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「子どもじみていて醜い自分」を変える方法
今年新高校2年生になります。 自分は優越感を感じたがっていたり、周りに特別視されたいと思っています。 昔から割とそういった傾向はあったのですが、高校生にもなってこの性格は如何な物かと思います。 誰しも持ちうる感情ではあると思いますが、私はそれが顕著である気がしてなりません。 昔はその性格ゆえ「周りには負けない」「私は周りとは違う」という姿勢で勉学などに取り組んできました。 けれどもこの年齢になってやっと「自分は特別でもなんでもない」ということに気が付きました。 すると段々気が抜けていって勉学も疎かになり、自分の将来像を思い描くのが億劫になってきました。 否、将来像を思い描いても努力をすることが無くなって来ました。 ただ、他人と自分を比較して優越感に浸ろうとする浅ましい行為は続いています。しかし自分が「ただの人間」であることを悲観し、他人と自分を比較する行為は最早自分を貶めるようになっているように思います。(自分の悪い所ばかり目に付くようになりました) 私は自分が嫌で、殺して欲しいほど恥ずかしいです。 けれど同時にこの状況をどうにか打破できないかと考えています。 どうしたら素直に物事に向き合えるようになりますか? どうしたら見栄を張らずに生きていけますか? 損得勘定ばかりしている自分が本当に嫌です。 読書をしてみたり、服を買いに行ってみたりしましたが、そこから何を得ているのか分かりません。(現実逃避のように読書をし続けていますが…) 悩み癖がついて身動きがとれません。考えすぎるのをやめることもできません。 ぼうっとしていて涙も出ません。 乱雑な文章で申し訳有りません。 皆様からの助言を切に待っています。
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- HOPinDEER
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こんにちは。初めまして。何かお力になればです。 まず、15歳?16歳。自分を視ると云う事ができてくる年頃です。 また回りと自分を照らし合わせてどうかと言う考えも芽生え始めます。 客観的に視る、それが大人への一歩なんですよ。 とても自然な成長過程といえます。 ただ、そのようなご自分を「子供じみている」「醜い」と感じたご質問者様ですね。 いえいえ、そうじゃないんですよ。そこでご自分を卑下しないで下さい。 特別な自分。15~16歳で100Mが9秒台で走れたり?飛び切り容姿がモデル並だったり?そのような事をそうですね、簡単に「特別」と言うのかもしれませんね。 でも、何が特別?それは個性ですよ^^。一見特別でなくてもあなたの個性はもはや必ず存在するのですよ。 個性は自分が感じたり、人がその個性を特別視したりします、いわば、あなたの個性が誰かに気に入ってもらえたりその反対も在るのです。 人には千差万別の価値観考え好みがあって当然ですから、あなたが特別でないと思っていても誰かには特別の人にもなれますよ。 >>自分は優越感を感じたがっていたり、周りに特別視されたいと思っています。 誰にでもありますよ、そうやって自分で自分を励まし支えて頑張ろうと思うのです。 >>昔はその性格ゆえ「周りには負けない」「私は周りとは違う」という姿勢で勉学などに取り組んできました。 誰もがこう思って目的に向かい頑張ってます。個性はお大事に^^。 >>すると段々気が抜けていって勉学も疎かになり、自分の将来像を思い描くのが億劫になってきました。 特別でないと思い始めたからですね。でも誰かには特別に見えることは必ずありますよ。 ご自分を見失わないように、また頑張りましょう。 >>私は自分が嫌で、殺して欲しいほど恥ずかしいです。 思春期の大人版ですよ^^。誰もがこう思えるときって在るんですよ。 恥ずかしい事って言ってもその時はご自分が納得して頑張れたり、した事でしょう? それはそれ、もう一歩思考して、「若かったんだなぁ^^;」とか、大目に観てあげれるご自分を創ってください。 誰もが自分を恥ずかしい時、その時はもうそれに夢中で後から思えば、「大人気なかったなぁ^^;」とか思えるものですよ。 自分を恥ずかしく思える時期、思春期で大人への1歩の時です。 大した事ないですよ。 恥ずかしいのならこれからはこうしよう、こう生きてみようという新たな自分像を考える事ですよ。 そこからまた新しい自分は日々作られていくのです。 恥ずかしいあなたはそんなに恥ずかしい事でないのですよ。 大きく自分を見て、そして自分で自分のこれからをまた作るのです。 そうこうしてると思春期は抜けて大人になっているのですよ。 がんばってくださいね、好きな自分になれるように。
- morino-kon
- ベストアンサー率46% (4176/8936)
お金、ファッション、流行、成績・・・。 これらは、人間の決めた価値基準ですね。 人の評価や価値基準が気になってしょうがないひとは、そのようなものから離れてみるのが、一番だと思います。 たとえば、夜空の星を観察してみる。 人間の一生も、何億光年の世界からみれば、宇宙のまばたきにもなりません。 山に登る。 下界のことなど、アリの動きのようなものです。 海に沈む夕日は、どんな宝石よりもきれいです。 周囲の評価なぞ、狭い世界の隣近所のことのようにおもえます。 世界基準で考えてみると。 体を動かし、自然のなかを歩くことをお勧めします。 山でのマナーは、下界の肩書は関係ありません。
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 私は自然に触れることが好きです。 けれどそれらに触れてまた実生活に戻ってきた時、私はまた元に戻ってしまうのではないかと思います。 どんなに気分が高揚しても、自他の比較によってまた、自分の悪いところ探しが始まってしまうのです。 私の視野自体が狭いばかりに、私は世界の広さを認知できません。 折角のご回答に対し、否定的な言葉ばかり述べてしまう事をどうかお許しください。
補足
回答者様の仰るように、新たな自分像を考えようとしたり個性なのだと思うように思考を転換させようとしたりしましたが、いまいち上手く出来ません。 自分を見失わないように、と仰られておられますが 自分というモノはどんなものだろうと考えてしまいます。 見失ってしまった方がいいような自分ばかりな気がします。 全然変わらない気がしてしまいます…。