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映画「グエムル・漢江の怪物」の矛盾や納得できない所について
- 映画「グエムル・漢江の怪物」には矛盾や納得できない場面が多くあります。怪物の起源や招待、ウイルスの関係などの説明が描かれておらず、わかりにくさを感じます。また、カンドゥの体の変化やイエローエージェントの効果にも疑問があります。さらに、ヒョンソの生死やカンドゥの行動の動機も不明です。エピローグでの少年との同居についても疑問が残ります。
- 映画「グエムル・漢江の怪物」は矛盾や納得できない場面が多く、説明が不足している部分があります。怪物の出現の原因や招待、ウイルスの関係については明確な描写がなく、観客に混乱を与えます。また、カンドゥの体の変化や麻酔の効かない理由、イエローエージェントの効果についても納得がいきません。ヒョンソの生死やカンドゥの行動の動機も謎に包まれています。エピローグでの少年との同居についても詳しい説明がなく、謎が残ります。
- 映画「グエムル・漢江の怪物」には矛盾や納得できない部分がいくつかあります。怪物の出現の原因や招待については明確な説明がなく、観客に疑問を残します。また、カンドゥの体の変化や麻酔の効かない理由、イエローエージェントの効果にも納得がいきません。ヒョンソの生死やカンドゥの行動の動機も謎があります。エピローグでの少年との同居についても意味がわからず、解釈が難しいです。
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この映画は、第三者の視点の場面は、最初の汚染物質を流すところしかありません。 あとは、主人公たち家族の視点で語られる物語です。 つまり、家族の誰かが知らないことは見ている人もわからない。 そういう作りです。 ・最初の薬物が怪物と何らかの因果関係 =>あの家族にとって、薬物が流されたことすら知らないはずです。 従って、明確な場面もありません。 ただ、見ていると明らかに判るんですが、左翼的な思想、 もっと言えば反米的な映画ですので、アメリカが何かを したというために一番最初の描写が入っている気がします。 普通の怪獣映画では、科学者やエンジニアが関わっていますが、 ただの土産物屋の親父さんですから、わかるはずもありません。 ・あの怪物がウイルスの母体であると思われた原因 =>これも見れば判るはずですが、ウイルスの話が出ているのは、 テレビのニュース等のマスコミを通じて流れています。 報道管制が敷かれているという風に推測するほうが自然です。 怪物なら見に来たり、撮影をする人間が出るかもしれませんが、 ウイルスつまり病気なら、近寄る人は大幅に減るでしょう。 さらに川を検疫するために封鎖するというのも自然に行えます。 そもそもウイルスがあるかどうかなんて関係なく、 川に人が近づけさせない理由として、アメリカ軍が 選んだと推測できます。 当然ながら、当事者にはわからないので、あくまで推測ですが。 ・病院でカンドゥが検査を受けますが、何故麻酔が効かなかったんでしょうか? =>この人は最初から眠たそうな感じでしたので、麻酔を少なく見たのかもしれません。 多すぎると昏睡していしまうかもしれませんから。 とは言っても、ちょっとここは映画的な場面です。 ・ウイルスを除去する目的として用意されたイエローエージェント => ウイルスを除去するというのは現実問題として不可能です。 それを知らないはずがありません。 あれは、強力な殺虫剤や除草剤のような毒物と考えられます。 怪物をナメクジやアオムシのような害虫みたいなものだと考えていたのではないでしょうか。 怪物に効いて、人間には影響がないというのは解せないかもしれませんが、怪物は劇中の描写から、排泄器官に欠陥があるように思われますので、薬物を体外に排出できないので、効果が顕著に出たというあたりでしょうか。 推測ですが。 それにしても、この場面が極めて左翼的な映画だとわかるところです。 ・ヒョンソは結局生きていたのでしょうか? =>窒息死しているように見えます。 お父さんは、娘を見ていますよ確か。 息を吹き返した、少年に話しかけたのは、遺言かなにかを聞きたかったのかもしれません。 人工呼吸をすれば娘さんも助かったかもしれませんが、そこは、土産物屋の親父さんですし。 ・エピローグで少年と同居しているのもどう言う事なんでしょうか? =>「同病相憐れむ」という言葉があります。 似たような境遇のもの同士がお互いを慰めるというものですが、 それと同様に、兄を失った少年と娘を失った父が、お互いを慰めるかのように生活をするということなのではないでしょうか。 DVDのライナノーツを読むと、これは誘拐事件での家族ドラマの映画だと監督は言っていますね。 犯人にあたる怪物の生い立ちが入らないのも、そういうところかもしれません。
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- athanasius
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#1です 最後の場面の主人公が落ち着いているのは、さすがに数ヶ月くらいは経っているからでしょう。 映画の冒頭は、状況的には夏か秋くらいですが、ラストは明らかに 冬です。 映画を見ている人には数分後でも、場面的には時間がかなり経過してますから。 「去るものは日々に疎し」というくらいで、いない人のことは、忘れていくものです。 実際、こんなものだとは思います。 写真は、主人公が爺さんや娘さんが死んでしまったことを忘れられきれない、もしくは忘却するつもりがないということかもしれません。 娘さんの思い出も爺さんの記憶も、いつも思い出すところにあるということなのでしょう。 辛いときでも、あの時は良かったなぁと思い出しながら、暮らしているのかもしれません。 もっとも、この辺は、民族的な哲学や宗教観も含まれるところなので、これ以上はなんとも言えませんが。 主人公があの場所を離れないのは、あの場所以外に行く場所がないからでしょう。 冒頭のシーンでも、結構とちる場面もありますし。 それに爺さんが、銃を入手したときは、持っていた金の大半を使っていたはずなので、財産もあるわけではないので、余計に。 主人公もいい歳ですからね。 思い出のある場所だから離れられないという可能性もあります。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、主人公たち家族の視点で描かれているんですね。 辻褄の合う説明が映画内でされていない所に疑問を感じていたのですが、主人公が関わっていない部分が見えない様に作られているのですね。 僕は答えの無い謎が気になって仕方無いタイプの人間なので、こう言った質問をさせていただきました。 映画の内容事態がアメリカやアメリカに従順な政府を批判している様な内容を孕んでいることは観ていてわかったのですが、ウイルスの存在自体アメリカのでっち上げだった可能性もあるのですね。 麻酔に関する「映画的な場面」というのも、よく考えればそうですね。 消化し終えた物を口から吐き出すシーンがありましたね。 まあ、毒物が人間に効かなくて怪物に効いた所も「映画的」なんでしょうね。嘔吐している警官もいましたし、少しは人間にも影響はあったみたいですね。 最後のシーンはまだちょっと納得がいきませんね。 少年に話しかけるカンドゥが、妙に落ち着いて居たのも気になりました。 エピローグの最後に映る写真も気になります。ナミルとヒョンソが写っていますが、二人とも死んだという解釈でよいのでしょうか? 事件の後も川原の売店から離れる事無く、銃を持って生活しているのも気になります。