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本当の自分って?

日常、いつも他人の気持ちを考えて少しでも役に立てるよう、他人に決して迷惑をかけることないように生きてきました。そうしなければ、他に取り柄のない自分は存在価値がないと思っていたから。でもここへ来て、「無理をし過ぎている自分」を痛感。正月休みを利用して本を読んだり考え事をしたり、案を巡らしてみたものの、答えが出ません。頭も要領も悪い自分が、他人の為に頑張らなかったら何が残るんでしょう?自分の価値が見いだせない時はどうすればいいのでしょうか?幼少時より結婚で家を出る時まで、否定されながら育ったことが根源にはあると思います。同じような生育歴を持ちながら、克服することが出来たという経験をお持ちの方、回答を頂ければ幸いです。

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  • nezusan
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回答No.2

こんにちは!『自分』って、自分が一番わかっているようで一番わかっていないものですよね。お気持ち、お察しいたします。 生育歴に関しては、同じではないかもしれませんが、思ったことを一つ。 人の為に何かを考えることのできるcostabravaさん。他人という存在がちゃんと認識できているからこそ、そういう風に行動できるのだと思います。自分とは違う他者の存在を認識している段階では既に、自分という存在は確立されています。自分がいて、他者がいる。つまり、あなたがいるから、他人がいるのです。 今までは、少し自分を殺し過ぎてきたのかもしれませんね。これからは、もう少し自分のカラーを出してもいいと思います。 まずは、自分の好きなことをすることが一番だと思いますよ。 取り留めのない文章ですみません。 少しでも気持ちの整理に繋がればうれしいです。

costabrava
質問者

お礼

優しい言葉に胸が詰まる思いです。「自分の好きなことをする」なんて、忘れていました。課題は山積みですが、肩の力が少し抜けるようです。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#125540
noname#125540
回答No.1

他人というのは自分以外の人間、と考えれば、とんでもない人数がいて、 人それぞれ考えも好みもニーズも違います。 ということは、他人を満足させようと思うと、際限なく気を使い続けなければならないことになり、しかも満足に辿り付くことはなかなかありません。 人の気持ちを考えたり、お役に立とうと思うのは良いことです。 でもできれば、相手のことを考えてそうしてあげられるのがいいんじゃないでしょうか。 自分のためにでなくて。 結果的に自分に返って来るものがあれば「情けは人のためならず」になりますが、そうでないと、結局「自分が良くみられたいから良い人を演じる」ことになりませんか? 人とうまく付き合うには、まず自分と和解することが先決です。 養老センセイが言ってました。 「何かできるっていうのがえらいというのはおかしい」というような話で。 「そんなの走らせてみればいいんですよ。足が速い奴と遅い奴といるけど、足が遅いと生きている価値がないかって、関係ないでしょ、そんなこと」 足が速いことにこだわっている人には死活問題でないのに死活問題と感じてしまう。 こういうのをコンプレックス(複合)と言います。 ※陸上選手とかスポーツ選手は別ですよ、本当に足が速くないと困る人にとっては速さはコンプレックスでなくて、現実に必要なのだから。 平木典子さん、河合隼雄さん、秋山さと子さんなどの本をご覧になってみることをお勧めします。 逆に加藤諦三さんで自分を厳しく見つめるってのもありますが。 (河合先生だって本当は厳しいんですが、パッと見、優しいことを書いています)

costabrava
質問者

お礼

「良い人に見られたい」。ご指摘の通り、そう思ってしまう事をとにかく止めることが課題ですね。加藤先生の本で、痛いところをえぐられて、自己嫌悪に陥っています。 河合先生の本は何冊か持っていますが、平木、秋山両先生の本は拝見したことがないので、早速本屋に行ってみます。本の紹介までして下さって感謝しています。ありがとうございました。