No.13です。
余計なことかも知れませんが、世の中には色々な人がいると言うことで流して下さっても構いません。(でも、読んでくださいね。)
「伝わった」と言って貰えて嬉しいです。ありがとうございます。
――言いたいことは分かる気がします。
この世に誰一人として自分のことを理解してくれる人がいないかも知れない、必要としてくれる人がいないかも知れない恐怖。
今までは仮想だったのに、現実として言葉になって突きつけられた悲しさ。
…伝わったと仰っていたので少しほっとしましたが、「でも」と私は言いたい。
「たった一人の医者が言った言葉で納得して、終わらせないで欲しい。」
>愛とは、思い込みであって存在しないものだと思います。
そんなことないですよ。
私はちゃんと受け取ったし、注げましたよ。
いつも、惜しみなく注げていないけれど…。
自己愛が勝って見苦しい人間になっていることが多いけれど…。
愛が無かったら、息子は4歳の時に脳炎で死んでいたと思います。
死ななくても寝たきりになっていたと思います。
私のことは忘れてしまったと思います。
優しい先生と看護婦さんが親身になって治療に当たってくれて、
母と夫が支えてくれて、娘が励ましてくれて…。
痛みと音にしか反応しなくなって、眠ってばかりで言葉もなくした息子…。
脳が腫れて、水っぽくなっていると言われて…。
とても元に戻れるとは思えなかった。
でも、生きていて欲しいと思いました。
生きてさえいてくれれば、きっと少しずつでも、元通りじゃなくても今より絶対良くなると思ったから。
お見舞いに行っても寝てばかり、起きても目が半分しか開きません。
最初の頃は物も持てなくて、従姉妹や伯母の名前が出てこなかったり、大好きなアニメを見ても画面を目で追うのが精一杯です。
いつもなら大きな笑い声をあげる場面も夢現。会話も噛み合いません。
今日は話が通じたと嬉しくて、会話を重ねると只の偶然で次の瞬間はがっかりしてました。
少し良くなったと思っても、次の日はボーっとしていたり。
一喜一憂しながら日々を過ごしていました。
でも、少しずつ良くなって、息子は私と夫が帰る頃になると鼻をすすって涙ぐむようになりました。
ある日主治医に、息子が帰る気配を察知して泣くみたいだと話すとそれは無いはずだと言われました。そこまではまだ分からないだろうと…。
でも、後ろを振り返った主治医は息子を見て驚いていました。
やはり息子は分かっていたのです。その日も泣いていました。
息子は淋しいと言う感情を取り戻したのです。
それからは治ろうと、家に帰ろうと必死でした。
それまでは体を起こすのが精一杯だったのに、ベットの中で立ちあっがったり…。
面会に遅れると怒るようになりました。今度は怒りを取り戻したのです。
ここまで来ると欲が出てきました。
最初は命さえあればいいと思っていたのに以前と同じ笑顔が見たくなったのです。
笑って欲しくて、明るいアニメを見せたり、楽しい会話を心掛けました。
すると、ある日ちゃんと笑ってくれたんです。
大好きなアニメの話がちゃんと分かるようになって、私の話も笑ってくれて。
すごく嬉しかったです。今までの人生の中で一番。
先生や看護婦さんに、母に感謝しました。こんなに人に感謝したのも生まれて初めてだと思いました。懇願しなくても愛を注いで貰えたことの幸せを知りました。
今、息子は自分の足で歩いてちゃんと学校へ行っています。
普通学級に通っています。
人より幼い感じはあるけれど、優しい前向きな子なので大丈夫だと思います。
手塚治虫さんが何故、医者になりたかったかご存じですか?
江戸時代から続く医者の家だったから?…それだけじゃないんですよ。
手塚さんは子供の頃に手(腕?)を悪くして、医者に掛かったら切るしか直す方法がないと言われたんです。それでお母さんが息子の手を切らせてなるものかと懸命に治せる医者を探したんです。お母さんが諦めたら、先生と出会えなかったら人生が変わっていたでしょうね。
結局、手塚さんは医者にはならずに漫画家になったけれど、お母さんが奇跡を信じたから、先生がそれに応えようとしたから――これは愛だと思います。
手塚さんのお母さんはお金が無くてもきっと働いて返したと思います。
お金は後から作れても、愛がなければ必要のない物です。
愛を叶えるために必要なことはあっても、お金のために愛があるのではありません。
救ってあげたい気持ち、幸せにしてあげたい気持ちが「愛」だと思います。
――私はそう思っています。
お礼
補足ばかりなのですがこれは意図があるのでしょうか。 それとも単なる興味でしょうか。