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忘却とは 忘れ去る事なり、忘れずして・・・・

 みなさん こんにちは。  『 忘却とは忘れ去ることなり、 忘れずして忘却を誓こう心の悲しさよ。』  これは『君の名は』の名台詞ですよね。  この時代、この曲のように、 名台詞が伴う歌謡曲が他にあったでしょうか?。  現在でもこの他にも、 心に残る この当時の歌謡曲を何でも良いので教えて下さい。  質問初心者なので、お手柔らかにお願いいたします。  不本意ながら、 返信が遅れる場合があると思いますが宜しくお願いいたします。  返信は、必ずさせていただきます。  どうか、お手柔らかにお願いいたします。

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回答No.2

アンケートカテゴリーをなんとなく見ていたら師匠の質問を発見しました。 >現在でもこの他にも、 >心に残る この当時の歌謡曲を何でも良いので教えて下さい。 「君の名は」の時代をウィキペティアで調べると、1952のラジオドラマのようですね。  1966年代と1971年のものでもよろしいでしょうか?   私は、歌謡曲に全く詳しく無く、知っているものといったら、テレビで偶然見た有名な物だけなのですが、 心に残った歌謡曲と言ったら、 涙くんさよなら(歌:ジョニー・ティロットソン、浜口庫之助、坂本九、ジャニーズ、和田弘とマヒナスターズの競作) 『また逢う日まで』(1971.3.5)歌:尾崎紀世彦  作詞:阿久悠/作曲・編曲:筒美京平 この二つを、2,3年前に偶然テレビで見てからずっと心に残っています。 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B12869 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35680 私は、この60年代と、70年代の曲のメロディーが大好きです。

sarito78
質問者

お礼

 こんにちは。回答してくださり感謝します。  殿に発見されましたね~ あ、いえ、別にこの質問は発見されても良いんです。  私は、過去に不覚にも、 殿に発見されてほしくない質問をしたことがあります。  その後、殿に出会ったのですが、 あのときの質問は、忘却のごとく忘れ去りたい気持ちで一杯です。 (殿に発見されないか、ビクビクしています。) >私は、この60年代と、70年代の曲のメロディーが大好きです。  同感です。私も同じです。  ついでに、50→30年代、昭和一ケタ代の曲も聞いています。  殿は、今、アメリカにいらっしゃるのですか?、 だとしたら、フードファイターの小林尊をご存知でしょうか?。  彼、顎関節症になりましたよね、 私はこれまで、顎関節症を他人事だと思って見ていました。  しかし、現在、私自身が顎関節症にかかってしまいました。  これはかなり辛いものですね、 何をするのもおっくうで、PCからも遠ざかっています。  『 君の名は 』を わざわざ調べて下さったのですね、ありがとうございます。  ところで、君の名は と尋ねられると、 実は、私は『 78 』という文字が好きではないと答えます。  いずれ、また名前を変えるつもりです。  117 とか 177 を考えていたのですが、 これでは殿の真似になってしまうことに気が付きました。  なので、110 か 119 にする予定でいます。  プロフィールは、  北斗の拳と、サザエさんと、ドラエモンが好きです。  三河屋 「こんちは~ 三河屋で~す。」  ケンシロウ 「お前はもう死んでいる。」  ジュウザ 「ガマガエルにかけちまったようだな。」  ドラエモン 「違う! 僕はネコ型ロボットだ~。」  ジュウザ 「我が拳は我流、我流は無形。」  ケンシロウ 「ならば、奥義で答えよう、北斗龍撃虎!」  ドラエモン 「どこでも ドア~!」  サザエさん 「ご飯 抜き!」  完璧な あらすじですね、 いままで、このような あらすじがあったでしょうか?。  ってな感じです。  紹介して下さった二つの曲に合わせる訳ではありませんが、 今度、殿の前に私が現れるときには、119 か 110 です。  C’est un au-revoir ce n’est pas un adieu

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  • kantansi
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回答No.1

早稲田大学の第二校歌とも言われる「人生劇場」も長い長い名せりふがついています。 「あぁー哀れメリーさん、チンタッター、チンタッター」の名調子が耳に残ります。 http://www.w-ouen.com/ouenka/jinsei.html

sarito78
質問者

お礼

 こんにちは。  回答してくださり感謝します。  これは、本当に長い口上ですね~ 人生劇場を歌うことよりも、口上を言う方が大変です。  村田英雄は、人生劇場の歌詞を 自分の手に書いて歌っていたということです。  まさか、歌詞をまったく覚えていないということは ないと思いますが、彼にはこの口上は言えなかったでしょうね。  気になるのは、この口上が、何時生まれたかということです。  人生劇場が発表されたと同時に作られたものなら、この口上は その後に作られる歌謡曲に、大きな影響を及ぼしていると思います。 >逢うは別離の始めとか、  これは、たしか、近江敏郎の『 磯千鳥 』に応用されています。  (あくまで私の独断ですけれど・・・・・)  『 逢うは別れの始めとは~ 知らぬ私じゃないけれど 』と近江敏郎が歌っています。 >ああ歓楽は女の命にして、虚栄は女の真情であります。 >わずか七日ばかりの享楽を得んがため、哀れはかなくも美しき >乙女の貞操は犠牲に供せられたのであります。  これは、逆に昔の外国の 言い伝えを口上に用いたのではないでしょうか?。  ハンムラビ法典に出てくる、バビロンという 伝説の古代都市に、これとよく似た光景が繰り広げられています。 >哀れはかなくも  これも、近江敏郎の歌になっていますし、 松島うた子の『 マロニエの木陰で 』に使われています。 >ああ哀れメリーさんよ、チンタッター、チンタッタ。  この、メリーさんが誰なのかが、 数日前から、とっても気になってしょうがありません。 >月下の酒場の女にも水蓮の如き純情あり。そのとき、 >「我が胸の 燃ゆる思いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山」  『 湯の町エレジー 』と『 影を慕いて 』を連想します。  う~ん、やはり、 藤山一郎と近江敏郎の匂いがプンプンしてきます。  っていうか、さすがに、ここまでくると、 単なる私の憶測ではなく、ただの偶然ではすまされないと思います。 >今夜は今夜、明日は明日。  文字制限があるので、あまり書けませんが、 この早稲田の第二校歌はいろいろな歌謡曲にパクられています。  全部とは言いませんが、昭和の歌謡曲の源が この紹介してくださった口上にあったとは、実に以外でした。  本当にありがとうございました。