• ベストアンサー

「勉強しないと乞食になる」という言い方

僕は小学校低学年から「勉強しないと乞食になる」と強く言われてきて、勉強がとても嫌いだったので自分の将来の乞食ヴィジョンが頭の片隅にこびりついてしまいました。元々覇気に欠ける性格ではあったがそれを助長する結果にしかならなかったです。 これは今の自分の状況に対する言い訳なんだろうと思います。 ですが、どうしてもはっきりさせておきたいのです。 こんな言い方は、教育としてどうなのかと。 今僕はこんなおかしな情報に振り回されてとても憎んでいます。 あいつらも若かったのだろう、今の自分程度に。 でも僕は今若くても絶対そんな言い方はしない。 世の中を恐れず好きになるにはどうしたらいいかを一番に考える。 人の性格を強引に変えるための嘘など絶対につかない。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.4

>こんな言い方は、教育としてどうなのかと 教育というのは「教育された者が自立できるように知識、技能、考え方等を授ける」ことです。 質問者さんは、「勉強しないと乞食になる」と注入され幼心に刻印されてしまった。 「勉強をさせる動機づけ」として 1.ポジティヴ・アプローチ(と勝手に命名):勉強ができることによって、その結果ら得られるものを肯定的に評価する  (例) 勉強すると褒められる。成績がいいと「いい高校」「いい大学」「いい就職」「いい嫁さん」「いい人生」が得られる。などなど。 2.ネガティヴ・アプローチ(と勝手に命名):勉強ができないとこういう悪いことがあるよといって脅かし苦しみのイメージを与える。  (例) 勉強できないと叱られる。馬鹿にされる。軽く見られる。「いい高校」「いい大学」(以下上と同じ)が得られない。苦労する。乞食になる。等々。 3.物で釣る:今度5科目で400点越えたらゲーム機を買ってやる。等々。 ま、それぞれに一長一短があり、どれも伝統的に「親が子の幸せを思ってする助言・働きかけ」としては普通のものばかりです。 「教育的配慮」という言葉があります。最近も京都教育大学の事件で学長という年寄りが間違って使用していた「ことば」ですから憶えていらっしゃることでしょう。この「教育的配慮」は子供を教育するときには特に求められるものです(何も学校教育だけが教育ではありません。家庭教育も立派な教育です)。しかし、殆どの親は「教育は学校等で専門家がすること」などと誤解し、自分と子供との関わりでは、それこそ好き放題で純真なこころを持つ子供こそいい迷惑、という例が山ほどでてきます。  その一方的な影響力は、子どもと親の人間関係の浅さ深さにより、またその関わりの程度により、質問者さんのようにこころに深く刻まれて、こういう匿名のサイトに投稿して憤懣をぶちまけるようになる、ということになります。 >こんな言い方は、教育としてどうなのか という疑問はまっとうなものです。「教育的配慮」を欠いた「教育」など、教育に名を借りた「いじめ」だと思います。よく、子供を虐待して(ときに死に至らしめる)馬鹿親が決まって「虐待じゃない、躾だ」とほざいているのと同レベルなのです。 だから、質問者さんは、ご自分の現在の苦しみが「自分の今の状況に対する言い訳」などと思わずに >でも僕は今若くても絶対そんな言い方はしない と分かっているのだから、間違った教育を受けた人間の苦しみが分かるのだし、ご自身の苦しみが他に拡散しないように言い行動すればいいのです。そして社会人として普通に生き、さらに人に認められるような業績が残せれば(ま、残せなくてもいいけど)、 >「勉強しないと乞食になる」 という圧力に打ち勝ったことになるのです。 でもきっとその「教育的配慮」ができなかった人も、質問者さんがきちんと勉強して社会的強者として生きていくことを「多分」切に願っての「暴言」でしょうから、思い切って「許してやる」くらいに構えた方が今後そういった思いを引きずらなくていいのでは、と愚考します。 最後はちょっと老婆心(男ですが…)。

noname#92298
質問者

お礼

僕は自己満足的な教育で本当の自分を無視され、しつけということで何も悪いことをしていないのに、たとえば整理整頓がなってないとか、机を調整してやってるのに手伝いに来ないとかいう理由で、頭を両手で掴まれて目前で睨みつけられて頭を何度も叩かれました。それが日常だったのです。また、風呂の入れ方も乱暴で痛い思いをし、力ずくで移動させられました。何も悪いことをしていないのに、です。僕には細かい動きの選択権すらなかったのです。全てがあいつらの自己満足なのです。全てが決め付けであり、僕の意思よりもあいつらがしてほしいことしかなかったのです。僕が自発的に言いだすことの全てに、何らかのケチを付けて否定するのです。それでいて事あるごとに自発的意見を持つように、どんな考えでいるか、何がしたいか考えを引き出させようとします。ですが、僕が本当に思っている事の全ては何らかのケチをつけて全部否定され、判断がまだまだ甘いと説教です。なにもなかったらそれはそれで自分の考えを持つようにまた怒られます。そんな家庭でした。 それで、あいつらは今でも変わらない認識というか、自分たちの関わり方について反省する気はまったくない。今でも、子供はいつまでも子供だと思っており自己満足的関わり方が、それがそうだと知らない。僕の為だという認識しかない。自己満足と本当の思いやりの区別がつかない。今までさんざんそのことを説明してきたがまったく理解力がない。 いや、僕はこう思う、そこを認めたら自分の立場的に得ではないから毅然とした態度でいる、あいつらにはそういう発想しかないのだ。それ以上僕の説明を理解する気がないのだと。 死ぬまでそこは変わらないのでしょう。死ぬまで分からないとは。なんという小さい器の人間から自分は生れてしまったのか。あれが僕の為などと。 今はただ、頑張って縁を切らねばと。早く離れねばと。 世の中が好きになって。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • sikagari7
  • ベストアンサー率25% (4/16)
回答No.5

「勉強しないと乞食になる」 ここでいわれている「勉強」とは学校が与える課題をこなすことのみではなく、「乞食」というのは道端にて物乞いするもののみではない、という考え方は無いかな。 自分で失敗を含む経験をし、その結果の積み重ねから物事を判断・決断を得ることが出来ない人は、人が生産した判断・決断を乞うて、それに従うしかない。 このサイトを見回しても、自分で考えることを放棄してすぐに回答のみを他者に乞う人って多いよね。もっとレベルの低いのになると、自分で判断して行動すりゃいいことを質問の名を借りて誰とも知れない人の同意を乞うだけの質問をする人とか。 そういう様にも取れるけどね。

noname#92298
質問者

お礼

とても高尚な思想的解釈ですね。とても尊敬できる考え方だと思います。 しかし、あいつらにそんな難しい考えはありません。ただ短絡的に僕を脅して強引に自分たちの理想をハメようとしただけです。とても幼稚なやつらなのです。 ありがとうございました。

noname#105334
noname#105334
回答No.3

いい言い方ではありませんが、ただ単にやる気を出させるための言葉だったんでしょう。 それを質問者様は難しく考えすぎちゃったわけですね。 普通でしたらスルーしちゃう言葉です。 類っぽい言葉に「寝てばかりいると豚になる」とか「ゲームばかりしていると頭が悪くなる」とかありますよね。 人間が豚になるわけないし、ゲームは認知症のリハビリにも使われています。 それと同じでしょう。 普通の勉強ができなくっても偉くなった人もいますよね。。。 (かなりの苦労をしたようですが・・・) ただ現在も学歴が上ほど給料が高いところが多いですし、「勉強しないと乞食になる」と言われた頃はもっと学歴志向だったでしょうからそうと強く言われたんでしょうね。 低学歴だと給料はほとんどのところが少ないし、高給なところは危険な仕事だし。 (顔やスタイルが良かったりスポーツや音楽などの優れた才能があれば別ですが) 苦労をして暮らすよりも勉強して高給料の公務員になってくれた方が安定した生活ができますし、貴方のためだと思われたんでしょうね。 >今僕はこんなおかしな情報に振り回されてとても憎んでいます。 それって甘えのような気がします。 ダラダラとしていたから叱られたことへの逆恨みのようです。 もう過去のことを言い訳にしないでください。

noname#92298
質問者

お礼

あいつらはすべてにおいてマイナス方面の表現の仕方しかせず、しかも自己満足的で自分の心の中の決め付けで僕と関わったのです。そこに本当の僕の姿はなかった。僕という人間は誰にも受け入れられることがなかった。あいつらはそんな幼稚なやつらだった。団塊世代のやつらは往々にしてそんなのがけっこう居るような気がします。子供を自分の理想の為に投資しているだけみたいな。僕たち団塊ジュニアは甘やかされて育ったと言われる事がありますが、僕の様なのがその実態だとするなら、甘やかされたということの中身が蚊帳の外の連中の考えていることとちょっとちがうんじゃないでしょうか。自己満足的過干渉ということが単に甘やかされたの一言で済まされるのでしょうか。それで本当に僕が世の中が嫌いで乞食になったからって、「ああ、あいつは甘やかされたから」と言われるのでしょうか。 言い訳なのは分かっていますが今は言い訳を言いたいのです。 ありがとうございました。

回答No.2

勉強しても修行しても乞食になりますよ。私みたいに。 ああ・・・私は飼われているだけです。家族に。 学生時代の成績は常に下から数えて四天王でしたが、ちゃんと就職できましたし、それなりに働いていた時期もありました。 その中には唯一人並みにできる音楽という道もありました。 私は音楽を覚えるのに理論書を軽く20冊は読み倒しましたが、まぁこれでもレベル的には普通です。 勉強なんてのはしたくなったらすればいいんです。嫌でも勉強したくなるときが訪れることですし。 ただまぁ、無理やりやらせることに何の意味も無いのは確かでしょうね。いかんせんやってる本人は「なんでこんなことしなきゃならんのだ?ぜんぜんわからないし。暗記すればいいのか?将来なんの役にたつってんだ?」とまぁこんあ具合でしょう。 これじゃなんも覚えられません。教科書に並んでる文字を追いかけていればいいのか? 私ができることは、音楽に関してのみですが、知りたがっているからには全力で覚えやすい方法で知識を分け与えることだけです。 コード理論はなんだ? ときかれれば、「音楽の迫力の材料」と説明します。 どうやって使うんだ? と聞かれれば、いろんな鳴らし方で雰囲気を作る。 と答えます。 そうすれば次の質問は、「始まりや終わりというのはどうするのか?」 と聞かれるでしょう。そのとき私は始めて楽器を手にとって、鳴らします。 大事なのは知識を押し付けることではなく、少しでも多くのことに疑問を覚えさせること。そしてその疑問を解決するための方法をひたすら説明することです。 ところで質問文を拝見したところ、あなたが何を知りたいのか、何に対して疑問を持っているのかが謎のままです。補足をお願いします。

noname#92298
質問者

お礼

僕は自発的に興味のあることじゃないと、嫌々ながらやった事はどんなに苦労して勉強したとしても、絶対に身につかないと思うのです。 あいつは小学校低学年から僕の頭を平手で叩きまくっていたし、一方的で自己満足的な態度でしつけようとしたので、僕の本当の精神というものは全く無視され、本当の自分を心の奥に閉じ込めて世界に対する恐怖心を植え付けられたのだと思います。何かを好きになる可能性をも潰されて行ったと思います。 そんなのは教育としてどうなのか? と問いたかったのです。 ありがとうございました。

  • tent-m8
  • ベストアンサー率19% (724/3663)
回答No.1

「勉強しないと乞食になる」という言い方は、「風が吹けば桶屋が儲かる」という表現に近いと考えれば、真理をついているのかもしれません。 しかし、小学校低学年の子供に、そんな意味は理解できません。 相手の理解度に応じたモチベーションを考えるべきです。 勉強しない→向上心がない→仕事ができない→収入がない→乞食になる という図式ではないでしょうか。

noname#92298
質問者

補足

それは一つのルートにすぎないでしょう。 それはすべてではないので真理ではなく乱暴に決めつけているという事だと思います。 勉強しなかったからといって乞食になる者は全体の何%ですか? 例外があるならすでに真理じゃないでしょう。 小学校低学年ではそれが真理と洗脳されてしまうのです。