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私はガラスになりたかった。
私はずーと自分は「プラスチック」だと思っていました どんなに傷ついても壊れないから・・。 本当は「ガラス」になりたかった。 こなごなに砕けてしまいたい時がありました。 でも、今私は「陶器」だと気が付きました 随分ヒビが入っていて、いつ崩れてしまうか判りません この様に「自分は何で出来ている」と思いますか そして「自分は何で出来ていたら良かった」と思いますか。 ブロック?レンガ?タイル?・・・・。 自分が思う自分を聞かせてください。
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kininaruさん、こんにちは。 自分のこころはガラスです。 美しいが壊れると元に戻らないし、壊れた破片では人を傷つける凶器となり得るからです。 高校生の担任に(2年間同じだった)『あなたはガラスの様な心で一見美しいが、もろい反面を持ち合わせている。人生何事もなければよいが、そうとは限らない。私はちょっとだけ、竹の様になってもらいたいと思うよ。』と言われたことがあります。 それ以後、風雪でもしなやかな竹になりたいと思うようになりました。 努力はしていますが、難しいです・・・
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- concord
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私は水でできています。 どんな器にも自由自在に合わせることができて、それでいて自分の本質は何も変わっていない。 変化を楽しむために、気体になったり固体になったりしますが、それでも自分の本質は変わりなく、あらゆるものを生かしているし、無くてはならない存在。 水になると楽しいですよ。
お礼
水も自然な自分でいられるから良いかもしれませんね 生きていく為には必要不可欠は存在で いろんな所に旅ができますね ありがとうございます。
- jaria
- ベストアンサー率28% (2/7)
えっと。オレの場合は、「土」ですね。つち。 自分自身を練って形成して、造り上げてあげて、 器にしていくんです。いってみれば、「土器」になるんですかねぇ。 (焼きを入れれば、「陶器」になるかもしれないけど、 自分では、そこまで硬質的なイメージはちょっとない、かな。) でも、傷ついて、壊れて、土に還るんです。 んで、また、練って形成し、造り上げてゆく。 その繰り返し。 器である姿はいっときの姿、 結局は、「土」でしかない自分。 「水」を含めば、再生できるんだ、という根拠のない思い込み。 オレは、「土」であることの意識を持ち続けるからこそ、 傷つき壊れても、生きていけるんですけどねぇ。。 このことって、例えではなくて、 自分が壊れたときには、実際に、自然の土と水に触れるようにしてます。 すると、子供の頃、泥遊びや水遊びをして、自然と一体になれた 純粋さをほんの少しだけ取り戻せるような気持ちになるんですよね~ こんな回答でよかったですか~? 趣旨が違ってたら、ごめんなさいデス。ではでは
お礼
いえいえ違っていませんよ 再生可能なのは希望が持てていいなーと思います いつも希望を持って生きていけれたらすばらしいと思うし 誰だって純粋さは持っていますよね ありがとうございます。
- wa_on
- ベストアンサー率15% (139/920)
クリーニング屋のハンガーみたいな針金。折れないから。 でもかなり曲げる事ができる。そして元にも戻せる。でも元々の真っ直ぐさは戻らない。微妙に曲がったまま。でもさしつかえはないし、曲げると前より便利になったりもする。色んな場面に適用できる。けど私はハンガーなのよ‥という自己主張も忘れない。どことなく貧乏くさい。どこにでもある。けど誰もが重宝する。形状記憶合金のような主義主張はないが、柔軟性がある。そんなヤツです。
お礼
いつもハンガーさんにはお世話になっています 表現力に感動です。 ありがとうございます。
- 389
- ベストアンサー率33% (68/202)
自分は普段から敵意がむき出しなので、喧嘩になることも多々あります。 でも、一度挫折を味わったり、酷い言葉を言われると凹んだまま数ヶ月・・ きっと丈夫だけれど凹みやすいブリキかもしれませんね。 柔軟に優しく受け止められるようになりたいので、理想は布になりたかったのかも。
お礼
ブリキですか、なんとなく判る様な気がします 布も良いですね、柔らかくしなやかで暖かいですよね。 ありがとうございます。
お礼
そうですね ガラスは粉々に壊れてしまう事だけではなく 人を傷つけてしまう事もあるんですよね 強くしなやかで壮大に空に向かって伸びていく「竹」 風に向かっていく事は出来ないけれど 静かに元に戻れるのを待っていられる強さが良いですね。