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大阪再生、大阪の経済衰退、地盤沈下という言葉について。

昭和49年。大阪出身のものです。 私が中学のとき 「関西国際空港ができて成田の貨物がいっきに関西に流れる。関西のが潤う!!」 「長野オリンピックで関西に人がイッキに集まる!」 「御堂筋線、大阪環状線が24時間運行になる。」 「ミナミが繁栄する!御堂筋線の一方通行が逆になる!」 「気取った東京なんかもうアカン。これからは大阪の時代。」 「これからは大阪や!!」 「大阪がアジアの首都になる!」 この手の話をさんざん塾の先生から、学校の先生から、近所のおっちゃんから、関西ローカルのテレビ(バラエティーや、ニュースの関西ローカル版)から聞かされました。 どれ一つとして実現されていません。 いったいいつになったら実現するのでしょうか。

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  • dust008
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回答No.5

大阪凋落の一つのポイントは、おそらく「バブル」時代かと思います。あのとき、東京でうまくいった成功パターン(ベイエリア開発とかオフィスビル建設等)、東京の企画がそのままの形で関西に持ち込まれ、関西人がそれに乗っかり、やがて「バブル」ははじけ、後に借金が残った。 未だにその後遺症に苦しみ、次の投資ができない。新しい市場が形成されないので、現状の市場に群がる。そして安売り合戦。それが自分の首を絞めるのをわかっているのに、今が苦しいからやめられない。そんな状況では、若い人を新規雇用する力も生まれず、若い人は、チャンスの多い東京を目指す。そして関西では、残された老人が幅をきかす既得権が横行する。市場の停滞。。。。 その悪循環ですね。 東京の企画は、その背景に「巨大な人口」が有るように思います。大したモンでなくても、母数が大きいので、それなりにペイする市場が形成されそれが、次の投資を呼び込む。。。このビジネスモデルをそっくり関西に持ち込んでも成功しにくいでしょう。 これを打破するためには、新しいビジネスモデルの確立以外にないのではと思います。 まぁ、それがわかりゃ苦労はないんですけどね。。

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回答No.4

昭和49年生まれの質問者さんが中学生の時というと、1988~1990のバブル経済真っ盛りの時代でしたね。 1990年の「花と緑の万博」の年の正月番組の録画が、私の家にまだ残っています。偶然数ヶ月前にテープを整理していて見ましたが、浜村淳さんが司会で、出演者は全員、とっても景気いいことを言っていました。 私は滋賀県出身で大阪の大学卒。就職は東京の大企業でしたが、住むのはどうしても神奈川県にこだわりました。東京人になりたくなかったのです。 その頃は、大阪だけでなく東京も、アジアの首都になるような勢いでした。数字は思い出せませんが、大手建設会社が少なくとも100階を越える超高層ビル群を構想したりとか、ありましたから。 そのかわり、東京の地価高騰も半端でなく、上越新幹線や東北新幹線が通勤電車並みに混雑するとか、ワンルームマンション程度の広さが4000万円になるとかの予想もされました。 だからこそ、東京以外の都市が分権要求などの名乗りを上げたのでしょう。大阪だけでなく、福岡や札幌も、それなりの夢は語っていたのではないでしょうか。新潟はローカルなようですが、実は1988年ごろからソ連(まだロシアでない)の船員の中古車購入で国際都市化が進んでいました。 そんな景気が下降したのは、1990年の秋から。以後、日本経済は「10年の空白」と呼ばれる程に停滞。だれも、景気浮揚ができない。 80年代には「Japan As No.1!」と呼ばれていたし、コンピュータや半導体の生産はアメリカを超えた。 ところが、ソフトがバラバラだった。急浮上して他を駆逐したのが、マイクロソフト。そして、アジアには意外な伏兵が居た。1989年の天安門事件で国際的信用を失っていたはずの中国が、1997年の香港返還を目前にする頃には、すっかり「世界の工場」になっていた。 全ては、自分勝手な「夢」だったんです。なぜ夢で終わったかと言うと、夢を現実にするチャンスに、的確に動けなかったからです。また、情報収集力が弱く、ライバルや新興勢力の動向に気が付かなかったのです。 「いつになったら実現するか」ですか。 これは、上岡龍太郎さんが現役の頃から、よく言っておられたことですが、「東京をライバル視している間は、東京を越えられない」。 私は、ここにもうひとひねり加えます。「ライバルは、上海だ,ロサンゼルスだ,ミュンヘンだ」。どれも、首都ではないけれど、首都以上の経済力か、首都と異なる強い文化発信をしている大都市です。 こういう都市をライバル視しないと、大阪は発展しません。とりあえずのライバルは、上海です。同志も、上海です。東京や北京の真似は要りません。 こんな回答で、如何でしょうか。

kokku5555
質問者

お礼

的確な回答ありがとうございます。 最後に思いました。 首都圏にはっきり言って、関西人多過ぎです。 大阪で生まれた有能な人も、進学や就職、または20代後半で一皮剥けた時、「さーこれから活躍!!」 って時期にみーーんな東京に行きます。 「西日本の中心都市」と言っておきながら、「東京へいってらっしゃーい。」がある限り他の地方都市と何ら変わりないんです。 大阪って「戻ってらっしゃーい!」って運動があるのでしょうか?

回答No.3

>「これからは大阪や!!」 >「大阪がアジアの首都になる!」 このあたりのことは、ギャグのひとつだと思っていました^^; 「日本の中の外国」こういうのもよく聞きます。 私は「永遠の二番手」でいいなぁと思っています。 二番手こその奔放さ、創造性、多少の責任・・・ もしも大阪が首都になって、関西ローカルテレビが全国向けになったら、 きっとつまらなくなってしまう・・・。 諸外国のおえら方がたびたびやって来ては道路を独り占めしたり・・・ 大阪なら、年に数回で済みます。 「洗練」と「くたびれ」がいい具合に混ざり合った、ちょっと小汚い感じの大阪が大好きです(汗)。  

kokku5555
質問者

お礼

「ギャグやからええねん。」で関西空港や、無駄な第三セクター作ったのですか? あなたみたいな「ギャグやからええねん。」で片付ける人が多くて大阪はどんどん衰退したんですね。

  • dust008
  • ベストアンサー率28% (2/7)
回答No.2

やはりいずれも、昔の「大」大阪の復活・・の観点から抜けきれないモノばかりです。 昔はすごかった、もう一度あの大阪を!ですね。 これはおそらく無理でしょう。只、違う形での大阪の復権はあるかも知れませんね。道州制の導入なんてのもありますから。。。。

kokku5555
質問者

お礼

そうなんです!! 私は大阪出身で東京に住んでいますが、大阪に帰るとかなーーらず同級生、親戚のおばちゃんに 「東京住んでんの!」「カッコエエ!」 から始まるのですが、だんだん 「やっぱり大阪がエエやろ。」と話題の方向が変わってきて、最終的に、 「食べ物マズイやろ。」「昔は大阪の方がすごかってんぞ!」「上方ゆーのはな。」などなど、自分が生まれてもないような過去の大阪の繁栄していた話を始めます。 小学校のとき大阪市歌を覚えさせられました。3番の歌詞が「アジア1の商工業(商工都市?こんなんやった)」でした。 これっていつの時代をさすのでしょうか。。。

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10265/25670)
回答No.1

>いったいいつになったら実現するのでしょうか。 これだけ東京に一極集中してしまったらもう無理です。 横浜にも抜かれ、大阪は大都市のひとつになってしまいました。

kokku5555
質問者

お礼

そうですね。 私は大学から東京に住んでいます。 阪神ファンなんで、関東の阪神戦は土日だったらほぼ全試合見に行きます。 横浜スタジアムのレフトの阪神ファンの約半数は関西弁です。 その中でも会話で関西から応援しに来たのか、こっちに住んでる人かすぐ分かります。 前者の場合...ホテルや帰りの新幹線や飛行機の話題が聞こえる。その人の周り全員関西弁。 金本がデッドボール当たられた(当てられそうになったとき) 「甲子園やったらボコボコやぞ!」と俺は関西から来たんじゃ!とアピールする野次を言う。 後者の場合...子供、奥さんが標準語。本人の関西弁がさんまのように「そうなんだ。」のように節々に標準語が出てしまう。 いずれにせよ常連は、こっちに移り住んだ人と思っていいでしょう。(私もそのうちの一人ですね。笑) いやーーー、、とにかくここ5年急速に後者が増えました。 やはり大阪の人も東京一極集中を感じるんですね。