ベッドシーンにおけるヌードの必要性
ハリウッドでは、ヌード(乳首まで見せる完全ヌード)は敬遠される傾向にあり、ベッドシーンであってもヌードは見せない描写が主流になりつつあります。
しかしながら邦画界では、リアリズムか何か知りませんが、未だにベッドシーンやるなら完全ヌードが正しい描写の仕方、みたいなのがあると思うのですが、本当に正論だと思いますか?
結局のところ、上記の主張は男性の目線でしかないと思うんです。実際に映画界は男性社会だし。
ちなみに私は男性です。
去年公開された「海猫」という映画について、ある男性評論家が「伊藤美咲が諸般の事情でヌードになれなかった時点でこの映画は失敗した」の旨の評価をしてました。
正直、こういう評価の仕方の根拠がわかりません。
エマニュエル婦人のような映画なら、完全ヌードじゃないと表現が伝わらない、というのはわかるのですが。
乳首まで見せないと伝わらないベッドシーンが必要な映画なんて極々一部だと思うんです。
たいていはそこまでしなくても伝わるはずです。
例えば、映画版のプラトニックセックスや高校教師は、乳首まで見せてないと思いますが、ちゃんと原作のテーマや雰囲気やベッドシーンを表現して伝えてたと思います。
要は見せ方1つだと思うんです。
乳首まで見せたやり方は生々しくて重くベッタリした雰囲気になって、逆効果だと思うしそこまで必要だという根拠がわかりません。
みなさんはどう思いますか?
完全ヌードじゃないと伝わらない部分って、何だと思いますか?
乳首出す出さないで、作品の評価が決まるなんてあるのでしょうか?