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WRCグループBの廃止について
先日古い友人と久しぶりに80'sWRCの話で盛り上がったのですが、 「86年にランチアのヘンリ・トイヴォネンの死が契機となってグループBは廃止になったが、それまでにも事故は多発しており、トイヴォネンという若きヒーロードライバーの死をもってしてやっとオフィシャル側は重い腰を上げた」という認識であっていますか? それが正しいのであれば何故、事故を重ねつつもグループBは頑なに存続し続けたのでしょうか? ・「命のやりとりをするような危うさもラリーの華」というような認識が当時のファンにはあった気がする ・危険だからこそ人気もあり、興行収入?の面から止められなかった といったことが二人で話していて思いついたのですが、実際どうだったのでしょうか? なにぶん二人とも当時は中学生…深い事情は知る由もありませんでした。 よろしくお願いします。
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お礼
詳しい回答有難うございます。 >実際グループBの廃止に対してプジョーがFIA相手に訴訟を起こしましたし 初耳でした。確かにメイクスにとってみれば簡単に移行されてはたまりませんものね。 「好き放題できた夢のような時代でもあったし、誰もが狂気に駆られた悪夢のような時代でもあった」と、どこかの国のモータージャーナリストの言ですが、まさにそんな感じがしますね。