「容疑者Xの献身」の容疑
ある人は、「容疑者Xの献身」を東野圭吾氏の最高傑作と評価しています。
小生も読後は感動に浸り、その感動を引きずっていたためにその物語を何日も反芻していました。反芻するうちに、その物語に大きな不自然さを覚え始めました。
この物語は、ある殺人を隠すために、一日後にもう一人を殺して当日のアリバイをカムフラージュするというトリックを使っているのですが;
カムフラージュすべき一番目の死体は、「複数にして川に沈めた」という設定で、その死体は発見されていないことになっています。
小生の推理は;
「その最初の死体を川に沈めるだけで、この犯罪は充分のカムフラージュできたのではないか」
ということです。つまりこの物語は成り立たなかったことになるのですが・・・。
この推理は正しいかどうか、ご意見をお聞かせ下さい。