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死が間近な人の生きる意味

長文ですが沢山の御意見お待ちしております。よろしくお願い致します。 友人(女性)がガンで20代で亡くなりました。ガンが発覚したのは亡くなる約3ヶ月前で、本人は告知され知っていました。彼女は数年前からある国家資格を取るため一生懸命勉強に励み頑張っていました。そして自分が間もなく死に至ることを知った後も、彼女は治療(ガンを治す治療ではなく苦痛を和らげる治療)を受けながら変わらず勉強を続けていました。やがて衰弱し入院生活になり歩くことさえままならない状態になり、私や彼女の恋人や家族が「無理をするな」と言っても、それは変わることはありませんでした。医師の告知通り彼女は亡くなりました。 質問です。人はいつか必ず死ぬ。それは当たり前ですが、自分がいつ死ぬか分からない(未来がある)からこそ夢や希望や目標を持つことができる。だから今苦しくても辛くてもそれを乗り越えられるんじゃないでしょうか。しかし彼女のように近く死ぬことを宣告された後も目標に向かって努力し続ける意味は一体何なのでしょうか?私は彼女の行動が間違ってるとは思いません。彼女の生き方は私たち友人や恋人や家族を勇気付けてくれたし、私は一生彼女を忘れません。しかし彼女は明らかに実現しない目標の為に最後まで頑張っていました。私が彼女の立場だったならきっとその目標は諦め、残された時間内で実現出来るようなことを探したり死にたくないとひたすら足掻いたりしていたんじゃないかと思います。皆さんは彼女はどういった考え方で頑張っていたんだと思いますか?また皆さんが彼女の立場になったとしたら、実現出来ない目標は諦めますか? ※あらかじめお伝えしておきます。①ガンが完治したり告知された余命以上生きていられる可能性を本人は全く期待していません。②性格的に「せっかく今まで勉強を頑張って来たのだから」と意地を張って勉強をし続けていた訳ではありません。

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  • kysp1124
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回答No.8

人生には、自分でコントロールできることと、そうでないことがあります。お友達が若くして末期癌を患った事実は、彼女自身がどう足掻いても覆すことが出来ないことです。 でも、夢に向かった勉強を続けることは、彼女が自分の意思で最期まで全うできた唯一のことだったのではないでしょうか。夢が実現する、しないのレベルではないと思います。癌によって命は奪われても、ご自分の夢に対する情熱だけは最後までは奪われたくなかったのでは? 身体は負けても心まで負けられない・・、それがお友達なりの「死の受け止め方」だったのでは・・と私は思います。 それにしても、強い、立派な方でしたね。日本社会にとってなんという損失でしょう。お友達のお話を聞いて心を動かされた私のような人間がいるだけでも、彼女の頑張りは無駄じゃなかったと思いませんか? 私も彼女の姿勢を見習って生きたいと思いました。 お話聞かせてくださって感謝します。心よりご冥福をお祈りしております。

bell2018
質問者

お礼

温かいお言葉心から感謝致します。彼女の生き方は私をはじめ彼女の周りの方々の生き方をも少なからず変えたんじゃないか…私はそう思います。彼女の生き方を考えると、私自身の日頃の数々の悩みなど一体どれほど小さいことだったか…悩んでいたことが恥ずかしくなるほどです。心までは負けたくない。本当に彼女は最後までそう思っていたんだと思います。私は彼女を一生忘れません。私も彼女と同年代です。これから先たくさんの壁にぶつかると思います。しかし彼女に貰った勇気を忘れず、壁にぶつかっても前向きに乗り越えて行きたいと心から思いました。ご回答者様をはじめこの投稿を見て下さった方々や他のご回答者様方が、彼女の生き方を知ったことにより何かを感じて頂けたなら、私自身これほど嬉しいことはありませんし、きっと彼女も喜んでくれていると思います。ご回答ありがとう御座いました。

その他の回答 (13)

  • hasiru750
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回答No.3

>しかし彼女のように近く死ぬことを宣告された後も目標に向かって努力し続ける意味は一体何なのでしょうか? 死の恐怖から逃れるためと思います。 >皆さんは彼女はどういった考え方で頑張っていたんだと思いますか? 死の恐怖から逃れるためと思います。 >また皆さんが彼女の立場になったとしたら、実現出来ない目標は諦めますか? はい、諦めます。 自分のすべき事は勉強ではなく闘病です。

bell2018
質問者

お礼

余命を宣告されたらきっと私も勉強など続けられないと思います。医師の言葉を受け入れず病気と闘う道を選んだと思います。奇跡が起こらない限り助からないと分かっていたとしても…。ご回答ありがとう御座いました。

  • matumotok
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回答No.2

こんにちは。 全くの私見を書きます。  試験勉強というものは、本来は特定のテストに合格することを目的とするものであり、それ以外にゴールはありません。しかし、試験という縛りを捨てて勉強という側面に立ち返ってみると、それは「自分を磨く」「新しい自分を作る」という目的が浮上してきます。ゴールはなく、自分を磨き続けたいという希望が持続する限り、いつまでも永遠に続きます。勉強した結果、何を得られるのかは分かりませんし、すぐには得られないこともあるでしょう。でも、そのような不毛な時間を重ねた結果、得られることがきっとあるのです。 ご友人が死に至るまで勉強を続けた真意は、わかりません。しかし、推測はできます。勉強の目的を、試験に合格することから自分を磨くことに置き換えて、勉強を進めたのではないかと思います。別に試験の合格などどうでもよく、死ぬまでにやるべきノルマも決めなかったことでしょう。ただただ一日で進めるところまで勉強をし、昨日とは違う、新しく磨かれた自分を日々体感していたのではないでしょうか? 死ぬとか生きるとか、そういったことさえ意識していなかったかもしれませんね。

bell2018
質問者

お礼

仰る通り、勉強することの結果ではなく勉強することそのもので自分を磨き、生きていることを実感したかったのかもしれません。ご回答ありがとう御座いました。

noname#131426
noname#131426
回答No.1

それがその人にとって「生きる」ということだから。 人それぞれで、生きている実感は違うと思います。 そのような生き方があっても良いんじゃないですか。 本人にとって意味があれば良いだけで、他人には分からない意味があると思います。 俺の場合は・・・ なってみなけりゃ分かりません。 生き足掻いたりはしないように。は思っていますけどね。

bell2018
質問者

お礼

いつ死が訪れるか分からないからこそ、その時が来ても足掻かなくてもいいような、そんな生き方を私もしたいです。ご回答ありがとう御座いました。