「千と千尋の神隠し」の「神隠し」タイトル
こんにちは。神隠しについて調べている者です。「千と千尋の神隠し」のタイトルについてどうしても分からないことがあります。
「千と千尋」については分かるのですが(たぶん)、ここで何故「神隠し」が使われているのかが疑問なのです。
というのも、「神隠し」というのは”隠す者”と”隠される人(ここでは千尋と両親)”、そして何より”残された人”がいて初めて認識されうるものだと思うのです。つまり気づく人間がいてはじめて「失踪」は成り立つということです。
しかし、この映画では「千尋がいなくなった!」と気づく人間はでてきません。視聴者を気づく側としているのでしょうか?
ここに来る前に下調べをした際、監督のインタビューにて「(映画中)八百万の神を迎えるのは女性のみであり、彼女らは娼婦・遊女を意味している」というような言葉を述べられている記事を拝見したのですが、確かに、元来神隠しに遭った女子或いは成人女性は大概の場合、遊女や売買の対象として連れ攫われた傾向があります。つまりこの作品は、表向き「働くこと」などいくつかのテーマを明示しながらも、少し裏を覗けば「売春、人攫いの現実」などの隠れたテーマも垣間見られるようです。
しかし、やはり私の中では「気づく者」の欠落した状況設定で監督が「神隠し」をタイトルにはめた理由がはっきりしません。
このタイトルについて何か監督の思想をご存じ或いは、この駄文を読んで下さった皆様の意見など、拝聴できましたら幸いです。よろしくお願い致します。乱文失礼致しました。皆さんに疲れ目用の目薬を差し上げたいです(笑)
最後に、お礼のお返事が遅くなってしまうかもしれませんこと先にお詫び申し上げます。