アカハラと熱血教育の境界線とは
大学で見知らぬ子達が「○○先生ってアカハラだよね」と話していたり、友人の話を聞いていて、ふと思いました。
(見知らぬ子達が○○先生の話をしてたのを聞いて、「そういえば友人Yが受けてたな」と思って、「そんなアカハラみたいな先生なの?」と聞いてみたのがキッカケ)
アカハラと厳しい教育(熱血教育)の境界線とはあるのでしょうか?
私は上述したように○○先生の授業を受けたことがないので、詳しく知りません。
ですが、実際受けたことがある友人やその子達の話を(こっそり)聞いた感じでは、
・分からなかったり、間違えたりすると「こんなもん、小学生の知識だろ!」「はぁ?」等々怒鳴り散らしたり、間違えると鼻で笑われる
・一人の子が起こした問題(返却物を止めていたクリップをしなおさず、放置したとか らしい)での受講生全体へのお説教の際に、「こんな人らに選挙権を与える意味がわからない」と言うような事を言われる(友人曰く「確かに当たり前の事が出来てなかったし、怒られるのは分かるけど、選挙権云々は関係あるの?」らしい)
・教科書を読まさせられた際に、漢字や専門用語の読み間違い等で「面接官は、顔を見たら頭の良さがわかる」「教科書を読ませたら頭の良さが分かるな」等言われた
とからしいです。
友人が言うには、「相談室とかに相談したかったけど、これがアカハラに当たるかとかそういうのが分からないから出来なかった」らしく、私も話を聞いていて、確かに「うわぁ…何か色々すごい先生やな」と思ったけど、それが確実に「アカハラ」に当たるのかがかりません。(『熱血教育です』と言われれば、熱血教育になりそう)
そこで上述の疑問に戻るのですが、アカハラと熱血教育の境界線は正式にあるのでしょうか?
それとも、『アカハラか熱血教育か』の境界線というのは、その人の受け取り方とかでも変わってくるのでしょうか?
ちなみに。友人の意見?的には、「確かに小学校で習った知識かもしれないし、自分たちの勉強不足とかもあるかもしれないし、怒られるような事をしてしまってる人がいるかもしれないけど、間違えただけでそんな怒鳴り散らされたり、鼻で笑われたり、『選挙権云々』言われたりする意味は分からない。資格に必要とはいえ、知らないから受けにきてる。」らしいです。
※私はその先生の話を初めて聞いたけど、意外とその先生の噂は色々あるらしく、体育で一緒になった全く違う学科の子と上の話をしていたら、「あ、もしかして○○先生?悪い噂ばっかりあるよね。詳しく知らないけど」と言われてちょっとビックリしました。
※カテゴリー違いならごめんなさい。『教育問題』とこのカテゴリーで迷った結果、こちらにしました
お礼
どうもありがとうございました。