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吉原仲之町のこと
こちらでいいのか分からなかったのですが質問させて頂きます。 私は歌舞伎が大好きでよく見に行きます。中でも吉原が出てくる演目が好きです。仲之町のメインストリートには春になると満開の桜が咲いている様子が表現されますね。 そこで気になったのは、春以外の季節には仲之町に何が植わっていたのでしょうか?何かの本に一年中何かしら植物が植わっていると書いてありました。 夏・秋・冬は何が咲いていたのでしょう? 一番知りたいのは10月~12月あたりの冬には何が植わっていてかとても知りたいです。 ご回答お願致します。
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こんにちは まず、仲の町に「桜並木があった」わけではないようです。 正確には、毎年花の季節だけ植えて、花が終わると抜き去ります。 おそらく専門の「木作り(造園業者)」のかたがまたどこかに植えて、翌年咲かせて、また吉原に植えるのだと思います。 チナミにこれは寛延2年(i749年)から、江戸末期まで、100年以上やっていました。たぶん明治以降もやっていたかと思います。バブリー。 なので、そうしたければ四季折々どんな花でも咲かせることができます。 花壇とか植え込みというよりも、ディスプレイと言った方が近いでしょう。 桜のほかに有名なのは花菖蒲で、これは五月、六月(今だと6.7月ごろですが)に小川も作って水を流して橋をかけて、川のほとりに植えました。花がひと月もたないので2ヶ月、2回植えたようです。 七月(今のお盆の頃)は灯籠を出します。盆灯籠ではなく、この時期に死んだ玉菊という遊女を偲ぶもので、玉菊灯籠と呼ばれます。今はまず出ませんが玉菊が主人公のお芝居も存在しますよ。 八月(略)は「俄狂言(にわかきょうげん)」が出ます。男女の芸者がそれぞれに可動式の小さい舞台の上でお芝居のまねごとをします。「俄」というのはもともと「即興」「アドリブ」みたいな意味ですが、ここでは座興のちょっとしたお芝居のことを言いますよ。 舞台を何台も連ねて、仲の町の茶屋一軒一軒の前で順番に出し物をやりました。 みたいのが主なディスプレイ&行事です。 ほかにも季節折々の草花を好きなように植えた(というか飾った)ことでしょう。 冬は、具体的な資料がなくて申し訳ないのですが、今の11月くらいまでは菊が植わっていたと思います。 菊は、珍しい品種を専門に栽培する業者がおり、咲いてから大きなお屋敷の庭に移植するような商売が盛んでしたので、吉原にも普通に植えたでしょう。霜にあたると菊は赤く色が変わって美しいので、それを楽しみながら12月近くまで持たせるでしょう。 そして、お芝居の「菊畑」に「この花のあと(冬になって)もう花はないと思うとひときわ菊の色が心にしみる」みたいなセリフがありますので、菊の後、春の梅まで花はないかもしれません。 まあとにかく、「四季折々の花が咲く花壇や植え込み」があったわけではないようなので、 毎年、桜などの主な行事以外はとくに決まってはいなかった可能性が高いです。 ついでに、明治18年12月5日の吉原仲の町の描写を見つけたのでかいつまんで書くと、 道の両側にガス灯がずらりと並んで見世先の提灯もあるので昼のように明るく、 さらに道のまん中(桜が植えられる場所かと)にもずらりをガス灯がならんでいる というかんじです、道はたいへんよく整備されていたようですが、草花についての描写はないので12月時点でとくに花は植えていなかったようです。 まあ明治ですから少し条件は違いますが(ガス灯とか人力車とか)、町全体の気風はまだ大きく変わっていない時期だと思うので一応書きます。 中途半端な回答で申し訳ありません。
お礼
somikakuda様、とても詳しくご回答くださってどうも有難うございます。私が知りたかった事が全部分かりました! 七月、八月の行事、お祭りなども教えて頂きとても参考になりました。 やはり12月を過ぎてしまうと梅まで花はないのですね。 実は今吉原に関する小説を書いてまして、設定が冬(10月~12月)なんですね。この時期の仲之町を描写したいのですが春、夏は資料があったのですが冬がなかなかなくて困っていました。 でもsomikakuda様の回答により私のイメージはとても膨らみました。 URLまで頂きましてとても助かりました。 本当に有難うございました。