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子は親の背中を見て育つと酔っている人に疑問があります。
子供を人に預け働きに行く人は、「大人になったら子供は理解してくれるはず」と 必ず言います。というか、自分にそう言い聞かせていると思います。 子育てに真剣な人ほど子供の成長に敏感で、子供の事をよく知っていると 思います。親は無くとも子は育つとも言いますが、ひとつだけもったいない 事があると思います。子育ては子供を育てるだけでなく、親が参加することで親自 身が子供に成長させてもらえることです。 子供を保育園に預ける際に、自分が成長できる機会を失うんだと言い聞かせて から仕事に行くべきだと思うのですが・・・
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質問者が選んだベストアンサー
「子育て」とは、「親育て」でもありますね。 だが、子供べったりでは、子育てにも、親育てにもならないでしょう。 「子育て」や「親育て」とは、「子離れ、親離れ」でもありますね。 尤も早い内からそうするのは、酸いなことではありますが、その分家に帰ってからの「子育て、親育て」で償うなら、十分になりえると思います。
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>というか、自分にそう言い聞かせていると思います。 はい、全くその通りだと思います。 他の誰よりも、その事を身に迫って疑問視し、直視し、悩み、葛藤しているのは、他でもない、働きに出る親そのひとです。 質問者様が書いていらっしゃる事、 それを考えずに、それ程深く悩まずに働きに「出られる」(そう、可能形です)親がどれ程いるでしょう。 そうやって泣く程悩み、葛藤し、その結果として別れる「選択」の違いに、重さの違い等無いと思えます。 悩み、葛藤し、選んだのが働かない、であっても、働くであっても、 それは、どちらも「失った選択肢の重み」を日々身に染みて知ります。 働くならば、まさに質問者様のおっしゃる事を、怒濤のように過ぎる毎日の中で後悔反省の連続。 「子どもと一緒だからこそ成長出来る事」を手放していると言う哀しさ。 働かないならば、家計の苦しさや、親自身のキャリアや人生設計、 それこそ「職業人としての成長」を手放している?と言う悔しさと不安。 どちらの選択をしても、 >「大人になったら子供は理解してくれるはず」 と親は思います。思わねば明日に進めないからです。 他者の意識や視線に触れる事が相対的に多い「働く親」ばかりがそう思ったり言ったり、しているように社会には受け取られがちかも知れませんが、 働くか?働かないか?の選択に一度でも悩んだ経験のある親は、例え選択が専業主婦/主夫であっても、同じ事を考えています。 そう考えた上で、 「我が子に恥ずかしくない生き方をしよう」と日々を頑張っています。
- micikk
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う~~ん、何をどうしたいのでしょうか??? 質問者様の考え方は、それであるでしょう。 対外的に、わざとその言葉を使う人もいるでしょう。 生活ができなく、仕方なく働いている人もいるでしょう。 人それぞれで、背景や事情があるのでは? 確かに子育てで成長できるでしょうが、それだけでは無理な人も いると思うのですが・・・・。
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