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六本木の毛利家屋敷跡を見学して
先日、六本木にある元防衛庁の跡地再開発に際して出てきた長門藩毛利家の下屋敷遺跡を見学いたしました。 大変興味深かったのですが、殊に屋敷建設の地鎮祭の折に埋めたと思われる金貨(永楽通宝)や素焼きの皿、そして輪宝と呼ばれる銅製の円形の薄い板状のものに大変心惹かれました。 輪宝は実際に展示されてすぐ近くで見る事ができましたが、なぜか形が現在の方位磁石に通ずる形のような気がしまして、今で言うところの八方除け?に近いのかしらとも思い、埋蔵文化財センターの方にも質問したのですが『多分そうかもしれませんが、まだ私どもも研究不足で・・。』との事でした。素焼きのさらの枚数とか金貨、銅貨の意味などももう少し深く知りたいと思いましたが、なかなか資料が探せません。 詳しくご存知の方がいらしたら教えていただければ幸いです。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。そろそろ回答しないと締められてしまうかもしれませんので。私の経歴に関しては以下の2番の回答をお読み下さい。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=129758 質問文の、『多分そうかもしれませんが、まだ私どもも研究不足で・・。』という調査員の答には、もしかしたら勉強不足だぞと感じられたかもしれません。ですが、実際には判っていないことの方が遥かに多いようです。 3年以上も一緒にやっていて、彼等は彼等なりに江戸随筆や様々な図録、史料を調べているのが判りました。ところが、ちょっとした道具一つを取っても、それが実際にどのような使われ方をしたのか判らないこともあります。名前は判っていて、記録にも頻繁に登場するのに、使い方は見当も付かないとか。 江戸考古学はまだ20年ほどの歴史しかありません。例えば東京オリンピックの再開発ブームで、夢の島で小判が多数発見されたのが話題になった時、もっと真剣に取り組んでいれば、今ならもっと色んなことが判っていたと感じます。そういうわけで、今だに手探りの状況で、増してやこの質問のような非常に記録にも残りにくい分野では、もうお手上げに近いでしょう。 もちろんこれならこれでまたその方面の研究者はいると思いますし、そのような方からの回答を期待しているのでしょう。ただ、相当に専門的なのでここに回答者が現れるかは期待薄かもしれません。 ついでですから、私が知っている何らかの祭祀に関わる遺構や遺物のことを記しておきます。 有楽町の旧東京都庁は元は蜂須賀家ほかの屋敷跡だったようです。この中に、屋敷地を区切る堺の堀が有りましたが、その石垣の一画に頭蓋骨を納めた祠のようなものが設けてあったと報告されています。実見したわけでないので良く判りませんが、人柱の可能性も高いと感じます。 汐留ではどこの屋敷地から出たものか判りませんが、なにかの意図を持って加工された頭蓋骨の顔面の部分を見ました。まだ十代の初め頃と思われる子供の頭骨を厚さ2cmほどに削り落として、顔面側もある程度平らにしてありました。つやが出るように磨いてあったと思いますし、どういう意味が有るのかは判りませんが、飾ってあったような感じです。 多分広く公表されないだけで、このような事例はまだほかにも時折発見されているのではないでしょうか。 尚、私はここを埋め立て造成した際に持ち込まれたと思われるヒトの頭頂骨の一部を掘り当てました。自分で人骨を掘ったのはこれが唯一で、珍しいだけに嬉しかったですね。嬉しいと言うのはおかしいような気もしますが、350年以上前のものであることは保証付きですから・・・。 それから、井戸を埋める際の「息抜き」の竹の樋は普通に見られました。 とにかく、調べると面白い分野でしょうね。
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東京都のサイトに情報があります。 下記参考URLをクリックして覗いて見てください。 ご参考まで http://www.hi.utokyo.ac.jp/personal/yokoyama/jpmem/2002/sitedirectory2002.htm
お礼
ありがとうございました。気づきませんで御礼が遅くなりました事をお許しください。恐らく密教的な儀式にのっとり地鎮祭が行われたのでしょう。今後も資料を集めていこうと思っております。
お礼
PC故障のためお礼が遅くなりました事を、まずお詫びしなければなりません。申し訳ありません。 さて、実際に発掘に携わっていらした方からの貴重なご意見を読み大変感謝しております。 NHKのプロジェクトXなどを見ますと東京オリンピックの頃東京中を突貫工事で開発した様子がよく出て来ますね。 それはそれで又別のドラマを作ったのかもしれませんが、その陰でどれほどの貴重な遺跡や遺物などが葬り去られた事かと思うと残念でなりません。 江戸考古学の歴史はまだ20年ほどしかないとは本当に驚きました。 たかだか100年前の明治時代の事もはっきりとは分からない事が多いとか聞きましたのでましてや江戸やそれ以前ともなるとお手上げと言うのもよく理解できました。 しかし、歴史の遺物や遺跡からその時代にを思いをはせるとは実にロマンがあると私ども素人は単純に考えていますが実際に現場にいらっしゃる方々は別の意味でご苦労があるのでしょうね。 しかし、発掘していて意外なものに実見できるチャンスはなかなか素人には無い事でやはりとても羨ましい限りです。 人柱の話なども大変興味深いですが、歴史の教科書に載らないもうひとつの歴史というか実に面白いです。 案外、首狩族ではないですが日本人も残酷な歴史を歩んでいた時代が存在したのですね。 学者の見解も色々あろうかとは思いますが、「はっきりと分からない・・」という事もある種ロマンと理解するべきかもしれませんね。 貴重なご意見をありがとうございました。