、なければ無縁仏として役所の管轄で埋葬されます。土葬です。

morino-kon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですが、治療されて取り調べですか。 拷問にしても、痛そうですね。 役所が埋葬してくれることが分かり、安心いたしました。 すみません、手違いですでに締め切ってしまいました。 ポイントがつけられず、失礼いたしました。

noname#138315
noname#138315
回答No.3

江戸時代なら、重傷や瀕死の場合は医者に担ぎこまれるか、仲間が引き取るかするでしょう。その後、役人が引き取って取り調べるはずです。 別に現代と変わらないと思いますよ。

morino-kon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 極悪人でも、ちゃんと治療してもらえるのでしょうか。 悪党一味がみんな成敗されると、引き取る仲間もいなかったり、逃げなくてはなりませんね。人気のない山中だったりしたら、通る人も不気味ですね。

回答No.2

#1さんひょうきんですね。 江戸時代、実際に斬り合いはめったにありませんでした。 たとえ一人斬って殺したとしてもそのあとの役人の取調べが凄かったそうです。 もしも武士が町人を斬ったらかなり厳しい罰則がありました。 江戸時代は平和で斬りあいなど殆どなかったそうですよ。 もし斬り合いがあっても刀も3人までしか斬れません。 血のりと体から出る油で刀が斬れなくなるそうです。 斬って斬って斬りまくるのはテレビだけです。

morino-kon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 テレビでは毎回バサギサと斬られているので、毎晩相当な人が斬れらているのかと思っていました。

  • kendosanko
  • ベストアンサー率35% (815/2303)
回答No.1

そうゆう人は、 斬られあと、 「カット!」と声が入ると、 道路脇で昼ご飯の「ロケ弁当」たべながら、 今日の稼ぎはいくらになるか、 奥さんが作る今日の夕食の献立は何か 考えてます。

morino-kon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 この頃見ている「素浪人花山大吉」では、セットがおおいので、転んでも痛くはないでしょうが、以前の「木枯らし紋次郎」では、山中のジャリの上で痛かった事でしょう・・・。