一人の女性を生涯かけて愛するという深い愛(もしくは愛の深さ)を知らないからでしょう。
複数に向かう愛は、所詮は移ろいやすく、愛とは呼べない代物です。
要するに自分が満たされないがために、満たしてくれる女性を探すという発想なのでしょう。
しかし、いい大人がしかも男が、「愛されたい!愛されたい!愛されたい!」・・・男が軟弱化している証明の一つですね。
男なら、一人の女性を愛しても愛してもまだ愛し足りなくて我が身の愛の足りなさに「申し訳ない!」と影で涙するのが本当でしょう。
いつまで経っても、自分が主体に立って愛することができないがために、AがダメならB、BがダメならC、CがダメならDと女性を変えれば心が満たされるのではないかという甘い認識に立っていると思われます。
本当の愛なら人を選ばないのです。
一人の女性といった場合、数では少なくても、心は全体に通じているわけですから、そういう意味で、一人の女性は全体に匹敵するのです。
一人の女性を喜ばすことは、他(全体)の女性を喜ばすことですし、
逆に一人の女性を悲しませることは、他(全体)の女性を悲しませることとイコールなのです。
言い方を換えれば、一人の女性を幸せに出来ない男が、人を変えて別(全体)の女性を幸せにできるはずはない・・・これ真理ですよね。
悪い女だろうが、強い女だろうが、癖のある女だろうが、難しい女性に出会ったとき「だからこそ、何とかしていい女に変えてあげたい」と決意を固めるのが男であり、愛らしい愛の本来の姿でしょう。
人を泣かせるような生き方が出来なかったら人生つまんないでしょうよ!
女性一人を感動させられないような人生・・・何も残らない人生でしょうよ!
相手が手強いからこそ、面白いんじゃないでしょうか?
自分にとって手強い相手ほど自分を鍛えてくれるのです。
一筋縄ではいかない相手だからこそ、自分の愛が鍛えられ、深く強くすることができるのではないでしょうか?
愛のない幼い女性なら「よし、俺がこの女性を立派にして見せる」と一層強く愛するようになるでしょうし、付き合う女性の人間性の弱点や課題を見て、一時的には責めたり批判したりしたくはなりますが、最終的にはそういう女性だからこそ「私が支えるんだ!!」とか「少しでも相手の悪いところに自分が責任を持つんだ!!」という意識になることでしょう。
関係がうまくいかなかった場合、人を変えるのではなく、自分の至らなさを反省し、即ち自分を変えるor相手を変えるための手助けをしてあげる・・・これが相手を思うこと=愛情なのだと思います。
人を変えて何とかなる?・・・ならない!ならない!ならない!
人を変えるという視点が既に甘い!目の前の課題から逃げちゃダメ!
男性諸君!!逃げるんじゃなくて、一人の女性を徹底的に愛してみなよ!
あまりに深くて到達することができない深淵にして深奥な愛の世界を味わうために・・・
お礼
浮気相手が好きで愛おしいなら奥さんと離婚すればいいのにね。大事だからこそ、愛おしいからこそ心で思うなんて、綺麗事。浮気相手にされた方からしてみたら自分勝手すぎる。