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子有りと子無しのブログで感じたこと

子有りの方のブログ、子無し(あえて子供を持たない)の方のブログを色々読んでいて思ったことなのですが、 子有りブログが「子育て中の日々の出来事」「同じ子有りどうし情報交換しましょう」的な内容がほとんどであるのに対して、 子無しブログは「日々あった出来事」「同じ子無しどうし情報交換しましょう」的な内容に加えて、 プラスα『子有りに対するちょっとしたイヤミ』が付くのはどうしてなのでしょうか? (例)あくまで例なので、実際にはもっと酷いことが書いてあったりする。 記事の最後に ・「・・・(子無しの意識を一通り述べた後の)子有りの人には到底分からないだろうけど」 ・「・・・(子有りの人を多分に意識した、おそらく近年の物騒な世の中で子育てをすること、 教育に出費がかさんで経済的に大変になることを前提にした)かわいそうに」 などなど、それを付けずに終われば『興味深い記事』で済むところを、わざわざひと言、 それも子有りが聞いたらカチンとくるひと言を付け加えるのはどうしてなのでしょうか? 逆に、子有りブログには、子無しを意識したイヤミなひと言がほとんど見受けられないのはどうしてなのでしょうか?

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noname#89964
noname#89964
回答No.4

自分の発した「イヤミ」によって、 自分自身を味方してもらい、確認し、自分を保ち、足元に安心感を得ている、 といったところだと思います。 だから、 「なんとなく産んだけど自分の想像以上に大変」 「産んだけどこんなはずじゃなかった」 「やっぱり産まない方がよかった」 というような、子ありの弱音や後悔の意見ならば、 意図した子なしにとっては、自分の選択の正しさを証明する安心材料となる。 けれど、 「根拠と決意を持った後に子供を持ち、更に仕事や自由などとも両立させながら子あり人生に満足している」 というのが、子なしを選択する者にとって最も脅威になります。 子ありが皆そろって、 「子育てという罠にウッカリはめられた、不満いっぱいの愚かな女たち」 であればあるほど、自分の選択の賢明さが実証ができて、安心感が得られる。 その願いを総合して明文化したものが「イヤミ」のひとこと、というわけでしょう。 意図した子なしは、必ず何かを、悩んでいます。例え無意識であれ。 しかし、子ありのうちおそらく何割もの人が、それも過去に経験して知った人間の集合です。 人生選択は自力で乗り越えるしかないことも、経験して知っているのだと思います。 だから、「子なしについてとやかく言う必要に迫られた子あり」 というのは、まず、いないのだと思います。

Fio-Rio
質問者

お礼

なるほど、論理的かつ説得力のあるご回答ありがとうございました。 おかげで質問した自分自身の考えの中でモヤモヤしていた部分も整理できた気がします。

その他の回答 (6)

  • ijnkan77
  • ベストアンサー率19% (9/46)
回答No.7

子どもがいる人でブログのあるような人は、自分が子どもを産んで育てているこの日々を楽しんでいる、少なくとも幸せだと思っているので、子どもがいない人に対する嫌味など書く気にもなれないはずです。「授かりもの」ですから、宝物をてにしているわけです。 一方子なしの人は、欲しくてもできない人と、ある考えのもと子どもを持たない人がいるわけで、子どもがいる人への目は結構厳しいものがもともと土壌としてあるわけです。もし自分に子どもがいたら、ああいう子育てはしない、とかいろいろ考えちゃうわけです。ある意味理想を持っているともいえます。 子ありの人は現実にいる我が子の子育てに奮闘しているわけで、子なしの人は、奮闘しないかわりにいない事への葛藤があるわけです。 まぁ、人間どちらに進んでも大変ってことでしょうか。お互い気にしないでよいと思います。いろいろな考えがあってよいのです。 ちなみに私は子ありです。 私の亡くなった親友が子なしで、ある考えを持っていて、絶対産まないと決めてる人でした。だから、私は彼女の気持ちに一歩でも近づこうと結構いろいろ考えたものです。時々、思い出します。 「地球全体では、子どもが増えすぎている。生まれてすぐ命を落とすかわいそうな運命の子どももいっぱいいる。私は、自分の子どもは産まずに、外国の子どもを引き取って育てるかもしれない。」と亡くなる前に話していたことを思い出します。。。 ま、いろんな人がいるわけです。 別に子なしの人が子どもがうらやましいとかひがんだ人ばかりではないですよ。嫌味に聞こえても、それは理想論を語っているからです。、、

Fio-Rio
質問者

お礼

>嫌味に聞こえても、それは理想論を語っているからです。、、 なるほど、これは今まで想像もしませんでした。目からウロコです。 或る意味、子無しの方のほうが「子育てのあるべき姿」を固持できるのかも知れませんね。ありがとうございました。

  • rinaly-k
  • ベストアンサー率17% (126/730)
回答No.6

>逆に、子有りブログには、子無しを意識したイヤミなひと言が >ほとんど見受けられないのはどうしてなのでしょうか? これは露骨に書けば猛烈に反感を買うのが分かっているので、書かないのだと思います。 だって今時このOKの質問だって「子どもがいない人には、分からないのかもしれませんが」等と書こうものなら大変ですよ。 それに子ありでブログをやっている人は、自分なりの幸せに満ちてるんですよきっと。そういう人はおそらく子どもが欲しくて産みたくて産んだ人ばかりでしょう(どう考えたって子育てが嫌な人はそういうブログなんて書かないでしょう?)。 だから、子どものいない人に対して、イヤミ的な発言をわざわざする理由もないんでしょうね。子どもがいる事に満足しているから。 子どもがいなければ自由で良かったのにとか、お金に余裕があって羨ましいとか、本気では思わないでしょうしね。子どもを産む時にある程度覚悟しますからね。 ですが、子どものいない人の場合は、事情が色々でしょうから、そういう事を書く人が一部にいるのは仕方ないのかもしれませんね。 本当にいらなくて産んでいない人は良いでしょうけれど、そうでない人はやはり色々辛い思いをしているのかもしれません。 それに忘れてはいけないのは、そういうはっきり分かるイヤミは書かなくても、子ありの人が書く事に対して、何気ない言葉ですら傷ついている人はいるのだと思います。

Fio-Rio
質問者

お礼

やはり、内容に差が出るのは、背景が異なるからなんでしょうね。 >それに忘れてはいけないのは、そういうはっきり分かるイヤミは書かなくても、 >子ありの人が書く事に対して、何気ない言葉ですら傷ついている >人はいるのだと思います。 確かにそうかも知れません。ありがとうございました。

  • jbc
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回答No.5

こんにちは。 2児の母親です。 スルーするのもひとつとは思ったのですが、 お礼なども拝見して、 回答ではないのですが、感じた事を長々と・・・ この質問を書いている時点で、 貴方もその方達とやっている(言っている)事は変わらないと思います。 お互いを思いやれないと言う点で。質問の意図に他意を感じます。 子供がいる、いないは、 選択してそうしている人もいれば、 不可抗力の末の人もいる事でしょう。 もちろん、ここのカテを見ている人は、 圧倒的に子供が居る人が見ているのだから、 ここで寄せられる回答は、 一方の立場の意見に偏る可能性が多い(公平性に欠ける)訳ですよね。 むしろ、貴方が思う「どうして?」に対して、 正解(本音)を答えられる人の方が少ないと思います。 男の人、女の人、大人、子供、 子供が居る人、居ない人、欲しい人、欲しくない人・・・ 元気な人、元気ではない人・・・ マナーのある人、ない人・・・ 色々な人が居て成り立っているのが、社会じゃないですか? 皆同じなんてありえない。 助け合えればベストだし、助け合えない、分かり合えないとしても、 反対の立場の人を批評 ましてや 批判する権利なんて、 本来、誰にも無いはずです。 時代によって、考え方も変わるし、 そればかりを押し付けるのは、正しいとはいえない。 #3の方が仰った様に、主流の考え方・・・みたいなのがありますよね。 「主流でなくては認めない」風潮があるなら、 そうではない人を追い詰めてしまう事だってあります。 主流だろうが、そうでなかろうが、 お互い理解しあい、支えあえたら、 「主流じゃないから・・・」と外される事も無いので、 少数派が、追い詰められ孤独に陥る事もないでしょう。 主流・・・考え方がまとまっているとか、 多数派があるとかは、別に良いけれど、 一方の考え方を押し付けている時点では、 誰だって息苦しいですよね。 最後は、争いが生じるだけです。 「子供が居るからって何なんだろう・・・」と、この質問を読んでから、 夕方、外で子供を連れて居る親御さんを意識的に見てみました。 もちろん、マナーの良い人も居ますが、全員が全員そうではない。 マナーの良し悪しは、子供の有無には比例していません。 そんなの当然、個人の性質で、 子供がいたって、子供がいなくたって マナーがある人はあるし、ない人はないです。 ベビーカーが邪魔になっても、頑としてどかない人。 それが却って、周りに迷惑をかけていることに気が付かないでいる人。 子供を守ろうとしているから仕方がないように見えて、 よく見ると、避けられる場所があるのに・・・ でも、必死すぎて周りが見えないのか? そう言うスペースにも気が付かないで、 意地になって我を押し通しているんです。 それが迷惑だったり・・・ 狭い店内や図書室など公共の場で 子供が騒いでも、走り回っても、 何も言わない親、ほったらかしにする親・・・ 親にも事情があるのでしょうけど・・・ でも、子供が周りに掛けている迷惑には気が付かなかったり・・・ そんな親御さんやお子様を見たら・・・ 子供が居る人・居ない人どちらからでも、 疑問視されても仕方がないとも思います。 でも、皆それぞれ色々な事情があるんだろうな・・・と思うから、 周りも温かい目で見ていられるのでしょう。 子供が居る私達だって、 どれだけ社会や皆さんに支えられている事か・・・ だけど、子供が居ないだけで、 理由の如何にせよ、支えられるより、色々言われてしまうのが、 今の日本なのだと思います。 だけど・・・ 子供が居ると、人としてどうで、 子供が居ないと、人としてどうで・・・と言う問題なのでしょうか? 否。 主流に漏れれば、見放され、 気持ちすら汲んでもらえない、きついですよね。 Fio-Rioさん、 #2さんへのお礼文「共存できたらいいのに」と仰るのなら、 実際、そう言った方々の気持ちに添え、支え合えていますか? 色々な立場の人が居ます。 その立場になってみないとわからない事だっていっぱいあります。 だから、他人の事を、「ああだ」「こうだ」言うのも良くないし、 何かを言われたからと言って、思った事を話すのは良いけど、 闇雲に批評・判断・批判・・・するのもどうかな?と思います。 もちろん、ブログは公表された個人の日記の様なもの。 個人が感じた事を自由に書く事は、許されます。 ここは、ブログとはまた違いますね。 やはり、色々な立場は、自分で選べてなれる人も居れば、 不可抗力によってそう言う立場の人も居ます。 皆が皆、嫌味を言い合っている訳ではないでしょう。 どちらの方を持つつもりはありませんが、 誰の(どの立場でも)ブログでも、 ただ、実感を述べているだけだったり、 また、嫌味か何かわからないけど、 書かれた事が事実だとすれば、 素直に受け止めれば良い事もだと思います。 子供が居る人達だって、 気が付いてないかもしれないけど、 ある程度の制度や見えない所で支えられているから、 平穏に過ごせるのかもしれませんよ。 支えられなければ、「ブーブー」文句言い出すかもしれません。 まとまりがありませんが・・・・ 支えられた人は、嫌味を言わない事でしょう。 お互い、思いやりを持ちましょう。 自分にも相手にも謙虚にいる事が大事だと思います。

Fio-Rio
質問者

お礼

忌憚のないご意見ありがとうございました。 子有り寄りのスタンスをとっていることは質問者自身も自覚しており隠すつもりもありませんのでお許しを。 その上で「共存できたらいいのに」という適いそうもない希望も持っていることを申し添えておきます。

回答No.3

それは、ブログだからじゃないでしょうか。 現実の社会の中では、結婚すれば子供がいるのが当たり前で、作らない人は?って感じで見られます。 「子供はまだ?」「早く作ったほうがいいよ」などなど・・・両親や友人、職場の同僚などから、耳にたこが出来るほど言われまくるのです。 子供がいて当たり前、女は子供を産んでなんぼ、みたいなことをね。 でも、そんなことを言われても、そっちの考え方のほうが主流だから何も言えずにごまかすしかないんです。 だから、ブログででも日頃の鬱憤を晴らさないとやっていけないんです。

Fio-Rio
質問者

お礼

現実社会でないブログ上だから言えることもあるというところでしょうか。ありがとうございました。

  • tenten37
  • ベストアンサー率19% (93/472)
回答No.2

NO1の方のご意見、ごもっともです。 あと、批判・非難・哀れんだりしないと、自分の人生を肯定できないからなのではないでしょうか? 子有り・子無しで分けずに、仲良く共存できたらいいのにな。

Fio-Rio
質問者

お礼

ほんと、共存できたらいいのに。ありがとうございました。

noname#79850
noname#79850
回答No.1

ねたみ、ひがみ の類でしょうね 子持ち(元 不妊)の人なら 子無し・子ありの両方の気持ちがわかる 不妊の経験がなくても 子無しの自由さはわかる でも 子なしの人には 子ありの人の思いは一切想像できない 嫌味でも付けないと 自分の思考が堂々巡りになってしまって 正常ではいられないのでしょうね かわいそうに。

Fio-Rio
質問者

お礼

なるほど、子無しの方は両方の立場を経験していないゆえの残酷さを持っているということですね。反面、子有りの方はどちらも経験しているので、気持ちに余裕があるということでしょうか。ありがとうございました。

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