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他人の言うことに左右されすぎる
私は他人が言うことにすぐに左右されてしまう性格のようです。 ほんの少しひっかかる言葉をかけられたくらいで、すぐに落ち込んでしまったり。 たとえば、単純な私の評価だったのでしょうが、「不器用」と言われてしまったことがありました。 自分で「不器用」だと思ってことはあったけれど、実際に他人にそう評価を受けたという事実に、かなりショックを受けました。 ※この場合の不器用は、性格的な意味だと思います。もっと楽に生きればいいのに、とも言われたので。 何気ない一言を、冗談として流せなかったり 評価を重く受け止めすぎて受け止めきれなくなって信じたくないと思ってしまいます。 また、今年は配属されたゼミの教授にきつく当たられることが多く、私としては理不尽だと思っているけれど、本当はそれは私が悪いのか、と考えていくうちにつぶれかけてしまいました。 どうしてもネガティブになりがちです…。 どうしたらもっとうまく話を受け止められるように、また聞き流せるようになるんでしょう?
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貴方に向かってものをいう人が貴方にとってどういう立場の人物かで変わってくると思います。ゼミの教授だったら少なくとも専門知識については貴方よりはるかに上位にいるはずです。こういう人の発言が貴方にとって重要な意味を持っているのはむしろ自然です。多くはなかなか簡単には対応しにくい難題であることが多いと思います。大切なのはその人の真意を知ろうと努力することで貴方が悪いかどうかを考えることではないということです。教授をやっている人は少なくとも専門領域ではまじめにやっている人だと思います。そういう人の言葉は専門外のことでも一応受け止めてみた方が良いと思います。
>私は他人が言うことにすぐに左右されてしまう性格のようです。 ほんの少しひっかかる言葉をかけられたくらいで、すぐに落ち込んでしまったり。 ハイ、同じです。落ちます上がります抑鬱状態です。(PTSD有り) 第三者は言いますよ、所詮他人事ですからね・・・・責任なんか関係ないし、自分が出した言葉で相手がどんな思いか規範意識などない。 それ位他者とは無責任な存在でも有るんですけど・・・・・ >自分で「不器用」だと思ってことはあったけれど、実際に他人にそう評価を受けたという事実に、かなりショックを受けました。 世の中烙印押すの好きです、学歴至上主義で来た以上仕方がない世相です、肝心なのは自分がどうかなんです。 自分が出来ればそれでいいではないかです、第三者は価値観も偏差値も養育環境も全て各です、それからどんな評価されても異なる当然の摂理です。 落ち込むのも自分、出来たと賞めるのも自分です、要は自尊感情をどう温存するかです。http://homepage3.nifty.com/selfesteem/sectheory.htm 「言われた自分がその時どう感じたか」このケースをどう自分が冷静に対応出来るかがぶれない自分になるか。 最後は自己洞察に世界になるんですけど、追い込んでも自分が自己嫌悪になる、うぬぼれは、自分の奢りになる。 孤高の人物になる事が人生課題その物と思う昨今です。