- ベストアンサー
存在確認の手段としてのセックス
セックスは本当に好きな人とだけ、と言われますけど、 一番愛している人と結ばれる幸運な人の方が、男女問わず少数派のような気がします。 セックスは男性に関しては生理的な射精欲求、 愛している人とであれば愛情表現のために行うものですが、 もうひとつ、 「自分を受け入れてくれる人がいる」 「自分は存在する意味があると確信できる」という 「自尊心の保持」「自己の存在確認」という重要な機能もあると思います。 セックスの相手が見つからないこと、 恋人間のセックスレスが問題となるのは、 単純に性欲を解消できないからということではなく、 異性からセックスを拒絶されることが、 生物(男性・女性)としての存在価値をも否定されることを意味するから、 自尊心を傷つけられるからだと思います。 セックスの相手が見つからない、いても愛がない、ということは、 その人の精神的な基盤を揺るがすという意味で、深刻な問題であり、 こういった「性的弱者」の救済について公的な場所で真剣に考えてこなかったことは、重大な落ち度だと思います。 逆に不特定多数の異性とセックスを繰り返す人については、 真に愛してくれる人を模索している、 セックス相手がいるという「事実」により自尊心を保持している、 という心理があるのだと思います。 こちらの種類の人々の救済も必要なのかなと思ったりします。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
お礼
>社会的生物である人間は繁殖行為の他にもっと沢山自尊心を促す行為はありますよね。 これはまったくそのとおりだと思います。 だけど少子化問題のため子作りしないことが罪悪であるかのように騒ぎ立てられて、 社会的に成功していても家庭がない人間は存在価値がないみたいに思わせる風潮があると思います。 子孫を残せない人には残せない人なりの社会貢献の仕方をしてもらえばいいと思います。 >自分にふさわしい相手を見つけるのも人生の試練の一つでしょう。 そのとおりですね。