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鬱病・PTSDと通院・投薬について
数年前職場で相手の憂さ晴らしの為に暴力を振るわれ絶対安静の入院。精神状態も悪化し,身体の怪我が治った後精神科へ入院し投薬治療を行う(診断はPTSD,後に鬱病も加わる)。現在は月1回通院投薬治療中。 この数ヶ月他人の声が聞こえるだけで,他人の姿が視界に入るだけで気持ち悪くなります。睡眠薬(アモバン)を飲んでも寝付くまで3時間位掛かり,朝は6時前に目覚めます。食欲無く,無理に食べると気持ち悪くなります。頻繁に精神的苦痛に前触れ無く襲われ突然泣き出したり叫び出しそうになり,自室では蹲って動けなくなったり藻掻いています。自分の死ぬ計画を綿密に考える事で冷静さを保つ事もあります。「助けて欲しい」という言葉が浮かびますが,それは生きる為でも死ぬ為でも構わないのが本心です。大抵黙って堪えていますが,母は「悲劇の主人公ぶって楽しんでいる」,どんな風に又どんな時に苦しいかを話すと医師は返事をしないか「自分を可哀想だと思って貰いたがっているだけだ」と言い,身体に合わない・症状が改善しない薬を処方し続けます(リボトリール,ルーラン)。職場での事件が原因(相手は事件直後に自ら去っています)&通院中を理由に異動希望は握り潰され,当時と変わらぬ職場で出来る限り何でもない素振りをして働いています。カウンセリングの先生は何時もは私が何かを言うと話を逸らすのですが,先日は「あなたは職場の人を見下している」と言いました。私が苦しむのは,この世に生きている罰であるという自分の考えが正しかったのだと,だから病院に通っても苦痛を和らげて貰えないのだと認めざるを得ない状況になりました。病院を変えれば或いは処方を変えて貰えば状況が改善するとも思えなくなりました。自力で何とかしたくて色々本を読んでも答は見つかりません。敢えて生きる方を選ぶとして,果たして助けは得られるでしょうか。
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すぐにでもカウンセラー、医師を替えることをお勧めいたします。 特に、そのカウンセラーはあなたにとって害にしかなってないです。 うつ病やPTSDの問題を抱える方には、それなりの接し方があります。 自分の過去を振り返るのがつらい状況にいるので、 症状が軽くなるまでカウンセリングより投薬治療を優先させるか、 相談に来た方が話しやすくなるよう、少しずつカウンセリングに慣れていける 方法をとるため、そんな説教じみた話は一切しません。 精神疾患を抱えている方に「この世に生きている罰」「病院に行っても 苦痛はやわらげない」と認めさせるのは非科学的ですし、根拠がありません。 いわゆる「スピリチュアル系」といわれる、人の生き方や「魂」に焦点を当てる カウンセリングは、精神疾患には害でしかありません。 精神医学や心理学の理論に基づいて対応するカウンセラーにかかりましょう。 「臨床心理士」の資格を持っている方がいいですよ。 まずは、話を聞いてくれて、信頼できる医師を探しましょう。 見つかったら、臨床心理士のカウンセリングが可能かどうか、 相談してみてください。紹介していただける可能性もあります。 あるいは、下記のサイト「臨床心理士に出会うには」から 探すこともできます。 http://www.jsccp2.jp/rss/page1.html また、職場の配置転換については、新しい医師やカウンセラーの意見を添えて もう一度希望を出すといいですよ。第三者、特に専門家の意見は 非常に説得力があります。「配置転換が治療に有効である」という 診断書やそれに代わるようなものがあるといいですし、 場合によっては医師やカウンセラーから、職場に直接話をしていただけるよう お願いできるかもしれません。無理解な家族のことは無視していいんですよ。 いちいちまともに取り合おうとしても、こころの負担が増すだけですし、 何も知らないで無責任な言葉を垂れ流しているだけですから。 信頼できる人は必ずいます。あまり望みを捨てませんよう、 別の人たちを探してみてください。
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- 007_taro
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No.4です。 医師にお薬を変えて欲しいと言うこと自体が、westend_01さんにとっては、助けを求めるサインなのでしょう。それを拒否されるのではないかと、恐く思われているのかもしれませんね。 確かに、人の助けを求めることは、どれだけのエネルギーがいるかと思うと、安易に「助けはあるから頑張れ」とは言い難いものです。そして、こうやって回答をしている私自身が、westend_01さんを実際に助けることにも無理があります。しかし、少なくとも、この掲示板を通じて繋がっていることだけは忘れないで戴きたい。今までの回答者の方々も、westend_01さんを助けたいと思って、回答をされています。この人たちとも繋がっていることを忘れないで欲しいと思います。 ご家族の言葉は辛いものです。外で傷付くだけでなく、内で傷付く者はどこへ行けば良いのか。私もずっとさまよった経験があります。幸い、私は道を見出しています。しかし、どこかでまだ、自分が生まれた事自体が罪であったという思いから逃れることができません。頭では理解しているはずなのに、過去に起こった全ての事が、私を苦しめる観念が正しいことを理由付けしてしまうのです。 初めに見たものがきれいだったからと単純に始めた盆栽ですが、やたらに買っては手が付けられなくなって放ってしまい、枯れたり、原型を留めないものもありました。でも、捨てることすらもできない放置状態の中で、枯れたはずの草がまた芽を出していたのです。あれだけかさかさに葉が枯れた状態で、もうダメだと確信して気落ちしていたものでした。人知れずに棚の奥で、他の鉢にあげていた水の滴りをわずかながらに吸いながら、夏を耐えて生きぬきました。こうやって、人も生きていくのかな、と思いました。かつて読んだ本に、極限の状態の人でも、中に埋もれている「生きる・治る」力を信じていく、と言う内容が書いてあった事を思い出します。最近手に入れた盆栽家の、樹の生きる力を話を読み、同じ体験をした人が居る事を知りました。 あるいは、こうやって「助かるんです」と、信じるようにしむける事が、westend_01さんの心のエネルギーを吸い取っているのかもしれません。でも、やはり覚えておいて戴きたいと思います。今は「その時」ではないかもしれない、でも「その時」を見出すことはできる、ということです。
お礼
度々の御助言有難うございます。病院へ行き,今の薬になってから心身共に苦しい許りで,飲むだけでも気持ち悪くなるので,此方の薬を処方して欲しい、と以前処方されていた薬を頼みました。その際近況も話すと矢張り「自分を可哀相がって貰おうとするのは好い加減止めなさい」と言われました。あんまりだと思い,「そんな事は思っていない。唯事実を話しているだけだ。自分は苦しいのを治して貰いたくて病院に来るのに,合わない酷い薬を飲まされている」と感情的に言った所,先生も「飲まされているとは何ですか」と怒り出しましたが,此処で漸く私の病名について口を開きました。私は鬱病ではなく強迫神経症で不潔恐怖なのだそうです。トフラニールの再処方を希望したのですが「確かに意欲は回復するが強迫症状も悪化するので出せない」と言われました。帰宅後調べると苦しさの余り死にそうになる(死にたくなる)のも症状の一つと判りました。しかし本当の病名が判っても解決に繋がっていないのは相変わらずです。
- 007_taro
- ベストアンサー率29% (540/1831)
No.4です。 >「他の人の場合はそうかも知れないけれど,私には当てはまらない」 「皆他の誰を助けても,私を助ける位なら死んだ方がましだと思っているのだろう。例え医療従事者でも,それは変わらない」 それが現実であり,事実であると認識せざるを得ない状態です。 →との事ですが、それこそが現実ではありません。医療関係者からの二次被害によって、誰も助けてくれる人はいないと、強くご自身に刻み込まされてしまったようです。しかし、多くのご質問者様と似たような立場の方々が、そう思いながらも必死で門戸を叩き、理解してくれる方に出会えています。これは本当です。実際にそういう方とお話をさせて戴くことがありましたが、やはり皆さんも、ご質問者様と同じように考えていらっしゃいました。 でも、やはり最後はご本人が、その辛い状況から助かりたいと思われるご意志です。そこに尽きます。そして、ご質問者様もここに投稿されているのですから、やはりまだ、その貴重な希望を捨てられていないと私は感じています。 多分、体験された事件が刑事的にも民事的にもなっていないがために、会社からもご自身の家の中でも、ますます苦しい立場になっておられると思いますが、絶対に助けを得ることはできます。そして、厳しいようですが、助かるかどうかは、他の人が近寄ってくるのではなく、ご自身が力を振り絞ってもっと手を伸ばすかどうかに掛かっています。どうか、他に助けを求められるよう、強くお勧めします。 本当に希望はあります。
お礼
再度のご助言有り難うございます。 先週カウンセリングがあったので,それを受けてから此処へ書き込もうと思い,日が過ぎてしまいました。 先生が「同僚を見下している」と言ったのは,私が「職場の環境が当時と何も変わっていない」と言った事を言い換えただけだそうで,それでも私が余りにもショックを受けている事から詫びてくれました。他には「何か楽しい事を見付けないと」と言われましたが,以前楽しんだ事も今はもう堪えられません。「楽しむ」事にさえ苦痛を感じるのです。自分が必死になって守ってきた物・希望かも知れない物は既に直し様のないがらくたで,身の内は既に絶望に満ちています。死んだ後は知らず,生きている限りこの苦痛は続くのです。自殺しないのは後の整理を色々考えているからに過ぎません。母も到頭「入院したら?」と言い,しかし「退院したら完全に治ってなければ許さない」とも言いました。母からの言動にも苦しめられているのに,こんな事を言われては怖くて入院出来ません(仕事の都合でも無理ですが)。私はずっと力を振り絞り手を伸ばし声に出して助けを求めてきました。でも助けはありませんでした。そして今は力を使い果たし疲れ果てた状態です。よく皆さんは「必ず助けてくれる人が居る」と仰ってくれますが,それを信じ続けるには余りにも他者から手酷い目に遭って来たのです。 今週は診察があるので,薬を変えて欲しいと頼む積もりです。でも怒らせるのではないかと不安です。
- 007_taro
- ベストアンサー率29% (540/1831)
No.4です。 以下の所なら、もう少し聞きやすいでしょうか。 http://www2.gunmanet.or.jp/Akagi-kohgen-HP/PTSD.htm ここは、セカンドオピニオンとして、でしょうか。 http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/psyqa.html 私にも、ご質問者様がPTSDかどうかは分かりません。しかし、かなり強いトラウマを負われたことは、確かだと思います。そして、非常に追い詰められた状況であろうと察しております。そういう時に行動を起こすことは、非常にエネルギーを必要としますが、必ず誰かがその精神状態を理解しようと努力をし、治療をしてくれる医師が絶対にいるということを、信じてもらいたいと思います。 恥ずかしながら私は身体的暴力を受けたことはないものの、一時期、自分のどん底の状況を理解をしてもらえず、助けを探しても最後には「自分が可哀想と思っている」「どうかしてしまったの?」と言う結果に直面し、期待もしないまま、それでも一抹の望みを賭けて探して行ったカウンセラーに助けられました。カウンセラーから紹介してもらった病院に行くことを決意、うつ病と分かり、治療をしながら現在に至っています。 絶対に突破口は見出せます。
お礼
再びの御助言有難うございます。 掲載下さったHPの説明を読むと 自分に当てはまる事が多く書かれていました。 又自己診断法を行ってみると,いずれも高い数値が出ました。 病名がPTSDであろうと無かろうと 鬱病であろうと無かろうと それは瑣末事です。 過去に起こった出来事が忘れたくても突然思い起こされたり (そして必ず恐怖が伴っていて) 人前であるにも拘らず突然悲しさと涙がこみ上げてきたり (その時は職場ではトイレに,家では自室に行きます) 自殺の計画を(未遂に陥らない様に)綿密に考えていると 漸く焦燥感が引いて落ち着いて来て 例えではなく本当に胸を掻き毟り,のたうち, 「助けてくれ」と思う時,その「助け」が 「生きる為」でなく「死ぬ為」でも良いと思う程苦しいという事を 「本当の事」だと判って欲しいだけなのです。 その苦しみを失くしたいと思っていると信じて 助けて欲しいだけなのです。 もし「本当の事」だと思わないなら それでも構わないから,そっとして置いて欲しいのに 追い打ちをかける様に蔑みの言葉を言われる それが余計に辛いのです。 >「絶対に突破口は見出せます」 本当にそうなら,どんなに良いでしょう。 「必ず治る」「判ってくれる人はいる筈だ」 そんな言葉を愚かにも信じて,今迄何とかやってきましたが 今となっては 「他の人の場合はそうかも知れないけれど,私には当てはまらない」 「皆他の誰を助けても,私を助ける位なら死んだ方がましだと思っているのだろう。例え医療従事者でも,それは変わらない」 それが現実であり,事実であると認識せざるを得ない状態です。
- 007_taro
- ベストアンサー率29% (540/1831)
その病院で、本当にPTSDを診断できたのか疑いたくなりますね。ほぼ病院を替えられて、再度診察を受けなおされた方が良いと思います。 東京医科歯科大は、PTSDなども診ることができる、経験のある所です。犯罪被害者の支援室も、日本で1,2の経歴ですので、被害による精神症状の悪化には対応して下さると思います。 http://www.tmd.ac.jp/mri/crps/neuro_trauma/index.html 立ち直る過程には容易ならないものがありますが、支えがあれば改善されていきます。是非、戸を叩いて下さい。
お礼
御助言有難うございます。 載せて下さった東京医科歯科大のHPを見てみましたが 交通事故被害者が中心の様なので, 他者からの個人的暴力による場合でも良いのだろうか,と 一寸躊躇いを感じました。 因みに労災申請をした際,簡単にまとめると 「個人に暴力を振るわれた位ではPTSDになる筈がない」 という結論を出され,申請は却下されました。 思い出したくない,忘れてしまいたいのに記憶が湧き上がって 苦しみが止む事が無い そういう状態が改善されるならば,頼りたいです。
- harepanda
- ベストアンサー率30% (760/2474)
転院を奨めます。うつ病は、たいてい、治せます。治せないのは、ヤブ医者に当たっている時や、体の病気を見過ごしている時や、ストレス環境が改善されない場合などに限ります。 リボトリールとルーランは、うつ病に対しては対処療法的にしか効きませんので、これで治るわけがありません。 アモバンは短期型の睡眠薬で、飲んで3時間も眠れないのであれば、もう少し効果の強いもの(ロヒプノール)あたりに替えるべきです。
お礼
御助言有難うございます。 今や職場も家も,他の何処でも自分が場違いな気がして辛いです。 何処にも居場所が無い様に思えてなりません。 先月医者に入院又は家での安静を提示されましたが何れも出来ません。 もし仕事を休んだら,それを理由に今年の異動希望は却下されます。 それに一旦楽な環境で過ごしたら,復帰出来ないのではと恐いのです。 薬はもう一種類,セロクエルを飲んでいますが 最近は効いているのか判らないものを飲むのが辛くて 薬を飲むと気持ち悪くなります。 ロヒプノールは以前処方されていましたが なかなか寝付けないのと(今と同じです) 朝起き辛く,だるさが強く残り 自動車運転中に自爆事故を起こしたので取り止めになりました。 (通勤手段が自動車しかないのです) その点アモバンは朝目が覚めた時それ程苦しくないのです。 (睡眠時間は短いですが) 鬱病に関する本に挙げられている薬の処方を頼んでみたいのですが 医者に我が侭を言うのが恐いです。 又転院も考え,土日に診て貰える病院を探し,見つけましたが 「今迄が運が悪かった」のではなく 「私の場合は何処に行っても同じなのだ」 と思い知らされるのではないかと,それが恐くて躊躇しています。
患者と医師、カウンセラーとの相性が悪いのでは? いろんな医師、カウンセラーが居ますから、質問者様の場合、やはり病院を変える事をお勧めします。自分に合った薬に辿りつくまでは、結構時間が掛かります。合わない薬を飲み続けていても病気の改善は無理でしょう。 鬱病は薬で治ります。 良い医師と、出会える事を祈ります。
お礼
御助言有難うございます。 現在の病院にずっと掛かって来たので 「こんなに時間をかけても判って貰えないのか」と思い知らされ, 「いい加減相手にするのが嫌なのだろうな」と感じたので 「もう病院に来ない方がいいみたいですね」と言った所 「自分を特別だと思うな」と言われ,怒られました。 薬の処方については 「これが合うようです」と言うと 「何でそんな事が判るんですか」と言われ 度々処方が変わるのですが,合っていたと思う薬は失くされ 合わないものが続きます。 鬱病に関する本に紹介されている薬を処方してくれる様 頼んでみたいのですが,やはり怒られるのではないかと思っています。 土日に診てくれる病院を探し,取り敢えず見つけましたが, 同じ事の繰り返しになって絶望を強くするのではないかと思い その病院に行くのも躊躇しています。 (母が病院嫌いで,私が月1或いは1ヵ月半に1回でも通院しているのを嫌悪しているので,それも一因です。通院を「ほっつき歩いている」「遊び歩いている」「御前のは怠けているだけで,治す気が無いから何時迄もダラダラ通っているんだ」と言われます)
お礼
御助言有難うございます。 医者もカウンセリングの先生も毎回容態を尋ねるのですが 何時の頃からか,答えた事に無反応だったり 今回の質問に書いた様な受け答えをされたり 全く関係の無い話題を振られ,此方の話を反らされたりして 自分でも訝しく思いながらも,反らされた方向で話を続け 時間だけが無為に過ぎていくのを段々苦痛に感じる様になりました。 笑顔で部屋から送り出された後,ぼろぼろ泣く事もしばしばです。 昨今マスコミで「スピリチュアル系」が大流行で 家でも母が毎日それ系統のTV番組を観ているのですが それも苦痛を増す一因になっています。 職場の配置転換(異動申請)については毎年提出しています。 「心身共に受傷した現場(状況も当時と大差無い)に居続けるのは 精神的に負担が多く,苦痛が強い為」と希望理由に書き 「病状を改善する為には異動するのが良い」との意見も添えていますが その度に上司には 「そんな一般論は当然判っているが, 通院している人間を異動させる事は出来ない。 完全に治ってからの話だ」 と一蹴されています。 母の事,無視出来ればどんなに楽か,とよく思います。 しかし独りで静かにしていたくても部屋まで追いかけて来るので (扉の取っ手を壊されているので,入り込みたい放題) なかなか無理です。 気を晴らそうと部屋で音楽を聴いたり読書をしようとしても 「電気代が無駄だ」と怒られます(家に相応の御金は入れています)。 独り暮らしをすれば私は楽になるでしょうが 母は身体障害を抱え(手帳有り), 痴呆の気があるので(未だ施設に入れる程ではありませんが) それが気掛かりなのです。 「信頼できる人は~探してみてください」 本当に今の苦痛を和らげてくれる人がいれば, どんなにか良いでしょう。 現在は「生きている限り何処までも絶望出来るものだ」 「人は他の誰の事を助けても,私の事を助ける位なら死んだ方がましだ」 という考えに囚われています。 その一方で,土日に診察してくれる病院が無いか探してもいます。 しかし,見つけても受診するのに躊躇してしまいます。 今迄の事が「運が無かった」のではなく 「私に対しては何処でも当たり前の事」と思い知るのが怖くて。