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一人っ子が日蓮宗の新盆と一周忌について悩んでいます
- 昨年9月に父を亡くした一人っ子です。父が檀家であるお寺で葬儀を行いましたが、自身は無信仰であり、祖母や母の年忌供養もあまり覚えていません。今後の忌日供養について悩んでいます。
- 父の住んでいた古家は荒れた状態であり、壊すことも費用がかかります。お仏壇や位牌も古家にあり、兄に掃除を頼んでいます。自身はお墓参りは年に一度だけ行っています。
- 一周忌と初盆を一緒にすることは非常識でしょうか。自身は日蓮宗であり、費用も自身が負担するため、供養に対して重圧を感じています。しかし、将来自身の子供には葬儀やお墓は必要ないと考えています。
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宗派は違いますがお坊さんです。 私もお布施で食べさせていただいている身ですので、今回のようなご質問を見ると複雑な気持ちになります。 私の個人的な考えでは、「呼びたくなければ坊さん呼ばなくてもいいし、務めたくなければ年忌法要も務めなくていい」です。 説教臭くなりますが、仏教を含む宗教とは、一言で言えば、自分の命について考えを深めて、そうしてこの世の苦しみから救われるためのものです。決して、付き合いからや、タタリが怖いからやるものではありません。 私ども僧侶は、葬儀や年忌法要を通じて、命について考えていただく(普段はなかなか考える機会がなくても、大切な人とのお別れに際しては”人は死んだらどうなるんだろう”とか”どうしてあの人は死んじゃったんだろう”とか考えますよね)ように働きかけていきます。uraura666さんは、残念ながらそのように感じられなかったようなので、無理して年忌法要を務めることはありません。「億劫というか煩わしい気持ちを抱きながら供養していくのは違う」と私も思います。 お願いとしては、僧侶を呼ばなくても、法要を務めなくても、お父様の死を通じてご家族の方が命について考えていただく機会を持っていただきたい。そして、お子様にも命についての親の考えを伝えていただきたいです。供養とはそういうことです。 ここまで書いてきたことと変わってしまうのですが、実際的には法要を務めないというのは親戚等の手前もあり、難しい部分もあるのですが、葬儀もご家族だけでということでしたので、そちらは大丈夫なんですよね。 葬儀や墓というのは大切な人を失った者がその別れを受け止めて、その後も死者とつながりを保つための儀式であり、装置でもあります(必ずしも上手く機能しているとは言えませんが)。まだずっと先のことかもしれませんが、自分の葬儀や墓が要らないというのは、よくよく考えた上で決定してください。
お礼
不快な質問でしたでしょうに、ご回答ありがとうございました。 たぶん私も疲れており、人に会いたくない今の心境も影響している のだと思います。 法要の場所や、おときの手配など、(今まで父の自宅に来ていただいたので)掃除に帰らないといけないなとか、親族、父の友人にも連絡 しないといけないか・・とか(家族葬でしたが、実際批判は多かったです)そんなことが憂鬱にさせるのだと思います。 お坊様にお会いすると、手厚くご供養していないことへの後ろめたさ を感じるのでしょうね。 慣例に沿うと、自分にはその通りにやっていくことは負担だし、できる 範囲でやろうとすると、非常識に思われやしないか考えてしまって 結局なにもかも嫌になってしまうのです。 HPで検索すれば、お盆には提灯を用意して準備もたいそうですし。 初盆は特に大事とあります。 なんとか無事ご供養できればと思います。