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作文の書き方、教え方
私の小学校時代はいつも作文を書かされていたような気がします。 今はあまり作文を書く機会がないのでしょうか? 三年生の授業参観の国語を見たときに、段落ごとにまとめた紙をみながら1つの文(作文)にするということをしていました。 まとめ方(文の終わりの言葉)なども指導していましたが、自分の思いを考えを自分なりの言葉で表すような書き方は今はいけないのでしょうか? 周りにいる小学生に自分の考えを聞いてみると割りと答えてくれるのですが、それを文にして書いてもらおうとすると箇条書きで文になっていないし自分の考えも書けません。 私なりに作文を見直し(作文って重要なんじゃないかなって思うようになりました)、書かせてみようと思うのですが 時代のズレがあるようで二の足を踏んでいます。 いきなり「書いて」といっても書けないような気がするのです。 どうやって取り組めば入りやすいですか?
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テスト問題を発行している会社の編集部で国語科を担当しています。 昔は、国語の指導要領は、「読解(読むこと)」に重点が置かれていましたが、 現在は、「表現(話す・聞く・書くこと)」に重点が置かれるようになってきています。 ですから、作文を書く機会は増えこそすれ、減ってはいないと思います。 ただ、父兄の話をきくと、 「学校では誤字・脱字などをチェックしてくれない。ただ書かせるだけで、 ちゃんと指導しているのか?」などという声もよくきかれますが。 質問者様が授業参観でご覧になった、「段落ごとにまとめた紙」を使う方法は、 一つの出来事を、順序だてて、詳しく書くためには役に立つと思います。 うちの娘などもそうですが、子供は、小さいうちは、 「出来事の要点(今日、○○をしました。)+感想(楽しかったです)」 ということぐらいしか書けません。 三年生ぐらいになると、もう少し詳しく論理的に書かせるために、 指導が必要になってきます。 上で言う「楽しかったです」をできるだけ書かせずに、 起こった出来事をよく観察して、事実をわかりやすく文章に表現する、 という方法をとるという指導法がそろそろされる時期だと思います。 巷で行われている作文コンクールなどを見ても、小学生で上位入賞の作文は、 あまり「うれしかった」「楽しかった」などの感想は入れず、 事実を中心に、書き手の視点がよく伝わってくるものが選ばれているように思います。 私も、そのような作文の方がこちらにも伝わるし、書かせたいので、 娘には、できるだけ「事実」を書きなさい、と教えています。 「段落ごとに書く」というのと、「箇条書き」というのとでは、 基本的に違うと思います。 内容のまとまりを考えず、文と文とをつなげず、ただ並べるてあるだけなら、 「箇条書き」ですが、 内容のまとまりに沿って、段落を分けて、順序に沿って、接続語などもきちんと使って、 書いてあるのであれば、レベルの高い「文章」になると思います。 まずは、「段落」の意識を持たせることが、 レベルの高い作文を書くための一歩ではないかと私は考えています。
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- poohcats
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私は文章・手紙を書くことが好きなのですが、プロではないので参考までに書き込みします。(大学時代に国語教員の資格をとり、短歌俳句集を自費出版した経験はあるのでその経験から意見します。) >今はあまり作文を書く機会がないのでしょうか? そんなことはないと思います。 国語の授業を行う上で、「自分の考えを持ち、文章表現する力」は 大切なことだと思います。それは小学生のみならず。 (高校生になれば「小論文」という形で授業があったり受験時にも必要だったりすると思いますし。) しかし、授業参観で先生の行った授業は単に作文を書かせるだけではなく「読解力」(段落場面設定や登場人物の心情などを理解する)等も授業で取り組んでいたのでは?(実際見ていないので憶測でもうしわけないのですが・・)国語の授業では、読む・書く・表現・理解する等複数の教える項目があると思うのです。どこを重点的に授業するかによって 授業の組み立て(内容)も大きく変わってくると思います。箇条書きのほうがわかりやすい場合もありますし。 >自分の思いを考えを自分なりの言葉で表すような書き方は今はいけないのでしょうか? 自己表現は、昔よりむしろ重視されているのではないでしょうか。 しかし、「基礎力なくしてオリジナリティのある文章はかけないのでは?」&要約(まとめ方)する力も又、大切だと私は思います。 相手にとって読みやすく、自分の意見をきちんと理解してもらうには 文章の組み立て(起承転結とか・こういう事実があるから、こう思う等の立証)は大切だと思うからです。 私は子供の頃、入学祝を貰って「礼状」を親と一緒に書いたりした記憶があります。「ランドセル貰った!おじいちゃん大好き!!」という気持ちが芽生える→その時感じた心はきっと文章にも自然と現れると思います→そして親に教わりながら手紙の基本フォーマットを覚える。 (この自分の思いを相手に伝えたいという自発的意思から学びたいと思う気持ちが身につくのでは?)・・これはあくまで例ですが、お子様に興味・関心を持たせることが良いのではないでしょうか。 まずは意見を聞きだして、その答えに「なぜそう思ったの?」等と話を膨らませてみてはいかがでしょう。1つの話題からいろいろな意見が出れば「とりあえず作文に思ったことを書いてみよう」というふうに導入しやすいかもしれませんよ。
お礼
ありがとうございました。 いろいろと とても参考になりました。
まず、家庭の雰囲気でしょうね。 夫婦して、小説なんかを日常的に読んでいることが肝心じゃないですか? そして、その手の会話が夫婦の間で飛び交っていることが肝心なんじゃないでしょうか? そういう、文の読み書きが当たり前という家庭環境で育てることも必要。 我が子の能力なんて、<資質+環境+努力>ですからね。 さて、このような環境は当然だとしても、「書かせる」よりも「読み上手・聞き上手」。 どんな稚拙な作文であっても、読んでやる事、聞いてやる事。 とにもかくにも、文章の構成や技法に関して色々と教え指導するなんて考えないことです。 そんな事をすれば、子を作文嫌いにするようなものです。 我が子が書いたものを本気で読んでやるのが一番。 我が子が書いたものを本気で聞いてやるのが一番。 そうして、「よく書けたね~。パチパチ!」。 これで、3番目の要素である<努力>が引き出せると思います。 昔から言われているように、「好きこそ物の上手なれ」。 やっぱ、我が子をこの道へ誘うのが親の務め。 これで、質問者のお子さんの<資質>が開花すると思いますね。
お礼
ありがとうございました。 私はよく本を読みますが…あまり関心を示してはくれません。 本人は図鑑がメインで文章の本は読みません。 技法などの指導なんかは私には出来ませんが 思ったことを伝えられるようにはなってほしいです。
小学校時代、作文が大の苦手でした。 高校時代、とある書籍に感銘を受け、作家を志すようになりました。 大学時代、ネットを知り掲示板やチャットを楽しむようになりました。 やがて自身のHPを持ち、小説やコラムのようなものを載せるようになりました。 気がつけば、自身の考えを文章にするということがとても自然にできるようになっていました。 何事も最初のきっかけは興味だと思います。 強制されてするものは伸びません。 手始めに、子供たちの目を引きそうな作文、例えば質問者様ご自身の子供の頃のものなどを題材に、文章を書くということへの興味を与えてみてはいかがですか?
お礼
何をしたら興味をもってくれるか考えてみます。 ありがとうございました。
お礼
とても参考になりました。 コンクールやレベルなどは考えていませんでしたが >「楽しかったです」をできるだけ書かせずに、 起こった出来事をよく観察して、事実をわかりやすく文章に表現する、 という方法をとるという指導法がそろそろされる時期だと思います。 これは必要なことだなと感じました。 ありがとうございました。