- ベストアンサー
けいりゅう流産
先月、二年半の不妊治療で5歳差になる第二子を妊娠後、9週でけいりゅう流産してしまいました。 上の子がいるし、主人は仕事が忙しい人でかなり無理をしてしまい、切迫流産と診断された後も安静にできなかったせいだと思います。せっかく来てくれた赤ちゃんに申し訳なくて、流産とわかっても意外と泣けなかったのですが(上の子がいる手前、泣いたり寝込む余裕もなかったと思います)、死んでしまった赤ちゃんなど子宮から取り出す手術後は、さすがに辛く泣いてばかりいます。 先週、水子供養してもらい、また思い出したように涙が止まりません。流産を経験された方、どのように乗り越えられましたか? 次の妊娠はどれくらいしたら考えていいのでしょうか。 また、不妊治療で妊娠→流産して、無事に妊娠、出産された方がいらっしゃったら、ぜひお話聞かせてください。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
不妊治療はしたことがありませんが稽留流産しました。 摘出した後、検査にまわされたり、私自身のホルモンのバランスの 調整が必要だったりで、通院していたのですが、流産から3ヶ月ぐらいで 自然に妊娠し、翌年無事に双子を出産しました。 私は最初の妊娠が稽留流産だったので、妊娠しなくなるのではないか? とか、治療が終わるまで避妊が必要なのでは?と思い、先生に訪ねました。 流産した後は妊娠のなごりがあって妊娠しやすいと言われました。 特に避妊の必要はないとも言われました。 ただし、人それぞれだと思いますので、質問者さんは担当の先生に 次の妊娠についてきっちり訪ねられた方が良いと思います。 この世に生まれなかった赤ちゃんは、質問者さんが悲しみ嘆くことを 望んでいません。 残念ながら顔は見れなかったけれど、そんなに思ってくれてありがとうと 言っていますよ。 ちゃんと供養もされ、思ってくれていることは伝わっていますよ。 私たち人間がきちんと認識はできない何らかの理由があって 何事も『なるようになる』のだと思います。 上のお子さんがおられるのですし、悪く考えすぎないで元気を出してください。 ご主人がお仕事が忙しくても、妊娠~出産は命に関わる一大事ですよね。 そのへんをじっくり話し合って、できるだけ協力してもらってください。 なにもかも完璧な人なんていません。 頑張れる時は頑張ればいいし、頑張れない時は頑張らなくていいです。 明確な答えになっていませんが、私のように稽留流産しても無事に 出産しているのですから、質問者さんも大丈夫ですよ!
その他の回答 (3)
- bluefish
- ベストアンサー率33% (74/222)
不妊治療はしていませんでしたが、昨年の6月末に11年ぶりの子供を7週で流産してしまいました。 私自身高齢と言われる域に達しているものですが事情があり2人目の子供を作ろうと思うまでにずいぶんと時間をあけてしまっていました。 確かにつらい経験だったのですが、赤ちゃんが、 大丈夫、お母さんのおなかは子供ができる準備ができてるよ。 と教えるために来てくれた。 と思うことにしました。 残念な結果でしたが、その後3か月で次の妊娠に恵まれ、43歳で二人目を産むことができそうです。 あと1か月で予定日です。 自然妊娠で、これまでむくみや貧血ぎみなど多少の問題は抱えていましたが、それほど大きなトラブルもなくすごすことができました。 性格的なものや夫の支えもあったと思いますが、泣いてすごすということもなく供養についても特にはしていません。 もちろんつらくなかったわけではなく、次は大丈夫よ。と子供が後押ししてくれたと信じている。というだけだと思います。 天国に行ってしまった子供のために夫が買ってくれた安産お守りが二人分の命を守ってくれていると思ってそのまま大切にお守りとして持っています。 悲しい気持ちは本人にしかわからないものだと思います。 がんばる必要も、無理に耐える必要もないと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。温かいお言葉に感謝します。 3ヶ月で次の妊娠ができたんですね。私も頑張る気がわいてきました。 1ヶ月後に元気な赤ちゃんが生まれるといいですね!
- HOPinDEER
- ベストアンサー率73% (3803/5162)
こんにちは。 初めての妊娠を10週2Dで繋留流産しています。 哀しかったですが、妊娠できた!!!!(≧∀≦)ノ と言う事の方が大きかったのです。 それは希望と今後の期待に変わりきり、死んだ赤ちゃんは私に妊娠できるんだよと、 又妊娠できたと言う喜びを無言で教えてくれたと言う感謝で一杯で、 悲しんでる間はなかったです。 水子供養・・していません。 あの子は「水子」と言う名前でもなく、私たちの人生短すぎた子供という認識で居ます。 忘れた事はありません、他の化学的流産となった胚も同様です。 どの重いも軽き流産も私に希望と感謝をくれていました。 その気持ちが私を必要以上に落ち込ませる事もなく、 ホルモンを狂わす事もなく、逆に女性機能は調子よくなりました。 繋留流産して1週間後で雪山を登りある来た押すと言う仕事をしていました。 初回生理は28周期辺りで着ましたし、排卵もしていました。 なのですぐにまた子作り再開しましたよ。 希望がホルモン状態をわかせたのだと自分では思って居ます。 何分年が歳なので、半年後の妊娠もそれ以降も合計10回くらい陽性を見ては死んでゆきました。 鮮血を見ては号泣した時が1度ありましたが、後にも先にも号泣したのはそれと繋留の時だけです。 落ち込んだり何日も泣いて居ると言う事はなかったです。 >>どのように乗り越えられましたか? 希望を失いませんでした。悲しみは希望にすぐ変えてました。 >>不妊治療で妊娠→流産して、無事に妊娠、出産された方がいらっしゃったら、ぜひお話聞かせてください。 すみませんね^^;、今45歳ですが、出産経験はありません。 不妊治療は体外までやりつくしました。 原因不明不妊なので、治療する意味もなくまた自己タイミングで頑張っていました。 今妊娠中と言うだけです。 希望を失わず頑張っていたら、又妊娠はできたようです^^。 頑張りますね。♪
お礼
ご回答ありがとうございました。 私も希望を持って頑張ります。
こんにちは。 >流産を経験された方、どのように乗り越えられましたか? >不妊治療で妊娠→流産して、無事に妊娠、出産された方がいらっしゃったら、ぜひお話聞かせてください。 少し長くなりますが、私のことを書きます。そして少々厳しいことも書きますよ。 私は4年間の不妊治療で2度の流産をしました。最初の流産は、タイミング半年・人工授精10回してカスリもしないので、いよいよ体外受精を決意した矢先の自然妊娠でした。ところが、7週で胎嚢も確認できるかできないか微妙なまま出血が始まり自宅で完全流産してしまいました。ですが、不妊治療2年目で初めての妊娠でしたので「妊娠できた」事実の方が嬉しく、それほどのショックはなかったように思います。 2度目の流産は、初回の流産からほぼ1年後でした。自然妊娠できたのだからと、流産後は再びタイミングや人工授精を試しましたが一向に妊娠せず、諦めて当初の予定通り体外受精をした結果でした。3つの受精卵を子宮に戻したら3つ子を妊娠しました。3つ子妊娠・出産の高いリスクに戸惑いながらも、3人全員が無事に育って欲しいという願いも虚しく、5週で一人、6週でまた一人、胎嚢が大きくならず、胎芽は見えているのに心拍がマイナスと脱落して行き、一見順調そうに見えた最後の一人も11週の検診で心拍が消失していました。稽留流産...それは人生最大級の悲しみでした。 二度続けての流産、しかも心拍確認後の11週ということで、まず考えたことは「私自身に問題がなかったか?」ということでした。私自身に問題があるのなら、私が死なせてしまったわけですし、今後の不妊治療についても考え直さなければいけません。そこで流産胎児の染色体検査をした結果、18番染色体と21番染色体がそれぞれトリソミー(通常2本のところが3本ある)という重度の染色体異常だったことが判明しました。 質問者さんもご存知だと思いますが、妊娠初期の流産の殆どは胎児の染色体異常や遺伝子異常が原因です。これは受精の瞬間に既に流産する運命が決まってしまっていたのであって、無理をしたせいや安静できなかったことが原因ではありません。それはつまり、妊娠中にどんなに良い環境で過ごしても21トリソミーの受精卵からはダウン症の赤ちゃんが生まれるのと同様です。21トリソミーは染色体異常の中では軽度の異常なので、流産せずに生きて生まれてくるのです。 私は流産した児の原因をそうして調べて明らかにさせることで、上記のことを改めて確認できました。ですが、実はこの時に別の問題も同時に発生していて、それは手術で取りだした絨毛部分に水胞状の変化が見られたこと...つまり「部分胞状奇胎」の疑いまでかけられたのです。ところが病理検査の結果は「奇胎細胞を認めず」。それでは部分胞状奇胎ではないのでは?なのに、腫瘍科の医師は「病理よりも肉眼的所見を重視する」とのことで、半年間の避妊期間を私に言い渡しました。 話がややこしくなるのでごく簡単に書きますが、発生学的な事実から部分胞状奇胎の細胞の殆どは「3倍体」になっています。しかし私の流産した赤ちゃんの異常はトリソミーであって「3倍体」ではありません。病理検査の結果だけでなく、ここでも話が矛盾しています。私はそこでもう「医師がどう言おうと、部分胞状奇胎ではなかった」という確信を持ちました。 当時38歳の私にとって、不妊治療も再開できない半年の避妊期間は「致命傷」といっていいほど重いものでしたので、いつしか流産の悲しみは怒りに変わっていきました。自分で胞状奇胎について医学書から最新の論文まであたって資料を作り、医師と闘いました。医師は「疑いも含めて絨毛疾患の取り扱いについて、そのように決まっているので仕方ない」の一点張りでなかなか折れてはくれませんでしたが、何度目かの面談でとうとう「hCG値も順調に下降したので、後は自己責任で」と仰ってくれました。「部分胞状奇胎」と診断されならが、3周期で避妊解除となったのです。 私にとっての避妊解除は不妊治療再開を意味していますので、2度目の体外受精をして今度は双子を妊娠しました。妊娠してからも前回の悪夢が何度も蘇ってきて、幸せな出産をするイメージがまったく持てませんでした。しかし、そんなことはお構いなしに健全な胎児はごく当たり前に健全に育ち、3度目の正直で出産に漕ぎ着けました。 流産について、医学的・科学的な理解を深めてください。質問文をお読みする限りでも、稽留流産までの経過の中に「順調に成長していなかった」証拠がおそらくどこかにあると思います。私の11wで稽留流産した胎児も、一見順調そうでしたが、データと付き合わせれば成長はやはり遅れていました。私がもし水子供養などして悲しみに浸っていたら、なかなか次への一歩が踏み出せなかったと思います。そのようにされて心の安寧を得られるならばいいのですけどね。 経験からも闘い・怒りのパワーは、モルヒネのように強力に悲しみや痛みを消してくれますが、そうでなければ少しずつ時間が解決するのを待つしかありません。時間は最良の薬です。時間の経過とともに、「それでもやっぱり赤ちゃんが欲しい」という気持ちが心の底から湧き上がって来た時が次の妊娠への好機です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 流産の手術後、内診で問題ないことが確認できたので、来月から不妊治療再開します。 2年以上タイミング、人工授精を続けても妊娠しなかったので、体外受精か顕微授精に再挑戦します。 また赤ちゃんがきてくれると信じてがんばります。
お礼
そうですよね、赤ちゃんだって私が悲しんでいても喜ぶはずないですね。 温かいお言葉、ありがとうございました。少し気持ちが軽くなりました。 流産の手術後に病院では7月からまた体温をつけて、また体外受精の準備をする方向での話はしています。また赤ちゃんがきてくれると信じて頑張ります。