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図画工作、体育の授業についての疑問
- 小学校の図画工作、体育の授業について疑問を抱いています。
- 大人になって考えてみると、教わった記憶がないまま成績をつけられるのは疑問です。
- 授業の意味や価値は理解しますが、もっと教え方に工夫が必要ではないかと思います。
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質問者が選んだベストアンサー
小学校に勤務しています。 私は質問者様と同じか少し上という年代ですが、確かに「具体的な技法」を教わった記憶は皆無ではないにしろ少ないですね。 体育では「こんなふうにやってみなさい」、図工では「いいなあと思ったら真似てみなさい」ということだったと思います。 >習っていないことに成績をつけられるのはいかがなものかと考えてしまいました。 正直言って、お答えしにくい内容だと思います。 まずは、子どもたちにつける評価は「それを出来るように指導できたのか」と教師自身の指導に対して付けているという面があります。そのことからは「おかしなこと」としか申し上げられません。 ですが、学習課題として提示され、取り組みの機会が与えられたことですから、その出来・不出来で評価されるのは仕方がないこと、という一面もあります。それから、出来・不出来には本人の努力だけでなく、持って生まれた才能も関係しているという評価に難しい側面もあります。 どう感じているのか、先生によって差が大きいように思います。 >他の授業の様に、まともなことを教わった記憶がない >何も教わらずして出来るようになるのでしょうか。 私たちが子どものころよりも、現在の学校現場は良い意味でも悪い意味でも管理が進み、教育内容は規準(学習指導要領)にそって一律に行われる傾向が強くなりました。○年生では何ができる、ということは常に意識されるようになりましたので、「何も指導せず…」は今は無いはずです。ですが、例えば体育には教科書がない、それから体育にせよ図工にせよ「楽しく」とか「楽しむ」ということが学習指導要領の大きな目標になっている等々、技法指導のみが教科のめあてではありませんから、今でも「算数でかけ算ができるようになる」よりは細かな指導は少ないというのが一般的な姿だとは思います。 もちろん、「先生による」のですが…。 >成績のつかない情操教育では具合が悪いのでしょうか。それに、他の教科のように出来ることが望ましいレベルが、私にはよくわかりません。 質問者様の思いに賛同する小学校教員は多いと思います。 学習指導要領の目的を読んでいると「評定は無い方がいいのでは…」とも思います。子ども一人ひとりの成長を認め、喜びあえばいいのでは、と思います。ですが「国語や算数が苦手でも…」という子どもたちの通知表のためにも…ということも感じたりもします…。 的を得ない回答(というよりコメント)で申し訳ありません。本当に、微妙にお答えしにくい内容なのです。
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- accchibu
- ベストアンサー率20% (6/29)
小学校の教員です。20代後半です。 私は、子どものころ、先生に図工も体育も教えていただきました。 特に体育は苦手でしたが、とび箱をとべるようになるまで、何度も何度も教えてくれた記憶があります。 現在、図工や音楽、体育などを評価するときは「自分が教えたことについてどれだけできているか」を基準にしています。 つまり、図工のある題材で筆の使い方について指導したとします。 「木の幹を表現するには、サーっと筆を走らせるのではなく、点々と絵の具を置いていくように筆を使いましょう。」 そう指導したら、実際にできあがった作品を見て、子どもはどれだけ指導した内容を理解できたか、技術的にどれだけできたかを観ます。 極論を言えば、その時、絵の構図がめちゃくちゃであろうと、指導していない内容であれば評価対象からは、はずします。 一応、図工や体育なども"授業"なので、指導書などに各題材で何を子どもたちに教えるか明記されています。 それに則って教えるのが教師の役目だと先輩教員から教わりました。 たぶん、私がしていることは、基本中の基本なのだと思います。 乱文、失礼しました。
- gohannannisiyo
- ベストアンサー率27% (235/859)
先生ではありませんが、低学年の子どもがいる者です。 最近の体育の授業はいいですよ~。 鉄棒なんか、まず鉄棒の上に慣れるところから始めます。 鉄棒に飛びついて両腕つぱって体のバランスを取る姿勢。 「つばめさん」とか言ってました。 そうして段階を踏んで鉄棒への恐怖をなくして慣れていくように授業が進められています。 水泳も、1,2年生のうちは水に慣れるためにただの水遊び状態です。 水に顔をつけて10数えようとか、2年生になると水にもぐってじゃんけんしようとか。 私の子どもの頃は 「やりなさい。」 と鉄棒の前に立たされるだけでした。 どうやりゃいいのかわからないからできないと 「なんでできないんだ。」 と叱責されて放課後残される・・・。 屈辱でしたよねえ。 体育の授業大嫌いだった私は、今の子どもたちがうらやましいです。 こんなふうに教えてくれれば、私の運動の喜びとは縁遠い人生も、もうちょっと違ったものになったのかもしれないなあと思います。 ただ、図工に関しては今の学校には不満があります。 教科書の内容に沿った、材料から道具から全部そろったキットを使って工作させたりするんですよね。 年一回ぐらいはそういうのもいいけど、ちょっと多すぎです。 それと、絵筆の使い方とか絵の具の混ぜ方とか、技術指導もやりすぎ。 図工なんて正解はないのですから、もっと好き勝手に描いたり作らせたりして、創作の喜びを味あわせてあげてほしいものです。 ま、先生によっても違いはあるのでしょうけど。 というわけです。 参考になりましたかどうか。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
最近の体育はそうなのですか。いいですね。図工に関しては、技術指導のやりすぎなのですか。まあ出来る子は何も言わなくともできるのでしょうがね。私なんか、出来ないコンプレックスが非常に強く、困りました。何をどうやっていいのかすら、わからないのですから。誰か図工の苦手な子への対応を教えてくれる人はいませんか。私はもう手遅れですが。(笑)過ぎてしまった、つまらないことなのですが、何か気になってしまって。
- asaka3
- ベストアンサー率33% (85/255)
分かる範囲で恐縮です。 質問者様と同世代です。 > 出来ない子が、何も教わらずして出来るようになるのでしょうか。 図工も体育も、教える内容は、ありますし、教えています。(教わりました) 図工に関しては、 素材の体験をして、技法はある程度提示して、 それを自分が表現したいことに合わせて、使えるかどうか。 自分が表現したいことに合わせるという点が、 評価が難しいところですが、技能そのものは、評価できると思います。 アイディアは、教えてしまうと、その子のアイディアではなくなってしまうので、 教えること自体変だと思います。 ただ、鑑賞という授業内容もあるので、 沢山良い物を見ることで、発想を豊かにするという効果はあるし、 何もせずにただやれということではないと思います。 体育については、 やはり技のポイント、練習の仕方などは指導内容になっています。 ただ、それを授業の時間内だけでできるようになるには、 普段から体を使った遊びをたっぷりしてきたという体験が前提で、 それがないならば休み時間や放課後などに練習することが前提で、 授業の内容は組まれています。 いくつかの練習の仕方などは提示し、実際にやってみるけれど、 それを使ってできるようになるまでの習熟は、 各自に合わせてやるべきだったことなのでしょう。 わたしは、休み時間、鉄棒でくるくる回ったり、球技をしたりって、 四六時中していたと思います。 計算苦手な子は、家で沢山練習するのと同じだと思うので、 成績をつけられてしまうことに、違和感はありません。 なお、当時は相対評価が多く、他者との比較で成績がついていたので、 伸びの部分が評価されずに結果だけの評価だったのですが、 現在は、絶対評価で、特に体育などは、 授業前の現状と、目標設定を個人でも行い、 学年の目標に迫ることができていれば、 もっと高度な技ができる人が沢山いても成績が悪いことはないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
図工に関しては、用具の使い方を、最初に言われただけだったように思います。アイデアは大事だと思いますが、それ以前に絵をどう描いていいかわからないといったこともあるのです。私は小1の時、動物園の動物の絵が描けず、檻を描いただけで、親に恥をかかせたこともあります。何をどう直せばいいのかもわからないというレベルもあるのです。これでは、伸びようがありません。体育に関しても、休み時間に、体は動かしていましたが、年齢的な体力の伸びはあってもそれだけで、何が悪く、どうしたらいいということも習った記憶はありません。つまり私の記憶では、レベルが低ければ、低いなりの伸びが見込める教育ならいいけれども、あれでは、要領が全然得られないものです。今から思えば、自分で本を読んで勉強すれば良かったのでしょうが、子供にそんな知恵があるわけでもなく。まあ、このような教科のない国もあるようですね。いいか悪いかは別として。成績のつかない情操教育では具合が悪いのでしょうか。それに、他の教科のように出来ることが望ましいレベルが、私にはよくわかりません。それとこれは、いろんな人の意見を聞きたいためのものであり、回答者さんの意見を否定しているわけではないので、念のため。教えている立場の先生も意見を下さい。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
先生の意見が聞けてうれしいです。理想と現実もあるのでしょうね。正直、子どもの頃にコンプレックスがあり、出来る子をうらやましくも思い、また、とびきりできなくてもいいから、せめて並のレベルになりたいと思ったものです。確かに先生の言われる通り、私は、生まれつきの才能の無さが絶対あったと思います。的を得ない回答なんてとんでもないです。「質問者様の意見に賛同する小学校教員は多いと思います。」これだけで十分です。 しかし大人になってから、音楽の授業も不公平だなあなんて思ってもしまいました。私はピアノを習っていたので、成績は良かったですが。楽器を習っている子と習っていない子では、読譜力、音感なんか全然違いますよね。あれで相対評価なんかしたら。音痴の子なんか環境的要因がありますよね。それと私の場合、音楽なんかは専門の先生が教えていましたが、図工、体育は担任の先生が教えていましたね。思えば、小学校の先生がすべての教科を、ましてや、実技の専門的なことまで教えるなんて大変というか出来ませんよね。底辺の生徒のレベルをいかに楽しく、かつ少しずつでもいいから引き上げるか。永遠の課題ですね。