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明日死ぬとき何を願いますか。

願いがひとつ叶うなら、何を願いますか。 現実にありえないことであっても、論理的な矛盾があってもかまいません。(意味として理解できることが条件です) ただし、今から24時間後にあなたは死にます。 願いそのものをかなえてくれるかどうかとは関係なくです。 ここでの死ぬとは、死後の世界や輪廻のない死、あなたが完全な無になるという死を意味します。 その条件を変える願いだけは叶えることができません。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.26

こんにちは。偶然にも昨日、隣人の臨終に、立ち会ったばかりです。 早過ぎる別れに、未だ、ショックは消えないところですが 今回のアンケート、これも何かの縁かな…と感じ、答えさせていただくことにしました。 ご質問を拝読し、初めに頭に浮かんだのは 私と同じ病で、長年、入院生活を送る友人に 私の予定寿命の残余期間を、分け与えてあげて下さい。 …というお願いでした。 ただし、このお願いが、実際に、叶えられるとなると 友人の身体へと宿った自分の魂が、友人と共に、生き続けるとも解釈できますし それですと、『死後の世界や、輪廻転生とは縁のない、完全な“無”の訪れ』 という、ご質問の前提条件から外れた結果を、招いてしまいかねませんので この回答は、自ら却下することにいたしました。 その代替案として、ぜひ、叶えていただきたいことは 自分に残された、24時間が終わらない内に 私がこの世に存在した事実そのもの(遺される人々の記憶も含め)総てを、抹消させ 自分を、文字通り、完全な“無”の状態へと、還元してほしい…というお願いです。 具体的には、残り24時間の秒針が動いていく中で まずは、私に係わる人々の脳内にある、私が刻まれたシナプスを始め 私の生きた証となる書類等の証拠記録を、順番に、消去することからスタートし 24時間が終了し、私へ“死”が到来した時点で 私の身体(亡きがら)を、この世から、完全に消し去って下されば、満足です。 OK/gooに遺された投稿も、お忘れなく…。 生まれた時、『この娘は30歳まで生きられるか不明。このまま助からない方が幸せかも。』 …と、医師から予告されたらしい自分ですので 「“死”は“生”と同じく、個々の生物に、運命づけられたもの…」 という割り切りが、物心つく頃には、自然に、できていました。 私にとって、“死”は、いつ訪れても不思議ではない、いわば、身近な存在です。 ですから、今の所、“死へのカウントダウン”への抵抗感は、全く、ありません。 いつ到来するか判らない“死”の影に、無駄に振り回されることなく この世と決別する心の準備を、秘かに進められる今回の提案は 自分には、むしろ、ありがたいかも知れません。 ただ…、肉親より先に旅立つ可能性を持つ者として、常に、思うことのひとつですが 遺された人々へは、自分の死による苦痛を与えたくないと、切実に望んでしまうのです。 家族・親戚はもちろん、友人、知人、恋人など、自分の愛した人達へ向かって “死にゆく自分のことを忘れないで”‥“時々は、想い出して”‥“いつまでも、あなた達を見守ってるから” …等、生涯最後のワガママを、ぶつけることができたら、自分も、楽かも知れません。 だけれども、遠からず死んで、離れてゆくことを知りながら 自分の存在の片鱗を、見送る者の心に託し 遺される身ゆえの哀しさ、寂しさを、この先、事あるごとに与え続けるような真似を 自分は、できることなら、したくないんです。 死にゆく者との想い出は、生きる者にとって励みになることも、勿論あるでしょうけれど 生きている者を、現実に、支えることができるのは やはり、生きている者だけなのですから 故人となった自分との想い出に囚われる時間を その人にとっての幸せを探し出す時間に充ててほしいと、願わずにいられないのです。 というわけで、明日が来るまでの内に 私の存在自体をリセットできる魔法を、ぜひ、リクエストしたいです。 それが叶うなら、残り24時間といわず、いつ命を絶ち切られてもかまわないし ひとり、人知れず、苦しみ抜いて死ぬとしても その宿命を、毅然と受け止められる自信が、私にはあります。 自分にとって、こんな前向きな死、大往生は、他に、ありません。 自分が死んでまで、愛する人達に迷惑をかけるような事態を招かずに済むのですから。 寂しさを背負うのは、旅立つ自分ひとりで、充分です。 (すみません。回答を投稿する直前になって、先の回答者様との重複に気付きましたが  アンケートなので、類似回答もアリということで、ご容赦下さい。)

ehei
質問者

補足

、、ご回答ありがとうございます。 迷いましたが、あえて率直に感想を述べさせていただきます。 これは単純な疑問なのですが、自分の死に対しては割り切りはできても、愛する人たちの不幸は割り切ることができないのはなぜなのでしょうか。 残された遺族、関わりの深かった友人は、そういう幸せを求めているのでしょうか。 僕は、その人たちではないのでもちろんわかりません、 ただ仮に僕が残された者で、大切な人に死なれたとしても、そのことを忘れたくありません。 そのことで自分が不幸になろうと、人生にとらわれようとです。 幸せに生きることが何よりも優先されるとする考え方なら、それもいいかもしれません。 僕はそのように考えれないのです。 もちろんそれは僕の生き方、考え方です。 一人の人間が死ぬとは、ひとつの世界が無くなるということです。 どれだけ幸せであろうと、その事実を離れて、いったい何の人生だろうと思います。 もちろん、僕も家族や友人に不幸せにはなってほしくありません。 僕も多少宣告されている身なので、周りに迷惑をかけたくないという、気持ちとしてはわかります。 でも、そういう人の生死の事実を離れてまで、自分に対しても他者に対しても、幸不幸を問題にしてほしくないという気持ちが強く自分にあります。 しかし、その気持ちの裏側には、結局自分がそのようにこの世からフッと消えてしまうことをまだ受け入れられていないからこそ、僕も同様に、痕跡を残さず消えていく人の死の寂しさを割り切ることができないのだろうか、、、、と、考えさせられました。

その他の回答 (32)

  • suzuryou3
  • ベストアンサー率13% (14/104)
回答No.2

現実にありえないことで、論理的な矛盾がありますが。 二次元に行きてー

ehei
質問者

お礼

ああ、いいですねー、行ってみたいですね。 二次元に行くということが意味として理解できるかどうか微妙なところですが

  • n4330
  • ベストアンサー率24% (215/872)
回答No.1

  永遠の命  

ehei
質問者

お礼

24時間後の条件に反します。

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