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何故占いに行くのですか?

占いに行く事が悪いとは言いませんが、 100%当たるわけでもないし、 当たるか当たらないか分からないものを頼ると 余計迷ったり不安になったりしませんか?

みんなの回答

  • awjhxe
  • ベストアンサー率28% (531/1888)
回答No.3

何かに縋りたいか弱い人がします。

  • mizunoe
  • ベストアンサー率20% (71/351)
回答No.2

宗教があるのと似たような感覚ではないでしょうか? 何かに救いを求めたい場合がある。この世が暗ければ、数年で好転すると言われれば、それを信じて生きられる。 扉を右手から左手に持ち替えて開ければ運命が変わるとは信じてもない。だけど、一呼吸置くと何か変わることがある。 誰かのアドバイスで好転したと感じることもある。そんなことと思います。 なるようになる、心配は要らない。(←いい加減な言葉だけど) 当時の私は、背中を押して欲しくて行きました。どちらかと言えば、蹴飛ばして欲しかったんですけど…ちょっぴり勇気に繋がりました。 行動を起す、きっかけを求めてるのだと思います。 今の私は、しなかった後悔より、した後の後悔の方が後悔の度合いが低いことを知っている。なので、ウジウジ悩んで結局しないで後悔するなら、自分で選んで行動した後悔を選ぶことにしています。事柄にもよりますが。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.1

人はなにか曖昧な存在に頼り、勇気を得ることも沢山ありますよ。 高校球児が大事な場面にバッターボックスでユニフォームの胸の部分を握り締める姿を見て無駄と思うのでしょうか。 欧米人系の格闘家がコーナーを飛び出す前に十字を切るのも、受験生が絵馬に希望校を書くことも、旅の途中でお地蔵様や道祖神に手を合わせること、水に浸して熱を加えた穀物に向かって「いただきます」と伝わるわけもない感謝の言葉を発すること、ただの骸を焼いて残った骨の上に乗せた石を手をかけて清めてから拝むこと・・・。 ご質問者さんにとっては、どれも合理性に欠けた無駄な行為と感じると思いますが、私はこの中にも意味を見出せます。 上記の幾つかは、それほど信心深くない日本人でもやっていることが多いのですが、私は時には不確定な「なにか」に結果を委ねることも、ある意味自身の背中を一押しする勇気に繋がったりすることはあると考えます。 そもそも、世の中には100%当たるモノの方が極端に少ないでしょう。 占いに行く方にとっては「鰯の頭も信心から」ということなので、ご質問者さんがご心配されなくてもいいと思いました。

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