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野崎詣りは屋形船?
こんにちは(^ω^) 5月、大阪の野崎の観音様でお祭が行われます。歌謡曲にも、落語にも、歌舞伎にもなった『野崎詣り』です。 で、ここからが質問なのですが、歌謡曲の『野崎小唄』では♪野崎参りは 屋形船で参ろ♪と歌われています。 ところが、落語の『野崎詣り』-三代目春団治師匠のが完璧ですが-では、近辺のお百姓さんが普段は肥を運んでいる小船、剣先舟をきれいにしてお客を乗せることになっています。 しかし、落語の演出にはもう一種類あって、稽古屋の舟が川を下ってくる描写があるもの、これは初代春団治師のSP(を復刻したCD)で聞いたことがあります。稽古屋の団体さんが乗る舟ですから、屋形船とまでは行かなくても、かなり大きいのでしょう。 では、昔の野崎詣りには、どんな舟を使っていたのでしょうか? 歌舞伎-お染・久松のお芝居がありましたよね-などに詳しい方などから、当時の文献をご存知の方、どうぞご教示お願いいたします。
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http://plaza.rakuten.co.jp/kozaki/diary/200512010001/ に、寝屋川堤防の壁に描かれた野崎参りの屋形船の絵の写真があります。 もっとも、当時の絵の写しではなく、野崎小唄を絵にしただけのようにも思えます。 大東市のマンホールの蓋は、野崎詣りの舟の図案だそうです。 http://www.neyahoku.higashiosaka.osaka.jp/manholl.htm 河内名所図会のオリジナルは http://www.gakugei-pub.jp/judi/semina/s0106/setu/kd01.htm 屋形船も描かれていますから、最初の壁画も絵空事ではないようです。 懐の暖かい商人などは、屋形船をチャーターする、庶民は乗り合いで小舟を利用する、というような感じではありませんでしょうか。
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大東市のマンホールの蓋には「野崎詣り」の船がデザインされています。 http://www.neyahoku.higashiosaka.osaka.jp/manholl.htm これは大阪歴史博物館所蔵の「浪華勝概帖」が原図。 http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2006/suitoyuran/item-sub/suitoyuran-item232.html その他の船図 http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2006/suitoyuran/item-sub/suitoyuran-item12.html また、京橋駅~ツインビルの橋に、図の入ったパネルがあります。http://www.geocities.jp/general_sasaki/osaka-index-ni.htm 大阪市立海洋博物館では、海運を中心になにわの水運資料が見られます。 http://www.jikukan.or.jp/nani/3f.html とまあ、参詣者の予算に応じて大小どんな船でも仕立てられる訳です。 大名クラスになると二階建ての「川御座船」などというとんでもない豪華客船もあったようですが、さすがにこれで寝屋川は上れないですね。 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00200/contents/048.htm 川舟として一般的な客船は三十石船だったようで、 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00200/contents/047.htm 天神祭の船渡御図にあるように、「稽古屋の団体さん」でも30人以上乗れそうです。 http://www.tenjinsan.com/tjm.html
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ご回答ありがとうございました。 いろいろな資料を見せていただき、感謝しております。 下の方の回答と合わせて考えてみると、やはり小船が主で、 時には小ぶりの屋形船も有った、という感じかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 ご指摘の「河内名所図会」を見ますと、確かに 屋形船が描かれていますね。 おっしゃるように、乗り手の懐具合によって舟の種類が 決まったのでしょうね。