- 締切済み
天竜寺の見所
明日までの宿題なのでできれば早めに知りたいです。 で、インターネットで検索したんですけど、お寺関係となると自分には難しいものばかりで・・・・。できれば分かりやすく教えてほしいです。多いほうが嬉しいですが、一つでもいいので見所を教えてください!!
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- vanyatan
- ベストアンサー率38% (76/195)
京都の天竜寺ですよね。 宿題の答えになるかどうかはわかりませんが、このお寺が有名な理由は2つです。 この寺院は足利尊氏が、後醍醐天皇の鎮魂のために建立したということが第一点と、更に、その時この寺院の建立資金の為に途絶えていた「元」との貿易を室町幕府の名前で再開し、そのときの交易船が「天竜寺船」という名前で元にも広く知られたということです。 足利尊氏は鎌倉時代、有力御家人の筆頭で、最初の名前も「高氏」と、鎌倉執権北条高時の高の字を貰って元服し足利高氏と名乗っておりましたが、倒幕に加わり、その功績は、「一番手柄」とされ、後醍醐天皇の名前である「尊治親王」の「尊」の字を貰い「足利尊氏」になったほど、天皇の信認は厚いものでしたが、公家中心の「建武の新政」では、坂東武士たちの反感を買い、尊氏は頼朝と同じ様にそれら武家の代表という形で、新政を正し、結果、いくさとなり、南北朝時代の始まりとなりました。 尊氏は1336年に室町幕府を開き、吉野に南朝を立てた後醍醐天皇とは暫くにらみ合いとなりましたが、先に後醍醐天皇がなくなり、その鎮魂の意味で立派な寺院を建立したのです。当時は七堂伽藍がすべて揃った素晴らしいもので、「京都五山」の第一位という名籍でした。 又、専門的には、「曹源池庭園」という庭は夢窓国師という当時日本一の庭師の作庭で、嵐山と亀山(小倉山)の借景を巧みにとりいれた回遊式庭園は、それまでにない大胆な作庭として高い評価を得ました。 色々な意味で「時代の狭間」を演出した名残ともいえる後々には南北朝時代の「象徴」でもある、意義り高い寺院であると考えられます。 同時に、室町幕府が倒れると次第に意義を失いつつ、徐々に落ちぶれて、明治時代に再建されるまでは、余り名勝としては数えられなかったと言われます。 お役に立ちますか?