※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:身体バランスについて。)
サッカーと身体バランスについて
このQ&Aのポイント
日本の合気道は、絶対的安定性の武道とされており、その安定性の訓練は他のスポーツにも役立つ可能性がある。
サッカーでは身体バランスが重要であり、スピードや力強さを保つために安定性が必要。
合気道の動きは身体バランスの研究課題として考えられ、サッカーにも応用できる可能性がある。
日本の合気道は、それが武道であった頃「絶対的安定性」の武道と言われていました。 刃の下に飛び込み円形にまわりこみながら、こちらが安定していればなるほど手を添えただけで相手が吹っ飛ぶ技術につながります。
野犬が回り込んで襲ってきたと想定しただけでそれに対応して動こうとすれば、人間は簡単に転んでしまいますから、合気道はその逆のスピードの円の動きの中の安定性を武術として求め続けたのだと思います。
それが現代徒手格闘技にどのように通じるかは私には解りませんが、そのもともとの枝道での「安定性」の訓練は、むしろサッカーのようなものすごいスピードで安定性を保つ必要のあるスポーツにこそ役立つのではないかと思えてならない者なのです。
よくサッカーをテレビで見ている時解説の方が「身体バランス」という言葉を使われますが、それはそのへんのところをさして言われていることなのでしょうか?
若いころ、岩間の合気道場(発祥の地)で、道祖亡き後の道主としてその道場を守っておられた斉藤先生に一度お会い出来た者なのですが、その時先生は「この庭の花も大地にしっかり根を張って安定しているからそれそれの花を咲かせている。それと同じで人間も安定性を求めてこそ、心の花もそれぞれの花が咲く」といった動禅のようなお話をされていました。
もしそうならば、サッカーも同じだと思います。
私は枝道の動きは、同時にサッカーのボールを扱うという動きとマッチングさせても無駄な訓練になるとは思えないのです。手足を絶妙に動かす体操がありますが、それを発展させるなら、かえって足なら足の動きにも集中できるようになるはずです。 そこを棒とか枝でも攻防の動きをそれに置き換えて考えれば、そこは棒を持ったほうが、無駄な訓練に見えて いそがば回れの大きな力となると私は思います。
昔の合気道の動きはビデヲで研究できます。
もちろんそのままを取り入れるというのではなくて、身体バランスの研究課題の一つとして考えられるのではないだろうかと思うだけなのですが、
すばやい走りながらのフェイントの時にも、お互いの激しいぶつかり合いのときにも、その他さまざまな場面で、素人目にも「安定」さへ失われていなければ‥ という場面が多々あるように思えてならないものなのです。(安全にもつながりますし。)
サッカーを通じて日本人が日本武士道の精神をも復活させるならすばらしいですよね。
技術的には 素人のトンチンカンな質問かもしれませんが、日本のサッカーを愛されているジーコ監督に、是非、合気道で言う「絶対的安定性」と、サッカーで言われる「身体バランス」についてお伺いしたいと思っていました者なのです。
よろしくお願いいたします。
お礼
物事は極めてみれば、単純な言葉に集約される と言われています。 スポーツを極めた方の、回答は、まさに何かを感じさせるものがあるのですね。 「バランスは全ての基本であり」というところと「バランスと、技術及び神が授けてくれた才能を調和出来れば、目的(目標)達成に向けて我々に更なる力を与えてくれます。」というところが、 一言一言 自分の中には入り込んでくるものがありました。 知らない間に 自分の力ではなく生まれてきていたというのに、東洋人は神の概念が希薄です。 そのへんまるで根無し草みたいです。 だから其の分、はげしい求道の世界もあるのでしょうが、 私のような凡人の世界にては、それなりには真実を求めてはいてもまるで根無し草的などこか大地に軸をもってバランスをとれないところがあるんです。 単純な だからこそ、繰り返し読める監督の回答を何度も何度もかみしめたいと思っています。 なんと言ったらいいのか こういう時にどうお礼の言葉を言ったらいいのかわかりませんが、 ほんとうにありがとうございます。