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子どもの頃欲しかったのに買ってもらえなかったモノ

子どもの頃、欲しかったのに親に買ってもらえなかったものってありますか? 私はアメリカンベビードール(?)「キャベツ人形」です。今思うと、なぜあんな不気味なものが欲しかったのか理解できないのですが、当時はかなり魅力的でした。割と高価だったからか買ってもらえず(親もブキミだと思っていたのかも)、友だちのもので我慢してました。

みんなの回答

noname#84210
noname#84210
回答No.15

こんばんは。 子どもの頃、欲しかったのに買ってもらえなかったものって、 執念深く覚えていますよね~。 私が欲しかったのに買ってもらえなかったのは、 「アイビールックのチェックのワンピース」です。 (それなりの年代の人じゃないと「アイビールック」なんて わからないかも・・) 当時同じクラスで、すごくオシャレな女の子がいて、 その子がそういうワンピースを着ていたんです。 なんせ田舎だったので「アイビールック」なんてしている子は 一人としていませんでした。 その子はかわいい子でもあり、もう同じような服が欲しくて 仕方ありませんでした。 親に何かを「買って」ということが言えない子どもだった私は、 とうとうねだることはできませんでしたけど、今でも 思い出すたび、「あーゆー服を着たかったな~」と思います。 (学校の体育で使う運動靴を買ってもらうのでさえ、直接言えずに こっそり置手紙で知らせたくらいなので・・)

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 なかなか奥ゆかしいお子さんだったようで…。 田舎でも「アイビールック」の服、売られてたんですかねぇ? やはり女性は、洋服の思い出も多いようですね。

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  • delsole_d
  • ベストアンサー率20% (89/434)
回答No.14

買ってもらえなかったモノはいっぱいあったような気がします。 いつも「よそはよそ、うちはうち」で変わされていました。 貧乏だったのでお小遣いも少なく、マンガ類「花とゆめ」とか 「リボン」「マーガレット」とかみんな読んでいるのに私だけ・・・ と惨めな気持ちは何度もあります。 私は次女なのでいつも姉のおさがりばかりで、新品は下着くらい。 勉強机は買ってもらえたけど、ランドセルや筆箱などもおさがり。 おかげ様で反動もなく、あまり執着がない人になりました;

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 「よそはよそ!」…私も何度言われたことでしょう(笑)。 反動もなく、いいカンジの大人になれたようで何よりです。

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noname#102042
noname#102042
回答No.13

 こんにちは。  商品名が判らないのですが、ゴムでできたヘビとかムカデとかタランチュラですね。(カワイイ商品名があったら面白いかな)  とにかく母親が、そのてのアミーゴたちに弱くて。  本当に弱くて。  大ッ嫌いらしくて、すぐにブチギレてました。  子供にとって、親と好みが合わないというのは致命的でしたね。  最近、100円ショップで再会したのですが。  妻がブチギレたのでやめました。  夫にとって、妻と好みが合わないのは致命的ですね。

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 ありましたね~、そういうヤツ!あれでどうやって遊ぶのでしょう。眺めて「ウットリ」というカンジなのでしょうか。あれは女性ウケしませんってばッ! 大人になっても、子どもの頃欲しかったオモチャが見つかったら購入したくなるのはナゼでしょう。「落ち着け、お前はいっぱしの大人なんだぞ」と言い聞かせても、懐かしさと、子どもの頃に遂げられなかった想いの方が勝るのでしょうね。

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回答No.12

私はオモチャのトランシーバーとかラジコンカーの類です(笑) 小学生の頃ですね。(10数年前くらいかな?) トランシーバーは友達も持ってなきゃ意味ないし、 ラジコンカーの類は男の子の間では盛んでしたが、女の子で やっている人はいなかったので買っても遊ぶ場所がなく、 どちらも自分で断念した記憶があります。

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も子どもの頃は、ラジコンやトランシーバーってスゴイなぁ…と思ってました。 今のコたちは生まれたときからケータイがあるので、トランシーバーなんてスゴくも何ともないんでしょうね。

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noname#114696
noname#114696
回答No.11

そう言われて始めて自分が欲しい物はどうにか与えられていた 事に気付きました! 今でも心に残る物って無いです~~・・。 強いて言えば身長1メートル(位に当時は見えた)程あった大きな マジンガーゼットの人形ですが、これは弟が買って貰ったので 私が取り返して遊んでいました。 最後まで自分の物ではないと言う悔しさはありますが、自分の お誕生日等にはちゃっかり女の子らしい可愛い物を選んでました。 マジンガーゼットは重りの為に足に大量の砂鉄が入っていて、 壊れるまで遊んで更にまだまだ中身で遊べるなんて凄いと思った 記憶があります♪

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 ひょっとしたら、ご両親と好みが合っていたのかもしれませんね。 マジンガーゼットの人形も、文面を読む限り、事実上回答者様のもののようにお見受けできますケド(笑)。

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  • osanem
  • ベストアンサー率18% (83/438)
回答No.10

40代のおっさんです。 小学生の頃(4,5年生の頃)、スケボーが欲しくて頼んだのですが買ってくれませんでした。家の近くに専用コースが出来て、何人かの友達がよくやっていたので、一緒にやりたくて頼んだのですが、結局ダメでした。ものすごく悔しかったのを憶えています。 でも、確か遠足(5年生)だったと思うのですが冬にスケートリンクに行き、生まれて初めてアイススケートを滑りました。その時には勿論レンタルだったのですが、翌年にも行くことになった時に、何気なくスケートシューズ(ホッケーシューズ)が欲しいといったらポンと買ってくれました。 スケボーよりもスケートシューズの方が、高かったと記憶しているのですが不思議でした。 中学卒業まではスケート場にはよく連れて行ってくれましたし、友達と行くにしても、その度に小遣いをくれました。 思い返すと、私の両親は「皆がやっている、持っている」というのが大嫌いです。私の実家近く(神奈川県の海辺)ではアイススケートは決して盛んではなく、学年でマイシューズを持っていたのは私だけでした。自分でやりたい事を見つけたというのを、気遣ってくれたのかなと今では思っています。

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 回答者様のご両親は、「スケボー」を「チャラチャラした流行りモノ」というイメージでとらえられていたのではないでしょうか…。それにしてもアイススケート、上達されたことでしょうね。ちなみに私はすべりモノがいっさいダメです。

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  • nori21st
  • ベストアンサー率15% (134/862)
回答No.9

「ローラースルーGOGO」です。 近所にデラックス版の「ローラースルーGOGO7」を持っている人がいて。。。 でも中々貸してくれないんですよね! こうして貧富の差を身にしみながら育っていきましたw

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 「ローラースルーGOGO」…カッチョいい名前ですね! でもスミマセン!どんなものなのかわからなくって! したがって「GOGO7」がどんな風にデラックスなのかもわからないのであります!

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  • sumiwaka
  • ベストアンサー率22% (462/2090)
回答No.8

キャベツ人形、懐かしい~ うちの親も買ってくれませんでしたね。あんな気色悪いもん買えるかって言われてました。 買ってもらえなかったものと言えば キャベツ人形もですが、子ども用の毛糸を使う編み機のようなのがあったんです。名前は覚えてないけど、ちょっとした小物を作れるものだったのですが、私:買ってぇ~、母:いらん でしたね。 小学4年生の頃でしたか、ラジカセが欲しくて、8歳上の兄が大学進学で買ってもらってたので、私も欲しいって言ったら、自分で買え、言われて、お年玉貯めて買いました。

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 「あんな気色悪いもん買えるかー!」って言われちゃいましたか(笑)。昔の親って、大した理由もないのに、自分の好みで「買う・買わない」を決めてしまうところがありましたもんね。 毛糸の編み機、ありましたね。「おりひめ」って名前じゃなかったですか?別のもんでしたかね。

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回答No.7

キャベツ人形、覚えてますよ~。 うん、確かに子供向けにしては、人形の表情が怖かったかも… 小学生の時のこと。かれこれ30年ほど前??? 「ろうせき」です。(ご存知の方少ないかも…) なぜろうせきにこだわっていたのかは不明ですが・・・ どんなに泣いて頼んでも買ってもらえませんでした。 (きっと、不要なものと判断したのでしょう。) 数年前、母が旅行のお土産にと、ろうせきをくれました。 あの時のこと(私が泣き叫んだこと)を、ずっと覚えていてくれたのでしょうね。 大人になった今では、ろうせきへのこだわりはなくなりましたが、 母が覚えていてくれたこと、本当に嬉しいです。 勿論、使わずに大切にしまってあります。

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 アメリカの人形ってどれも結構顔がコワいんですよ。 ほほー、「ろうせき」ですか。初めて聞きました。キレイなものなのでしょうね。お母様が覚えてくれていてお土産に買ってくれただなんて、感動しますね。(でも、あの頃買ってほしかったですねッ)

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  • asebi-0806
  • ベストアンサー率39% (1265/3233)
回答No.6

リカちゃんの服です。 リカちゃんとリカちゃんハウスは買ってもらいました。 でも着替えの服は一着くらいしか買ってくれなくて、女の子としてはとっかえひっかえ着せ替えたいのに、それは贅沢扱いで買ってもらえませんでした。 友達と貸したり借りたりして遊べばいいと親は思っていたみたい。 今はいろんなリカちゃんがあって、楽しいですね! 少し大きくなって中学生くらいになると、今度は自分の服があまりに少ないのが不満でした。 制服があるからか、引き出し一段でさえスカスカの量の洋服しか持ってなくて、遊びに行く時着回しに苦労しました。 高校にもなると自分でおこずかいやりくりして洋服を買うようになりましたが、とにかく小さい頃からの「洋服が欲しい!」欲求が満たされるほどは買えませんでした。 月日は流れ、洋服好きだった女の子は着物好きオバサンになりました。 今、いわゆる着道楽です。タンス3棹にいっぱいの着物が入ってます。 人間の欲って恐ろしい!?

marblepico
質問者

お礼

ありがとうございます。 私もリカちゃん派でした(バービーではなく)。ちっこいときは姉の「リカちゃんハウス」と「リカちゃん人形」で遊んでいて、その後しばらく「リカちゃん」から遠ざかっていたものの、小3の時に、新しい「リカちゃん人形」が無性に欲しくなり、一番気に入ったドレスを着た「リカちゃん」を自分で購入しました。回答者様とは違って、洋服をとっかえひっかえ着せ替えたい気持ちは私にはなく、とにかく大好きなドレスだったので、それを着た「リカちゃん」をただ眺めてましたね。 それにしても今は着物ですか…スゴイですね!ものすごい出費でしょう?子どもの頃にいろいろ我慢した反動なのでしょうか…。

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