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人を見下してしまう
30代男です。自分には人を見下してしまう癖があります。 親切にしてもらった人まで見下してしまいます。そのくらい強烈に、自動的に人を見下します。 自分でも直したいと考えてますがなかなか直りません。 どうしたら直りますか。この年だと改善の余地はないんでしょうか。 大人になって性格改善するにはどうしたらいいかというテーマで考えてもらってもかまいません。よろしくお願いします。
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自己嫌悪というのは往々にして多層的なものです。maxwelさんが他人に親切にするのが「弱さ」からだった場合、親切にする人を見ると弱さを感じてしまいます。「嫌われたくない」とか「良い人に見られたい」という動機で親切にしているのだと感じるでしょう。見たくないものを見る不安、知りたくないことを知る怖れが嫌悪だと思います。 人を侮った態度を相手や第三者に見抜かれてしまうのではないかという不安もあると思います。演技がばれてしまった時の気まずさ、空気のよどみ、そのようなものに対する嫌悪もあると思います。 何を当たり前にするかによって、感じ方は違ってくるでしょう。よく開き直る人がいます。西川史子は『お金がすべて』、浜田雅功は『ドS』と公言しています。愛よりもお金になびいてしまう心や、人をイジメて楽しいと感じてしまう心は誰にでもあると思います。開き直るとかえって罪悪感から逃れられるように感じます。 「あるべき姿」を規定するには、否定することで規定する方法と肯定することで規定する方法があると思います。自己をコントロールして「あるべき姿」に近づけようとする場合、「こういうことは良くない」という否定を積み重ねて形作ろうとするのですが、この方法だと残された選択肢が無くなってしまって、『じゃぁどうすればいいの?』と行き詰ってしまうのです。せっかく人に親切にするのに、「人に不親切なのは良くない」という発想からおこなうと、本来得られるはずの満足感が得られません。親切にして当たり前、不親切な態度ならマイナスなら、いつまでたっても満足感は得られません。 義務感や「べき思考」で動かそうとするのではなく、主体性や自分の中の「やりたい」気持ちに目を向けるとよいでしょう。 「侮り」は「親しみ」に近い感情だと思います。相手から「なめられている」のではなく「親しみ」を持たれていると見ることも可能です。逆に「尊敬されている」のは一目置かれて「敬遠されている」のと近い状態です。どちらがお得かはよく考えねばなりません。どうしても「親しみ」には「侮り」が付随します。付随してくる「侮り」を少なくする工夫が大事ではないでしょうか。
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- sasai
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大変申し上げにくいことですが、一般論として「人を見下す人」は、案外強烈な劣等感の持ち主です。 本当に、生まれたときから愛され、大切にされていつくしみ育てられた人は、決して「人を見下す人」にはなりません。 ご自分では気づいていないかもしれませんが、生育暦などをじっくりと思い起こして、不平不満だったことや、傷つけられた体験とか、いやな思い出とか「理想としてはこうありたかったのに現実はこうで不本意だった」というようなことを真正面から見つめなおしてみることからはじめて、そういうことを肯定し、受け入れて、それらは誰にもあるようなレベルなんだ、周りのみんなだってこれくらい普通なんだというような受け止め方が心からできるようになったとき、自縛している劣等感も消えて「人を見下す人」から脱却できると思います。 繊細な心の持ち主だという特性も災いしているかもしれませんが、それはいいほうに生かすことができますから、使うようですよね。
背が高い人ですか? 私は、背が低いので人を見下すことが出来ません、 シークレット靴を履いたところで延びてもほんの5センチ程度、 それじゃあまったく足りません。 そんなあなたもいつも足を曲げて生活されると、見下される人の気持がわかるのでは?
自分のことが好きですか? 人よりもなにかができるから、優れているから、ではなく、 自分が自分であることを誇りに思う気持ちはありますか? 立派な外面的要素を失ったとしても 自分を好きでいられる自信はありますか? 優越感と劣等感は裏表です。同じものです。 人を見下してしまう人は、どこかで自分を見下しているのかも しれません。 人に左右されない健全な尊重、尊敬を 自分のなかに根付かせてください。 自分のなかにみつけたものは、他人のなかにも みいだすことができるはずです。
お礼
ありがとうございました。やってみます。
- kyoutoukyo
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見上げる相手と付き合ってみる
>親切にしてもらった人まで見下してしまいます。 どんなふうに見下すのですか。 具体的に記述してください。
- mil
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言葉を変えると ご自分と異なる点を持った方を 否定しちゃうような感じなのかな? その人間に着目するのではなく 「自分だったらこうするのに・・・」と考えるだけに 留めておいたらいいと思います。 見下してしまうと 周囲にも気づかれて 結果的に トピ主さんの評価さえ下げてしまいます。 年齢的にも 社会的にも ある程度 自信が付いて 自由が利く年代(私も含めて)でありますよね。 けれど 自分の両親や子供など ひっくるめて考えた場合、 両親は完璧かと言えばそうでもないし、 子供も そうじゃないし・・・ 広い目で見ると 人を見下している暇はないと思います。 てか、キリがないし。 正直に言えば 誰もが心の中に持っていても していないだけだと思います。
- gunto
- ベストアンサー率19% (347/1784)
見下すということは、相手があなたより下だからですよね? もしあなたよりも能力も全てが上の人にはどうですか? どこかに「人間なんて下らないわ」って思ってるとこがあるのかも? 改善しようとするなら 「何故、俺は人を見下すのだろう?」と原因を考えてみたら? 黒人迫害した白人は黒人が白人より劣ってるからと見下したし でも、どんどん黒人の地位があがり有名人もたくさん出てきた時点で 見下すってありえなくなってる訳だしネ。 たぶん自分が強烈に露骨に見下されたら治るかもしれません。 それとも見下されるのが怖いから、その前に自分が見下してるのかも しれないしね。
このようなことは、とても微妙です。 もし、30代にしてかなりの地位にいれば、それは敏腕社員と呼ばれていても不思議ではありません。 会社のことで言えば、自分の地位と許される発言や行動のギャップがありすぎるからでしょう。 私も多分にそのような性格ですが、自分の性格を直すよりも相手の良い面を見て悪い面には目をつぶり、肯定的に人を見るようにしないと駄目だと思います。 つまり見下すからには、意識・無意識に限らず相手の欠点ばかりが見えているからなのでしょう。 相手を尊重する気持ちが一番大切だと思います。
- uribou9
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そうですね,手っ取り早いのはボクシングジムに行かれることですね,そこで貴方が治したい傲慢な性格を叩きのめしてもらったら,その性格の改善のとっかかりが出来ると思いますよ。貴方より上の者は数知れない位いることを知るべきです。能ある鷹は爪隠すで本当に賢い人はそれを他人には見せません。いざと言う時にその能力を出すものです。
お礼
ありがとうございました。劣等感はまさにあたってます。 私は友達が極端に少なかったです。そのせいで休憩時間やランチタイムはいつもつらい思いをして過ごしてきました。特に中学がひどかったです。みんな楽しそうだけど自分だけ誰と話すこともできず、机にふさぎこんだまま。毎日毎日その繰り返し。班作りの時間も自分だけ一人余ってしまうような状態。そんな中で強烈な劣等感が芽生えました。 とともに「お前ら全員見下してやる」という考えも芽生えたんです。あたってますね。 ぜひ考えの転換はかってみたいです。