「死」は肉体が老朽化して朽ち果てるだけのことで、それまで肉体につながっていた精神(魂)は肉体から離れてあの世に行くだけのことです。
霊視ができる人はその様子がハッキリ見えます。
例えば哲学者プラトンもその様子を著書に残しているはずですし、景山民夫氏の著書「さよならブラックバード」のあとがきに、景山さんと別の女性の2人共、景山さんの娘さんが死んで魂が肉体を離れるのを見た場面と、その後娘さんと話をする場面等を筆記しておられます。
景山さんの娘さんは生前は意識のない重度障害者でしたが、むしろ死後不自由な肉体から離れて後、自由になり喜びにあふれておられます。
このように、あの世の方がはるかに自由なのですが、自由すぎて退屈なので!不自由なこの世に生まれて色々な適度な抵抗を感じながら生きることで生きがいを感じることができる、という面があるのです。
その時に、優秀な魂ほど、逆境を選んでその中でも立派に生きてみせることに生きがいを感じる、というパターンもあるのです。
ちょうど体操選手がいつまでも鉄棒で前回りばかりやっていても退屈であり、それよりは困難であってももっと高度な環境レベルを試してみたくなるのと似ている面があります。
また、この世に生まれると生まれる前の記憶は消されるようになっています。
なぜなら、あの世のことがわかると、そっちの方が気になったりして、せっかくのこの世の人生がおろそかになってしまったりするからです。
ただ、完全にあの世のことをわからなくしてしまうのも問題なので、中には霊視のできるような人も用意され、その様子を伝える、という方法がとられているわけです。
これが真実である証明として、上記プラトンや景山氏以外にも、「前世療法」という本にもありますが、逆行催眠をかけ、その人しか知りえない過去の事実を催眠状態下で語ってもらい、更に前世での人生を語ってもらうと、例えば何百年前の外国に生まれてこのような事件に出会った、と語り、そんな地名も事件も今世では全く知らないのに、現地の文献を調べると事実であったことが判明、という事例は膨大な数が現在も記録され続けています。
ですので、死は肉体というぬいぐるみから脱け出るだけのことであり、それ自体は恐怖であるどころか、むしろ解放感を味わうことになるものです。
ただ、心のあり方によって、あの世で天国・地獄のどちらかに行くことになりますので、そちらの方はある程度心しておいた方がいいでしょう。
心が善なる方に傾いていれば天国、悪なる方に傾いていれば地獄、ですが、地獄へ行っても善なる心に傾けば天国に行けますし、あまり恐れ過ぎるのも逆によくないこともありますし、一応知っていれば対処もとれますので、とりあえずお知らせだけしておきます。
お礼
神の配慮・・・ですか。 ボケが始まるというのは恐怖に加味されたようでビクビクです(汗 でも神の(もっとも私はいかな宗教かよくわかりませんが)ご加護を受けられるのならそれで安心だい、とどっしり構えられそうです。 ご回答ありがとうございました。