• ベストアンサー

男らしさ女らしさはどうなる???

ジェンダーフリーという言葉がありますが、それでは男性が女性を守るという古来からの考えはどうなるのでしょう? 「男らしくしなさい、女らしくしなさい」と言えなくなればこの考えは崩れますよね。それとも、今は男性なんかに守ってもらわなくても生きていくっていう強い女性が増えているのでしょうか? レディーファーストも「女性は一人では何もできないから男性が守るんだ」と言う理由に基づいているから親切にしても怒る女性がいるってのも本当でしょうか? でも、男性に守ってもらいたいといと考える女性はたくさんいると思うんです。男女平等を必死になって訴えるいわゆる知識人の女性と一般の女性との考えの中に大きな違いがあるとも思うのですが・・・。 男女平等やジェンダーフリーなど流行り言葉のように叫ばれていますが、どんどん住みにくい世界になっている気がするのは私だけ?それとも私の考えは古い?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.5

質問者様は男女平等について、世界的な現状と日本の現状をどのように捉えておいででしょうか。 世界のジェンダーフリーの考え方からすれば、日本の男女平等はまやかしにすぎません。 現状の日本は、「男らしさ」を壊しながら「女らしさ」だけが残っている状態です。 まず男女の考え方・感覚の差は、そもそも性的分担に由来すると思います。この点では人間も所詮動物です。 つまり、男性は「所有」をすることが欲求の中心です。豊かな所有(現代社会ではお金などの財産、またはお金に換えられる物や地位など)がなければ、良い女性を得て自分の遺伝子を残すことができないからです。 この点で女性が年収○○円以上じゃないと結婚なんてありえないと発言するのは、男性の役割(性的分担)からすれば当然の発言です。 では女性はどうかというと、自分自身にどのように価値を持たせるかが、遺伝子を残す分かれ道になります。 つまり豊かな所有を持っている男性に対して、自分は他の女性より「価値」がある、「欲しいでしょう」と思わせることが大切になります。 そのために、女性は自分の価値を持ち上げる努力を惜しみません。 (化粧・ファッション・エステから習い事まで、ありとあらゆる努力をします) で外国のジェンダーについてなのですが、基本的には男性の役割、特に所有権を女性にも等しく開放しなさいということが前提になっています。これはもともと財産権自体が女性には解放されていなかった経緯があるからです。(女性は自分のお金とか土地とか持てなかったのです) そのため、財産を所有する際に発生する義務は当然負担するというのが暗黙の了解になっており、仕事・賃金・職権が平等なら「重いものは男性が運んで当然」などの職務放棄はありえず、もし手伝う人がいれば「私にこの仕事をする能力がないと判断されている」として抗議の対象になります。 また最近のことですが、一部の女性が「トップレスで公共空間に出る権利」を訴えました。女性の女性たるアイコン、つまり上記の男性に訴求するメリットを削っても、男女平等の権利を求めた行動を起こしたのです。(もしこれが合法になれば、男性はおっぱいが大きいのちいさいのいわなくなります。昔の日本の女性はあまり胸を隠しませんでしたし、男性も胸に言及することが少なかったようです) 日本の女性は、女性の権利というか性的分担としての女性のメリットを最大限に生かしながら、今まで男性社会であった部分の権利も奪い取ろうとしているように見えます。 簡単にいうと、いいとこどりをして自分の都合のよいように解釈し、社会的な義務や責任は極力避けようと行動しているように見えるということです。 わたしは、これが日本を住みにくくしている原因のひとつだと思います。 女性は高学歴・高収入でも自分より低い収入の男性とは結婚しようとしません。高収入のポストが増えていないのに女性が進出すれば当然男性があぶれます。このときに高収入の女性が低収入の男性と結婚するのはある意味義務でもあります。 つまりポストが増えず女性も参戦してポストの奪い合いを繰り広げた結果、こぼれ落ちる男性がいるなら、高所得を得た女性はそれを救う義務があるということです。そうしなければ社会が貧困層と富裕層に簡単にわかれ、なおかつ少子化が急速に進むのが当然になります。 持続可能な社会と社会への冨の再分配と言う点で、高所得者の義務は以外に大きいのです。 ジェンダーフリーという用語は、アメリカを発祥の地としてヨーロッパも含めて闘争があり、理論武装もされて日本に上陸しています。女子大などでは、専門に教える講座も結構あります。 しかし男性の権利(義務も含めて)、表面だって議論されたことが無い為に、女性がつまみ食いしてもきちんと反論できる体制になっていません。 そのため、なんとなく男女平等が行き過ぎていると感じている保守派が(男女問わず)抗議をしようとしても、理論武装されたジェンダーフリー派に負けてしまうということが起きたり、女性は「権利・権利」と当然のごとく振る舞い、それを男性が苦々しく見ているが抗議できないという状況が生まれるのだと思います。 仕事の上や社会的な権利上での平等はあって当然だと思います。これは男女の別だけでなく、人種や貧富の差でも同様です。 しかし権利の反対側には必ず義務がついてきます。これを履き違えている女性が多いのも事実だと思います。 また男女の恋愛や性的分担に関しては、上記の権利(義務)は一度棚上げにして、考えるべきでしょう。個人の差も大きいデリケートな問題です。ことさらに「今時の○○は・・」とやるからギスギスするのです。この点については男女共に平等論を棚上げにする必要がありますね。

noname#73997
質問者

お礼

もう自分にとっての大切な人を守れば良いだけで、男だから女を守るっていう考えは無くて良い気がしてきました。 権利が平等で、仕事も平等で、収入も平等で、それなのに男が女を守らなきゃないとか危険を冒さければならないってのは・・・ないですね。

その他の回答 (4)

  • yoneda_16
  • ベストアンサー率47% (166/350)
回答No.4

男だから女を守る「べき」、女だから男に譲る「べき」なんてのは窮屈だとおもいますよ。守ってほしい人、守ってあげたい人がいれば男であろうと女であろうとそういう関係になればよいのであって、それをなにか世の中的な標準で判断されるのは息苦しいとおもうのですが。ジェンダーフリーってそういうことでしょ。 強い女性と弱い男性というカップルだって大いにアリだと思うのだけれど、そういうのってジェンダー的にはおかしいわけで、変な目で見られたりするわけですよ。そういう思い込みは窮屈だからナシにしようじゃないかってだけの話でしょ。 文明の発達により、先天的な遺伝子の区別(しかも男女の2つだけ)で役割分担の最適化を行うのは無理になってきて。それでも歴史的な経緯から生まれた思い込みというのは解消されておらず、それが社会のいろいろな面で不利益を生んでいる現実があるわけです。そんなのは思い込みに過ぎない、能力に即して判断しようよっていう主張はすごくまともなものだと思いますよ。 もちろん、どんなお題目でもそれを使用して妙な主張をする人はいます。言うまでも無く、お題目の正しさと主張の正しさは独立です。それは是々非々で判断すればいいだけのことではないかと。

noname#73997
質問者

お礼

参考になりました。 回答有り難うございます。

  • yumitsuki
  • ベストアンサー率52% (167/321)
回答No.3

私も最近の行き過ぎた「ジェンダーフリー」を苦々しく思っております。 確かに、性別で「差別」を行うのは間違っていると思います。しかし、性別を「区別」しないことはもっと間違っていると思います。 「平等」という概念においても、平等な「機会」を奪うのは間違っていると思います。しかし、平等な「結果」だけを求めるのは、もっと間違っていると思います。 男性と女性とでは、身体の構造が物理的に異なるのですから、それぞれに出来ること、出来ないこと、得意なこと、不得意なことがあるのは当然なのです。さらには、脳の構造にも多少の違いがあるらしいので、精神的な面でも先天的に男女差は存在するのかも知れませんし。 ただ、適材適所の考えで社会全体の効率化を図るに当たって、性別という枠だけで個人の能力を判断(実際には予測)するのは、もはや現実的ではありません。その意味で、性別にこだわらず、それぞれの個人が持つ能力を認めて役割分担を行うのが良いでしょう。「ジェンダーフリー」とは、本来、この程度の認識であったのではないかと思うのです。最近、どうも、方向性が見失われて、「性差別撲滅」の意識だけが一人歩きしている気がしてなりません。 なお、男性が女性を守りたい気持ち、これはある意味で男性のワガママなのかも知れません。男として生を受けたからには、強くなりたい。これはもうオスとしての本能レベルの欲求なのではないかとすら思えます。その強さを有効活用し、かつアピールする為に、大切な女性に負担がかからないように努力することに喜びを覚えます。レディーファーストの精神は、その結果として現れる一つの現象だと考えます。ですから、仮に男性が、恩着せがましく、または義務的に、女性に対して世話を焼いたとしたら、女性が嫌がるのも当然かも知れません。 もう一つだけ付け足させて頂きますと、古来の「男らしさ、女らしさ」は、夫が大黒柱として外で働き、妻が専業主婦として家を守る、このライフスタイルが大前提になっていると思います。その意味で、現代社会に即した新しい「男らしさ、女らしさ」が必要となっているのかも知れません。

noname#73997
質問者

お礼

新しい「男らしさ、女らしさ」ですか・・・なるほど。 回答有り難うございました。

回答No.2

このことについて、細●●子が名言を言っていました。 男女に差があるのは仕方ない。身体の構成自体が違うから違いが生じるのは当然。仕事だって男性向け・女性向けがあります。いけないのは差別で、男女平等と言うなら、そこを履き違ってはいけない。 だそうです(確かこんな感じでいっています) 予断ですが、昔、お偉い男性の毒味は女の人がやっていたらしく女性に先に食べさせる事からレディーファーストって言葉が産まれたって説もあるみたいですよ★ 男女平等は、「いい所」を配慮しあえたらいいのでしょうね。 わたしも質問者さんのように思った時期があります。

noname#73997
質問者

お礼

細●●子はキツイこと言う反面、「男を立てなさい」、「女の幸せ男次第」と言うことを言ってましたよね。私も実際はその方がうまく世の中回ると思います。男女平等が浸透していく世の中でこの発言をすることはすごいと思いました。 回答有り難うございました。

  • hirorocchi
  • ベストアンサー率25% (349/1366)
回答No.1

>男性が女性を守るという古来からの考え 体力的な面では男が女を守るということがあっても仕方ないと思います 例えば何十キロの荷物を運ぶとか、エンストした車を押すなど 体力的に必要な状況下では男が女を守るべきかと思います。 それ以外の守るとはどのようなことを言っているのでしょう? まさかと思いますがSEX付家政婦を飼育する旦那様 男の金に寄生するしか生きる手段の無いゴミみたいな寄生虫妻のようなことを言っている訳ではないですよね? >それとも私の考えは古い? 前者であれば古いと言い切れないでしょう 体力差だけは生物学的にも埋まるもんじゃありません。 後者であれば、古いというより化石とか遺物のようなものだと思います

noname#73997
質問者

お礼

SEX付家政婦や寄生虫妻の事を言っている訳じゃないですよ(笑) やっぱり体力的な面では男性がすることになりますよね~。昔からそうなんでそれで良いと思う反面こんな事も考えます。 男女平等で仕事の賃金も同じで待遇も同じで権利も同じ・・・しかしそれにプラスで体力的な事やキツイことは男性の仕事になるわけですよね?もうその時点で男女平等じゃない気が・・・。 ふつうに考えて、守ってもらう立場と守られる立場が平等ってのから無理がある気がします。 回答有り難うございました。