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子供を亡くした親の気持

こんにちは。 子供を亡くすと言う経験をしています。 何よりも自分の可愛い子供・・・ 自分にとって宝であり、全てであった かけがいのない小さな子供が、 自分より先に亡くなるなど、ただただ悔しく、悲しく、辛く・・・ どうしようも説明できない感情が渦巻いています。 さっきまで生きていた子供の呼吸が止まるなど、耐えられず、 気が狂いそうです(内心は、狂っています)。 何も手につかないし、眠れないし、 呼吸して生き抜ければ良い・・・と、慟哭の日々です。 そうは言っても、 どんな人だって誰でも辛い事はあるし、 実際は、会社に行ったり、 ご近所ともお付き合いしないといけないので、 そんな姿を見せてばかりは居られませんので、 外に居る時は、我慢して普通に振舞っていますが・・ (子供を亡くした悲しみは一生変わりません、消えません。 世間のお祝い事にも、無感情です。) 外で子供を見ると複雑な思いになったり、 思い出が一気によみがえり、胸が張り裂けそうになります。 時には、親切に遊びのお誘いをして下さる方もいらっしゃいますが、 到底、同世代のお子様の居る所に遊びには行けそうにないです。 その場に居るお子様がどうとは思わないのですが、 どう説明すれば良いのでしょう・・・胸が張り裂け、苦しく複雑な気持になるのです。 また時には、励ましの言葉や色んな声を掛けて頂けるのですが、 それが実は傷付いてしまうワードであったりします。 「ママが笑顔で居ないと、子供がどうだ」とか 「泣いていたら、子供がどうだ」とか  ←(泣かない親は居ないでしょう? 脅迫?) 「元気を出して」とか            ←(元気出ると思う?これで精一杯です。) 「子供を産みなよ」とか         ←(それと、これは別の話。1人1人、かけがえがないから。) 「子供が生まれたの。○○について教えて・・」とか ←(ごめんなさい、今、私余裕ないです) 「子供の詳しい状況を・・・」とか     ←(無神経な質問に胸が抉られます) 「運命(○原さんの本に・・)」とか 「千の風に・・・」とか           ←(個人差があると思います。私は嫌いです) 陰で 「あの人が / あの家の・・」とか ・・・ でも、お気遣いに「どうもありがとう」と言うのが精一杯で、 本音は↑の(  )内の言葉です。 また時には、我が子の事は全く無視した会話になっていて、 とてつもなく落胆したり・・・ 申し訳ないのですが、 実は、お気遣い頂いたのに、こうした言葉などに、 却ってすごく傷付いたり、疲れてしまったり、 寝込んでしまったり・・・ どう正直に気持を打ち明けて良いか悩んでしまったり、苦しいです。 所詮、他人事ですし・・・ こう言った事は、経験や感覚の問題の為、解りようがないでしょうから、 説明してもなかなかうまく理解してもらえない事だと思います。 当然この状況も、周囲も困惑するでしょうから、 周りとの付き合いが難しくなってきました。 特に周りのママ友の反応が辛く、視線が痛いです。 こちらから挨拶をしても、 そっぽを向かれたり、気付かぬフリをされたり、逃げられたりするようになりました。 ( 私悪いことをしたのかな?  お子様から遠ざけたいのかな?  自然に挨拶しているだけなのに・・ )   急に突如距離を置かれたり、 避けられたり(だけど、視線はこちらにじろ~)、 こちらの挨拶を避けるのに、憶測や噂だけは流していたり・・・ 本当に、気が滅入ります。 経験しないとわからないことでしょうから、 仕方がないことでしょうけど、 大切な人を亡くした状況や感覚も、 個人個人認識は違うでしょうし、時には誤解もあることでしょうし、 (時間がたてば、気持は勝手に復活すると思われているかもしれないし、 死を納得していると思われているかもしれないし、 ↑私は「NO!」です 。) 誰もわからない・わかるつもりもない事かもしれません。 それだけに、避けられたり、変な反応をされたり・・・ とても疲れてきました。 ( 別に、こういった話に限らず、  「ママ友に避けられます」なんて悩みは、どこでも良く聞く話ではありますが・・・) 細かい感覚は、伝えようがないのせ仕方ないのですが・・・ この様な状況や気持をわかる方、いらっしゃいますか? この様な気持や状況を説明したり、人間関係の対処法などありますでしょうか? 何でも良いので、 色々なご意見をお聞かせ頂けると有難いです。 宜しくお願い致します。 ただ思うのは、 どうか、我が子との思い出を忘れないで・・・ それだけです。

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  • megu7033
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回答No.16

こんにちは。始めまして。今のご気分はいかがですか? 私も、一年半前に、子供を難病で亡くしました、。 2年間の壮絶な闘病ののち、13歳で愛する息子は、旅立ちました、。 貴方の文章に出会いました、。これも、何かのご縁でしょう、。 貴方の書かれている、一言一言が私なりにですが、理解できるような気がします、。 私も、この一年半、どこをどうさ迷い、今にいたっているのか、まだ、半分も理解していません。 ある時は、精神病院の病棟で静養していたときもあります、。 ある時は、京都のお寺にたたずんでいたときもあります、。 ある時は、息子に会いたくて、睡眠薬をのんで浜辺にたおれてたときもあります。。 自分を責めて、医療を責めて、行き場のない悲しみに世間から遠ざかり、また、誰かに理解されたくて、優しい人のドアをたたいたり、助けてくれと叫んだり、、、。 でも、最近思います、。皆、忙しいんだなあって、、。 皆、忙しいみたいだよ、。自分のことで手がいっぱいみたい、。 たとえ、それが、テストの成績でも、今日の夕飯のメニューのことでも、、。 ねえ、わからない人は、わからないでいいじゃない、。 私たちだって、わからないときがあったじゃない、。 聞かない人はきかないでいいじゃない、。知ろうとしていないんだもの、。 経験もないのに、わかったような口を利く人は、ああ、愚かだなあって許してあげればいいじゃない、。 私たちだって、世の中にあるすべての苦しみを知っているわけじゃないもんね、、。 私は貴方の文章に出会えて良かった、。 ひとりぼっちじゃないと思えたから、。 それは、わかっていたんだけど、具体的に貴方という人に出会えてうれしいよ、。 元気だして、、なんて、言えるほど、私も元気じゃないけれど、、でも、元気出して、少し、できれば、笑って、。 私ね、息子が今は、胸にやどって生きてるんじゃないかなあ、、って思いだしてる、。前は、子宮だったけど、。 今は、姿がみえないけど、胸の中で、ちょっとずつ息してるんじゃないかなあ、って、、。 だから、時々、胸をさすって、深呼吸して、大きくなあれ~~って思ってる、。 そしたら、そのうち、ぱあって、息子の笑顔のような真っ白な薔薇の花が胸に咲くんじゃないかなあって思いだした。 よくさあ、悲しみを背負って生きるとかいうけど、本当かなあ、。そんなこと、先に逝った子供たちが望んでることかなあ、、。 私たちはさあ、あの子にであえたこと、うれしかったよね。ともに生きれた日々は、すばらしかった。 感謝して、生きようよ、。 とびっきりかわいい子供の母親であれたことを、。

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  • zabcd123
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回答No.19

NPO法人大空の会へ行ってみてください。 私も子どもを亡くしましたが、大空の会で、生きていられてます。 遠い人用のサポートもあります。

参考URL:
http://www.geocities.jp/cosmosinthesky/
  • sector62
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回答No.18

はじめまして。 ご質問から既に3年経っているようですが、「未解決」とのこと、及ばずながらコメントさせていただきます。 私はまだ父親になれていません。 5年前にやっと夫らしき位置についた程度です。 身内の死といえば、祖母、父、妻の祖母くらいで、 立ち会ったのは父だけです。 そんな私の言葉では、意味を成さないかもしれず、逆に質問者さんの心にトゲとなってしまう恐れもありますが、 途中まででも見ていただきましたら。 最近、知り合いにお子さんを亡くされた方がありました。 妻の親戚で、遠く離れていて、直接にはお話する機会さえありませんでした。 私にも何か出来ないかと探し回っていたところ、この質問に出会いました。 正直な叫びにまみえ、唸らされるばかりでありました。 ご質問の一言一言にも、またどの方の回答も、 深くて、その正直さ・素直さに胸が詰まされました。 子供の死ほど、想像を絶する強い悲しみをもたらすであろうこと、何とはなしに感じられても、 経験なしには恐らく理解は不可能なのかもしれません。 だから尚更に、当時の周囲の一部の方は「余計な」一言や話題で、質問者さんを傷つけてしまうのを「避けて」しまっていたのではないかと感じました。 また一方、ご自分でもどう表現すればいいのか分からないほどの悲しみが、周囲との溝を作ってしまっていた のではないかとも感じました。 人間は言葉を覚え、他の生き物とは格段に脳が発達しました。 しかし、感情をうまくやり取りすることだけは、発達していない気がします。 自分の心は、他人に見えない、他人の心も見えないからです… かといって、心の内を言いふらして歩くこともできません。 本当に寄り添って欲しい人には、言いにくい事とは思いますが、少しずつでも伝えなければ分からないと思います。 どうしてほしいのかも、どう接してほしいかも、 何も言って欲しくないのか  も。 近所の方々との付き合いを気にされていたように感じました。 悪事を働いて苦しめたならともかく、悲しみに苦しんでいたことを、みんな見ているはずです。 質問者さんがある程度までどんな会話にも耐えられるようにならない限り、焦りは禁物だと思いました。 私の言葉が質問者さんの傷を深めないことを祈ります。 すみません。

回答No.17

おたく、「自分だけ特別」みたいな事考えてない?悲劇のヒロインみたいな、 近所のオバサン達と仲良くなっても仕方ないとは思うけど。 おたくの息子に対する愛は伝わるけど。誰に何を求めてるの? おたくは成長しないの?おたくには社会正義はないの? 周りの思いを殺して楽しい?優しさとかを素直に受け止めれないの? それとも、他のガキに嫉妬して誘拐でもして犯罪者の仲間入りでもなる? おたくみたいなのには一度思いっきりビンタしてやりたいよ。 自分の事ばっかじゃねえか!今日の晩飯も喰えねえガキもいるんだぞ!末期の病で何時死ぬかも分からねえ老人もいるんだぞ!誰だって必死なんだよ。生きるのに、生き残るのに! お前、兄妹と心中を決意したことあるか?俺がガキの頃、電気も水も止められて、ドアはマチキン共がドンドンと音を立て叫び親父は仕事、お袋は夜逃げで、俺は嫌がり泣く妹に震えながら包丁向けたんだぞ! 結局家族はバラバラで俺は卑屈でひねくれた中学生になったけど、今のお前と一緒で誰にも好かれなかったぜ。全身悲劇の主人公になって常にマイナスオーラを身に纏い、全て分かったような顔して、自分が自分がみたいな感じでな。 失った時間は帰って来ねえし。失った家族も戻って来ねえし。でも、俺はもう考えねえ。まっすぐいきる。勿論、こんな目に合わせた両親は許せない。天涯孤独で生きる決心をつけた。そんで、夢もある。世の中のため社会正義のために万民を愛せる人間になりたい。ボランティア活動をしてみたり、沢山の勉強をしたり、会社の皆は俺の暴走を笑ってみてるけど、いつか認めてもらうように誠心誠意本気でやって行こうと思う。 とにかく!誠心誠意をもて!人のご好意を素直に受け止めれ! まっすぐ前向いて胸はって生きろ!甘えるな!

回答No.15

こんにちは 初めまして 千葉県に在住するものです 私も昨年 一人息子を転落事故で亡くしました 15歳でした  新聞やテレビで報道されてNetでもずいぶんと悲しい想いをさせられました この一年はとても苦しく でもすごく早く過ぎ去った一年でした 子供を喪う事は経験した者でないと 到底理解できないと思います 今までにも子供さんを亡くした方の葬儀に参列し経験はありますが 「たいへんだろうなぁ~~」くらいにしか思いませんでした  申し訳ないと 今更ながら思っています 今でもそうですが 昨年は もう~~生きる気力すらありませんでした 親を失うことは「過去を失う事」だけれども 子供を失うことは「未来を失う事」ですからね ですから何もやる気が起きないし 生きる希望が持てないです 子供は自分の命より大切な存在だとあらためて感じました できることなら自分が代わってあげたかったです 親というのは子供のために生きているのですね 子供のためにがんばれるんですね 夫婦二人でこれからどうやって生きてゆくのか未定で未来を考える心の余裕は無いです  でも救われるのは 今でも頻繁に 息子の友人達が大勢 来てくれることです そして私たちの知り合い 友人も大勢来てくれ 時々宗教関係者も来ますが こんな気持ちを救ってくれるのは宗教ではなくて 人間の温かい真心です 優しさですね これは本当に感じています なんのアドバイスも 気の利いた言葉も見つかりませんが  少なくとも 子供を失った 悲しみは理解できます  私が一番感じたのは  こちらの話を黙って聞いてもらえることが一番 安心で救われる想いでした そして、できることなら 体験者同士 コミュニケーションがとれればもっと 違った考え方もできるのかな?なんて思っています でも 自分の身近でそういう体験をしたヒトは 普通いませんよね とにかく 悲しみをはき出すことしかないです 私たちは 毎日泣いてますよ  涙は心を少し浄化してくれるような気がします がんばらないで下さい たくさん泣いて良いと思います 子供を亡くしてから好きになった言葉があります それは「一期一会」です 親は後悔ばかりで。。。今更ながら この言葉をかみしめて生きています

  • jile
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回答No.14

非常にお辛いこととお察しします。 周囲の方は、 お子様のお誕生日や月命日など、折に触れて、 貴方のお子様に “お手紙” や “お花” でも い~っぱいの優しい気持を手向けてくれれば良いのにね。 目に見えなくなっただけで、 貴方の心の中では生きているのでしょう。 同じ年頃の子供を見て切なくなるのも、 親として当然の反応でしょうし、 きっと、それと同時に親として 「同じことをしてあげたい。」と思っているのではないかと思います。 生きていたって、目に見えなくたって、 きっと、同じ様にあの輪に入って遊ばせたいのが親心ですよね? きっと、同じ様にお誕生日会・学校行事・七五三・・・だってありますよね? 皆で、そういう機会にでも、お子様を囲めれば良いのに。 同じ年の子供を見ると辛いこともあるでしょうが、 “「我が子を忘れて欲しくない」 貴方” としては、 きっと、こうして元気な時と同じ様に貴方のお子様を想ってくれる事が、 何よりも嬉しいのではないでしょうか? 目に見えなくても、お子様とお友達の思い出は作り続けて欲しいものですね。 安易に「避ける」行動を選んだ人には、 こういう様に、 お友達・お友達のお子様を偲ぶ気持まで考えられないのでしょうね。 周囲の方が、 優しさでそっとしておいたり 陰ながら少しでも寄り添ったり、 何とか辛さから少しでも癒そうと試みたりする行動がいないのであれば、 尚の事、冷たいな。と思います。 何しろ、日々の周囲の反応で貴方は非常に傷付いていますよね。 元気な時は、全く他人だったわけではないのですから、 突然にか徐々にかわかりませんが、距離を置き続けるなんて、人の親のするでしょうか。 元気な時は仲良くしたのに、 目に見えなくなったらそれっきり・・・・なんて酷いですね。 親はいつまでも親。 友達だっていつまでも友達です。 周囲の「避ける」と言う反応は、 貴方だけではなくお子様までも傷つけられている苦しさなのではないかとお察します。 貴方にとっては、何重にも苦しい反応なんじゃないかと思います。 周囲にとっては、それはそれほど苦しい行為じゃないと思いますよ。 貴方を見かけた一時避けるだけで、 それを引きずるわけではないですから。 貴方はその日一日、そして次の日も、次の日も、また次の日も・・・ ずーっと滅入ってしまうのでしょうから、きつい話です。 相手はそんな事知ったことじゃないでしょうね。 周囲が、「所詮他人事だから」と考えているならば、 貴方との接し方や声の掛け方に悩んでも悩まなくても、 どちらにしても「貴方を避ける」ことで、 解決しているのかもしれません。 貴方は、逃れようのない絶望の淵にいるのでしょうから、 何からも避けられない辛い辛い日々なのにね。 避ける事が出来るって、ある意味 「楽」 ですよね、 安易な考えかもしれない。 言葉の掛け方に戸惑い、避けてしまったとしても、 なんとも短絡的な行動ですし、ただ避けるのは大人として幼稚だとも思います。 だから、冒頭に挙げた様な “お子様を偲ぶ気持”まで考えつかないで、 安易な行為どころか、 ひたすら貴方やお子様やご家族を傷つけてしまっているだけなんじゃないかと思いました。 なぜ周囲が避ける行動をとるのか、事情は色々にしても、 到底、気力も体力もなく、生きているだけで精一杯の貴方に、 周囲のこの反応や行動は、表題の経験よりも、 さらに貴方を辛くしてしまうし、 今後の人生、精神状態にも大きく影響してしまうでしょう。 もう少し周囲の方、周囲の余力のある方々が、 建設的な策を考えてくれると良いのに と思います。 立ち話でも噂話をするくらいなら、話す時間も余力はあるはずです。 その策が、「避ける」という行為ではなく、 貴方をそっとしておくという気持の下、 ただ、放ってばかりいるのではなく、 貴方を支え、亡くなられたお子様の心を救っていける様な策を。 「ただ避ける」のでは、人として、とても残念な行為だと思います。 遊びに誘ってくれる方もいらっしゃるようですが、 “寄り添う事”と“元気付ける事”は、違いますよね。 それを履き違えている人は、多そうですね。 「無い物」を求められる事ほど、辛く疲れることはありませんからね。 こうしたケースのケアも考えていける世の中であれば良いのにね。 恐らく、多くの方が、“お子様を亡くされた経験者”ではなくても、 遺憾な事ですが、“経験者の知人や友人”と言う方は、 非常に多いのではないでしょうか? しかし、実際どう対応して良いかわからないまま、 距離を置く、避ける、ご近所の噂だけ参加する、時間が過ぎるのを待つ ・・・ など、 「当事者を放っておく」と言う、 “時としてベストとは思えない対応”で 済まされてきてしまったのかもしれません。 もちろん経験者の中でも各々の性格や悩みの違いはあるとは思いますが、 こうした経験者が、悩みを打ち明ける気力も場所もなく、 (打ち明けられたとしても、経験者の会などで打ち明け、家の周囲には伝えられなかったり) ひっそりと、ひたすら、ひたすら耐えている状態なのでしょうね。 察するだけで、胸が詰まされる思いで、苦しくなります。 経験者以外は誰も、 こうした経験者の問題を知る機会もなく、気持も計れず、 有用な解決方法を考えてこなかった為、ずっと変化がなかったのでしょうね。 だから、貴方やこうした経験者の方々が、 ケアされる機会もなく、 他意の有無に関わらず、時にとんでもない言葉や慣習、 寄り添った気持からではない発想の押し付けで、 容易に傷つけられてしまうのでしょう。 もちろん、誰でも自分は自分でしか救えませんが、 実際、皆ひとりでは生きてはいけないですし、 支え合いがないと生きていけないとつくづく感じます。 ご近所やお友達に起きた事も他人事ではなく、 お互い寄り添ったり、助け合ったりしていけると良いのにね。 気持すら寄り添えずに、 避けることで逃げてしまったら、人として乏しいですよね。 世知辛い社会ですね。 普段、貴方を見た人が、 身震いでもしてしまって、 勇気がなくて避けてしまったとしても、 貴方を見た人が、失神でもしてしまって、 その時は挨拶できなかったとしても、 (つまり、そんな事がなければ、避けずに普通に挨拶しなさい!と。これ以上、そんな行為で、貴方やお子様やご家族を傷つけ、疲れさせてはいけないのです。) 折に触れて、 お子様に“お手紙”や“お花”や ♪大きな優しい気持♪ を 手向けてくれれば、 きっと貴方も少しは救われるのだろうに・・・と思います。 例え、周囲の目に見える反応が冷たい物だとしても、 お子様が穏やかな気持に包まれていますように・・・ 心より、お子様のご冥福をお祈り致します。 お身体だけは気をつけて下さいね。

  • xxlottaxx
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回答No.13

私は姉を約10年程前に亡くしました。 当時、母が3gc様と全く同じ事を言っていました。 私の母は鬱になり、幼かった私には受け止める力は持ち合わせおらず、 最終的には私が家を出る、というところまで行き着きました。 私は姉をなくした身ではありましたが、当時 「子を失うというのが、これほどまでに親という存在を 苦しめる事なのか」と感じました。 私は親になった経験はありませんが、少し違う立場で、 尚かつ身近にて苦しみを目にしたので、回答させて頂きます。 3gc様の考えは間違っているとは思いません。 ですが、周りの方々の言葉が気持ちない物だとは思いません。 他人の言葉を悪意あるものととってしまと、自分を苦しめます。 すぐには難しいでしょうが、頑張って、 「少なからず、私を思って言ってくれたんだろうな」 と思うように気持ちを切り替えていかないと、3gc様が どんどんと辛くなって行きます。 単に考え足らずな方もいらっしゃいますが、適切な言葉を 知らないという方がほとんどなのです。 お子様を亡くされた方は少なくないでしょうが、 ですが実際周りにいっぱいいる!という方は少ないでしょう。 周りの方々の大半は、苦しみを和らげる術を知らないだけで、 決して攻撃しようと思っているのではありません。 ただ、「それでも傷つく」と思います。 感じる事なので、それはそれとして、ただその考えに飲み込まれない ようにして下さい。 というのも、3gc様は亡くなられたお子様を思っていらっしゃいます。 ですが周りの方々の言葉は3gc様を思い、言葉をかけられます。 ここには埋められない差がどうしてもあるのです。 周りの言葉で悲しみの底に落ちては、あまりに辛すぎます。 私の母は多くの人の言葉で傷つき、心を閉ざし、殻に閉じこもり、 それがまた母の心を傷つけました。 その母が私の心を傷つけ、また私も多く傷つけてしまったでしょう。 「時が心を癒す」というお言葉がお嫌いなように感じましたが、 癒す=なくなる、という事ではないです。 母も、そして私も時が経ち、悲しみに慣れました。 姉の記憶は薄れませんし、母の苦しんだ姿も忘れません。 それが俗にいう、「癒す」という事なのでしょう。 それは母や3gc様が悲しいけれど、生きている証拠なのです。 無視される方々の本意は計りかねますが、今は何も考えない、で 良いと思います。 考えられる時期がくれば考えれば良いし、来なければそれはそれで 良いと思います。 ここからは少し厳しい話かもしれないので、そのような話が辛そうで あれば読まずに頂いても結構です。 苦しい気持ちをお察しします。 ですが、どうか決して悲しみの渦に巻き込まれないようにして下さい。 悲しみが終わらないと思うのは至って正常だと思います。 今とても苦しい状態で、その辛さが無くなる訳がないと思うのは当然です。 ですが、悲しみを終わらせない!と思うのはとても危険です。 苦しみを自ら呼び寄せる事になります。 そして他人を傷つけ、それがまた自分に返ってきます。 自らを傷つける行為は何も意味をもちません。 苦しむ事と、亡くなったお子様を思う気持ちは決して違います。 3gc様がお子様を思う気持ちは十二分にあると感じています。 それは揺るがないものであり、失う事はありません。 お子様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

回答No.12

こんばんは。 私も一児の母親をしていますが、今回は私の母の話をしますね。 私は長女として生まれました。 が、田舎なので父の母(つまり父方の祖母)が跡継ぎ跡継ぎとうるさく、数年後母たちは男の子を授かりました。 しかし生後3ヶ月すぎ、突然肺水腫で危篤状態に陥り、どんどん腕の中で体温が下がっていき、病院でも「お母さん、がんばってあっためてあげて」と言われ、抱きしめてさすってなで続けましたがとうとう数時間後に亡くなりました。私が5歳の頃です。 突然呼吸がおかしくなったかと思うと、顔色が悪くなり、体温が腕の中で下がり続けていく、という経験はどんなにかつらかっただろうと、一児を持つ今になって、やっとわかる気がします。 そして祖母にはねちねちと嫌味を言われ続けたようですし・・・。 その後、また女の子を早産で亡くし、またまた数年後男の子を流産するという悲劇に見舞われました。どうも子宮内に大きな傷ができていたにもかかわらず、当時の産科(大きな総合病院でした)の医師たちが見つけられずに繰り返し子供を亡くすことになったようです。 「子供も満足に産めない」「家が途絶える」「他にいい縁談もあったのに」などなどを祖母に言われながら、ひとつ同じ屋根の下に暮らし、身を削るようにして生きてきたんだろうと思います。 ひとり亡くす悲しみも数人亡くす悲しみも、大小はないと思います。が、それでも私は母の姿を見ているため、質問者さんもいつかは歩き出せる日が来るんだろうと思います。きっと今は質問者さんもどん底の苦しみを味わわれているんだと思いますが・・・。 知人・友人が何を言ってどうなぐさめてくれても、今の質問者さんの心には届かないんですよね?むしろ落胆したり、傷ついたり、寝込んでしまったりしてしまうんですよね? ならば、周りが離れていってしまってもしかたありません。 なぜならば、自分が今どんなに苦しく悲しい立場に立っていようと、所詮は他人事であり、みんなそれぞれ自分の家族や生活があります。 きっと周りの人たちも心配しながらも、自分の言葉でより質問者さんを傷つけてしまっていることに気づき、どう接したらいいのかがわからなくなっているんだと思います。 もちろん、どちらがどう悪いわけではありませんし、当然のことです。 「誰か助けて」と思う気持ちはわかります。ですが、結局は自分自身しか自分を救い出すことはできません。 無理に「死」を受け入れる必要はないと思いますが、周囲に自分の100%の気持ちを理解してもらい、そしていつまでもそれを忘れずにいてほしい、というのは正直無理ですよね? 他人に理解してほしい、と思うのはどういう場面においても難しく、そして不可能に近いことだと私は思っています。無理して伝えて自分も「うまく伝えられない」とイライラしたり、相手を疲れさせてしまったりするよりは、距離を置いて自分ひとりの時間を持つのも有効だと思います。 私の子供は障害を持っているかもしれません。 出産直後からいろいろと疑いをかけられて今日までいます。 初めての出産で待ちに待った子供だったため、本当に死のうと思ったこともありましたが、どうにか自力でがんばって生活していました。 息ができないくらい苦しくなった時は、紙に思ったことを書いて書いて書いて、そして誰にも見られないように破って捨てました。それだけでも気休めですが、すっきりしたような気がします。 今は人間関係がどうとか、他人の目がどうとか放っておいていい時期だと思います。他人の目を気にしてどうなります?迷惑をかけているわけじゃなし、「心配していて、どう接したらいいかわからない」という視線をひょっとしたら、「悪口言われてる」と勘違いしたり思い込んだりしているだけかもしれませんし。お子さんのことは無理でしょうけれど、こういう日常のことは時間が解決してくれるものではないでしょうか。 悲しいけれどどんな大事故・大事件であっても、自分が直接関わっていないと忘れますよね?それと同じです。質問者さんだって、どんなにか痛ましい事件などをニュースで見ていようと、全部を毎日思い出すわけじゃないでしょう? お子さんのことは、お父さん・お母さんが一番覚えていますし、他人はどうでもいいじゃないですか。家族や本当にお子さんのことをかわいいと思っていた人たちの中には残っています、きっと! 長くなってしまいましたが、今はそんなこと放っておいてください。それでいいと思います。

  • kyokyo41
  • ベストアンサー率4% (8/165)
回答No.11

私は妊娠7ヶ月の子供をお腹の中で失いました。 未だにお骨を手放せないほどに悲しいです。 生きていたら19歳なんだな・・・・。 女の子だからそろそろ結婚も考える歳かな? この子の遺骨を眺めては思います。 母も子供を産んで1週間で新生児の病で失っています。 何処だったかな? テレビニュースで相手が公務員で酔っての運転で いっぺんに3人のお子さんを失ったお話がありましたよね。 あの方々もあなた以上に辛いでしょうね。 あんなに元気なお子さんがそれもいっぺんに・・・。 お子さんを失った人はたくさんいるでしょうね。 でも、私も立ち直れないまま19年を過ごしてます。 妊娠が怖くて子供を拒否して主人はそれを承知で結婚してくれました。 実は・・・・×なんで・・・。 子供の愚痴を言う人や反対に自慢をする人や お子さんはまだ?って聞く人が辛かった。 41歳になっていなくなったのが幸福です。 言う人は言わせておき 全てを無視して生きるしかないんですね。

回答No.10

はじめまして。私には3年前に脳腫瘍で亡くした娘がおります。 今日がちょうど娘の誕生日で、11歳になります。 娘は3ヶ月もの間、動く事が出来ず、言葉もしゃべれず目も見えず、 水も飲めず、ですが意識はありました。 脳のオペがうまくいかなくて、2回も余分に切る事になり、 いつも髄液を頭から流し、口は血まみれで、想像を絶する 吐き気と痛みばかりの3カ月だったと思います。 私は娘が亡くなった時やっと、彼女が痛みや苦しみから解放されて 良かったと思いました。 ただそれだけでした。 そして、その直後から娘を失った苦しみが追加されました。 あれから3年も経つのに、毎日思います。 相談者さんの悩みを読んで、とても共感できました。 周りにはいろんな方達がいます。 私も最近、娘のお友達のお母さんに命の勉強をさせて貰ったと言われた時、正直心の中では大泣きしていました。 ですが、そのお母さんはとても良い人なのです。 全然悪気はないのです。 なぜか、娘の友達のお母さん達はこういった良い方達が多くて辛いのですが、 私さえ堪えればなんとか付合って行く事が出来、普通に生活しています。  もちろん、避けられてるなって思うお母さんもいます。 私も気にする性格なので、困ってしまいます。 これはどうしようもないですね。 でも、私には息子達に旦那様がいるので、死ぬ時がくるまで辛く苦しく悲しみは続くけれど(たまに泣きすぎて迷惑かけちゃうけれど)愛をもって生きて行ける自信はあります。    相談者様も私も大変な人生ですが、子供の所へ行く日を心待ちにして生きて、 わくわくしながら行けたらいいんじゃないかなって思います。 参考にはならないかもしれませんが、少しでも気がまぎればと思います。 私が今も一番辛いのは、娘の苦しむ姿です。 代わってあげる事が出来ればと何度も思います。

noname#53250
noname#53250
回答No.9

こんにちは。 No.7さんが、全く参考にならない文章で、と謙遜されていらっしゃいますが、私はやっと参考になる回答がついたと思います。 私も、過去に貴方と同様の経験をしました。 質問文に書かれていること、一つ一つ全てが、「そうそう、そうなんだよね」と同じ気持ちです。 親であれ兄弟であれ、大切な人との死別は悲しく辛いものです。 でも、この世の中で「逆縁」ほど辛いものはありません。 親が子供の死を弔うことを、逆縁と言いますよね。 これは、実際経験してみないと分からないことです。 どんな人にも辛いことや悩みはありますが、全く次元が違うものです。 想像を絶する苦しみです。 自分が死んだ方がマシ、自分だけが生きていることに罪悪感もあります。 貴方もそう思いませんか。 だから貴方も、経験者ではない他人の声なんか無視するのです。 どうせ他人には分かるはずないんだ!と開き直ることです。 良かれと思ってかけてくれる言葉の全ては、鋭い刃となって心に突き刺さります。 心ある人は、言葉などかけずにそっとしておいてくれますから。 そう思うと少しラクになれます。 日常生活も、No.7さんがおっしゃるように、無理しないことが一番良い方法です。 貴方がやりたいようにしていれば、いつか人間関係も修復できる日がきます。 あせらないで、少しずつ、時の流れに身を任せて自然にしていてください。 泣きたい時は泣く、外出したくない特は出かけない、電話も出たくない時は出なくていいです。 そのうちに、前を向いて生きていけるようになります。 時間が必要ですよ。 やっと一歩前進したと思ったら、二歩下がったということもありますが、気がつくと以前よりは進んでいる時が必ず来ます。 今は一番お辛い時期でしょうから、そんなことは信じられないでしょうけれど、本当です。 もちろん、子供を失った悲しみは一生消えることはありません。忘れることなどできません。 でも、悲しみと共に生きていけるようになります。 お子さんの思い出が無理なく体の一部になって、貴方自身と共に歩んでいけるようになります。 言葉で表現するのは難しいですが、なんとなく分かってもらえますか? 今、貴方にできることは、お子さんの供養のために生きることです。 お子さんのことを思うことが、一番の供養になると思います。 私もやりましたが、カウンセリングは気休めにしかなりませんから、あまりお勧めしません。 専門家とはいえ、所詮経験者ではないので、あまり効果は期待できません。 私も、同じ立場の人、同じ経験をした人と接する機会を持つことをお勧めします。 何を言っても分かってくれますし、同じ気持ちを共有できますから心底から安心できます。癒されます。 こういうことが、今の貴方にとって一番必要なことだと思います。 お住まいの地域に、同じ経験をした人達の自助グループはありませんか? もし心当たりがなかったら、私は入っていませんが、「めんどりの集い」のような全国的な会もありますので検索してみてください。 本当は、貴方と直接連絡が取れたら、お互いにとってどんなに良いだろうと思いますが、このサイトでは無理ですね。残念です。 どうぞ、お体とお心ご自愛ください。