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人が「仏教」に関心を示す時とはどういう時でしょうか?

仏教は、日本人にとって身近なように思えますが、 実際は、寺が近くにあっても無関心だし、そもそも仏教って どんなものかも知らないというのが、一般的意見かと思います。 そんな日本人が、仏教に関心を持つ時とは、どのような時なのでしょうか? 友人知人が亡くなったとき、お盆に墓参りに行った時、 本屋で仏像の本を読んだ時、悪い事をしてしまって罪の意識にさいなまれた時・・・などなど。 いろいろ考えられますが、あなたはどのような時に、仏教に関心・興味をもちますか?

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  • ota58
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回答No.4

わたしが老いて、自分の死が現実に近づいてきた時にもつかもしれない。 家族親族に死が近づいた時にはもたなかった。

その他の回答 (4)

回答No.5

この世はとかく不条理で、ドロドロで、 何をやってもうまくいかず、心も打ちひしがれ、 希望といえば来世にしか期待できず、 空の雲の上に何かいい世界があるのでは? なんてふと思ったときに仏教はスッと心に入ってきます。 そういう気分のときに、仏教の象徴「蓮」を見たりすると 泥湿地の上に華やかに咲くその姿が美しく見えるもので 現代的な視点からみるとかなり精神的にヤバい状況だといえます。 しかし近代までの日本を含む東・東南アジアの人々の多くは そんな環境のなかでしたたかに生きていたのです。 仏教に限らず、キリスト教やイスラームなども その地域の歴史と人の心を考えれば驚くほど合理性がありますよ。

noname#154451
noname#154451
回答No.3

基本的に仏教に限らず、宗教というものは関心や興味を持つものではなく信仰するものです。 中東などでは、信仰を守るだけのために戦争や醜い争いが続いています。 いいことか悪いのことか分かりませんが、日本は平和なので、宗教に関心のない人は多いです。 日本人は行事の一環としてお盆やお彼岸のお墓参りに行った時に、ふと自分が仏教徒なのだと気づく程度なのではないでしょうか?

  • aptop
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回答No.2

まず初めに、信仰(宗教)の自由・・が認められている我が国では、仏教徒以外の方々もたくさんいらっしゃいます。 一言で仏教・・・と言うのもチョット違うとおもいます。 沢山の宗派があり、教えも様々なのが実際です。 近くに寺があっても、宗派が違えば気になりません。 (神道とは別にかんがえます。) 仏教徒以外の人が仏教に関心を持つとしたら、それは知識としてでしょうし、私のような仏教徒がキリスト教やイスラム教、ユダヤ教や。その他の宗教についてに関心を持つのは、やはり興味とか知識・・・参考としてですから。 宗教というものは、自分のご先祖様が信仰されてきたものに順じて親から子へ、子から孫へと受け継がれてきて、今の私の信仰心というものがあるのだと思います。家族制度の名残りなのかもしれませんが。(自分の意思で改宗される事も多いと聞きます。それもある意味=現代ではアリなのかも知れません。・・・が) >そもそも仏教ってどんなものかも知らないというのが、一般的意見かと思います。 ??? それは質問者様自身の知識であり、決して一般的ではないでしょう。 たしかにおおくの人はご存じないかもしれませんが、真剣に信仰されている方々も多くいらっしゃいます。

  • nemoax006
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回答No.1

仏教に関心は無くても年末、除夜の鐘を聞きに行き、年始には(神道)神社でおみくじを引く人は多いと思います。仏教の本質、神道の本質 それぞれに触れる事は少ないでしょう。ちなみに私は原始宗教を信じています。