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30年前の龍谷大学(文系)のレベル(偏差値/地位)
龍谷大学といえば 私は関東在住なので詳しく知らないのですが、 関東でいう日東駒専と同レベルかそれ以上というイメージがあります。 ですが、レベルが上がってきたのは最近で、昔はレベルの低い大学だったと聞きました。 そこで、25~30年前の当大学(文系)の大体のレベルなどを教えていただきたいです。 レベルが判断できるものであれば偏差値でもなんでもかまいません。当時の印象などでもokです^^ では、もしご存知の方がいらっしゃいましたら、ご返答お願い致します。
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25年前(1984年)の京都での私立大学進学の実態 同志社:文句なしに進学 立命・龍谷・京産:就職を意識して龍谷・京産で選択 (偏差値は立命が高かったにも関わらず) 当時、立命館は学費が安く国立の併願として偏差値の ポジションは高く、一見難易の高い大学でしたが、 就職指導が弱く、就職学年の学生は皆、同志社と京産の 就職資料を閲覧していたようです。 その後は、立命の大反撃で、現在のような状況です。 龍谷は、30年以上前は、「仏教」の大学のイメージが強 かったのは事実です。 私立大学のランキングが世間で注目され始めたのは、 1979年の共通一次試験以降の話です。それまでは 国公立の滑り止めでしかありませんでした。 (当時の大学進学率30%程度ですので)
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- montant
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No.2さんの仰る通りです。あの頃の状況が懐かしく感じられました。 25年前は既に産近甲龍と言われていまして、京都産業・近畿・甲南・龍谷はほぼ同レベルでした。龍谷は今以上に仏教系のイメージがあり、就職に強いと言われていた京都産業の方が人気でした。 思い出せば、当時の京都産大は人気でしたね。ラグビーなど体育系が強く、グリークラブも有名だったと思う。おまけに大学祭は京都一面白いと言われていた。立命館は低迷していて、それは左翼系だったということで就職に影響していたとも聞きました。関関同立から外される危険もあったのは当時です。ご存知の通り今では同志社に次ぐ2番人気の大学となりましたが。龍谷のイメージは「仏教系」以外何も無かった。特に話題に出ることもない地味な感じでした。 龍谷は「昔はレベルの低い大学だった」のではなく、現在と同じ中堅上位の産近甲龍の一大学でしたよ。実際偏差値は数ポイント上がっていますが、特別にレベルが上がったわけでも昔はレベルが低かったというわけでもありません。 京都外語大と関西外大ですが、両校とも入試が2科目でしたので(当時の産近甲龍は3科目のみ)偏差値が少し高く出ていました(それは現在でも同じですが)。京都外大は現在と同レベルですが、関西外大は25年前はもっと高く、京外大とは2ポイント位しか変らなかったのを覚えています。単科大離れの影響を受けたのでしょうかね。 産近甲龍は日東駒専と同レベルと見て良いでしょう。ただ数ポイントの偏差値のバラつきは関係なく、入試でも就職でも同じ扱いをされます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 今も昔も日東駒専と同レベルというわけですね。 関西の中堅レベルの大学の地位がなんとなく分かってきました。 ありがとうございました。
さすがに偏差値まで覚えてませんが、 関西の私立文系は、 同志社→関学→立命→関大 その下のクラスが、 甲南、龍谷はほぼ同程度、甲南が坊ちゃん学校のイメージが強かったので、庶民は龍谷へという感じです。後、大阪経済もこのあたりだったはずです。 最近レベルが上がったという感じはしません。関関同立のすべり止めという位置は同じではないでしょうか。 昔と比べて上がったのは、京都産業、京都外語、関西外語。 下がった代表は大阪経済ですね。それと女子大。
お礼
ご回答ありがとうございました。 当時も今もそんなに変わらないんですねー!
お礼
ご回答ありがとうございました。 なるほど、30年以上前は私大のランキングが明確に線引きされていたわけではないんですね。初めて知りました。