これはわたしの解釈です。主語をわたしにして「思っています」などと言った言葉を用いてはいませんが、わたしの考え方なので、ひとつの考え方として受け取ってみてください。……などと言わないのが美徳だったかもしれませんね。こういうのを不粋とか野暮とか言うんでしょうか。
「言わぬがよし」
あることをあまりに言葉で説明しすぎると空しさが残ります。空しいかどうかはともかく、言葉少なにしてそこからいかに奥深い世界を導くか、俳句の文字数はある程度限定されていますので、基本17文字でどれだけのことを言えるかの問題です。言葉で説明しなくとも、背景などを想像することができるのがよいというのです。
「下手がよい」
優等生ぶるのは鼻につきます。優等生とここで言うのは理屈先行型ということです。それよりも、人の感覚に訴える俳句というものは形式の美ではなくて感覚の美であるということです。だから、形式的には下手でもよい。むしろ下手な方が虚飾を払っていてよい。そうすることによって詠み手の素直な感覚が作品全体にみずみずしく映える。それがよいというのでしょう。ただし、もともとグロテスクな感覚を持っている人が「銀行強盗の目の前に一輪の菊の花」なんてのを詠んだとしたらいかがなものかと考えてはしまいますが。
結果として書いていることがonthewellさんと似通ってしまいました。重複する失礼をお許し下さい。
お礼
ありがとうございました。 俳句には「読み方」があり、近年、俳句が読めない人が多くなっているのだそうです。ちゃんとした「言わない『作り方』」ができる人は「読める」と思いますが、そうではない俳人が増えているということでしょう。 主宰級(or 主宰)の onthewellさまには、この辺のところを雑誌の記事でお示しいただければありがたいです。