忘れえぬ昭和の雑誌とあなたの思い出
インターネットもメールもない昭和の時代。テレビもラジオもさることながら、一番の情報メディアは雑誌でした。
娯楽としてのマンガ雑誌の存在は言うに及ばず、芸能誌、グラフ雑誌、オピニオン誌、ファッション誌、文芸誌、そののちライフスタイル誌、カタログ誌など。友人の部屋を訪ねるとそこにある雑誌でその人の人となりがわかったりしたものです。映画好きはスクリーン、キネマ旬報。鉄道マニアは鉄道ファン・鉄道マガジンなど
CGなどの自動車雑誌。そして平凡パンチ、週刊プレイボーイ、その後のポパイ、ホッドッグエキスプレス、各種ファッション誌。
さて、雑誌の百花繚乱ともいえる昭和の時代をふりかえって、あなたにとって最も印象に残っている雑誌を教えてください。
私は、「平凡パンチ」
東京オリンピックの開かれた1964年の創刊当時は私はまだ小学校5年生で、友達の家でお兄ちゃんが買ってきた平凡パンチの篠山紀信のグラビアや野坂昭如の過激なエッセイをまるで見てはいけないものを(たしかに小学生は見ないほうがいい)みたような興奮状態で体験したものです。
この雑誌が清水達夫・木滑良久・甘糟章・石川次郎・赤木洋一などの歴代編集長、や長澤節、堀内誠一 横尾忠則などの錚々たる社外スタッフが支えていたのはあとから知ることですが。
お礼
ありがとうございました