40代のおじさんです。
私も、よくそう感じることが多いです。特に、自分の考えや思いとは異なる意見をいわれるようなときに、ついそう感じてしまいます。
考えてみるに、自分の中にどこかで「自分は間違っているんじゃないか」「自分は失敗したんじゃないか」といった感情があって、何かを指摘されたときに、まず「自分の誤り」を自分で探そうとしてしまうのだと思うのですね。それがないとわかっても、どことなく「何か見落としがあるんじゃないか」と不安になる。そういう感じです。
もし、自分というものに自信があれば、そういう感じはないのでしょう。何を言われても「いや、自分はこれだけ考えた、これだけのことをした、これだけの力がある、だから少なくともこれこれこの件に関しては自分のやったこと、考えについて絶対の自信がある」と思えるようになれば、そんなふうに人の意見をすぐに責められていると感じることはないでしょう。
そう考え、そして思いました。
ならば、「責められている」と感じる人間であろう。少なくとも「自分は正しい、自分は絶対だ」と思うような人間ではないだけ、マシだ。
「自分に自信がない人」と「自分に自信がある人」ならば、私は迷わず前者を選びます。「常に、自分は間違っているかもしれないと思う人」と「常に、自分は正しいと思う人」なら、私は前者でいたいです。
自分に自信がない、自分が正しいのか常に迷う、悩む。私は、どちらかといえばそういう生き方が好きです。それで苦労することがあっても、それは甘んじて受ければいい、そう思います。というか、そう思うしかありません(笑)。
なぜか最近は、「明るくいこう!」「人生、前向きに!」「自分に自信を持て!」といったことばかりがよいこと、正しいことのようにいわれていますが、そうでしょうか。そのほうが得なこと、楽なことは多いでしょう。けれど、自分に無理やりそういう生き方を強いることが必ずしも正しい選択とは限りません。それに、この歳まで生きてくると、周りの「自信があふれている人間」というのが、どれもこれも胡散臭い人間である(笑)ことに薄々気がついてきたりします。
自分に自信が持てなくて結構。昨今見かける「自信はあるけど能力がない人間」などよりはるかに立派です。
お礼
ご回答ありがとうございました. >それがないとわかっても、どことなく「何か見落としがあるんじゃないか」と不安になる。そういう感じです。 まさにそのとおりです. 何か正しいことを言おうとするのですが,間違っていないことを言おうと努力するほど,不安が擡げてきて,口を噤んでしまいます. >周りの「自信があふれている人間」というのが、どれもこれも胡散臭い人間である. よく思います. 彼らは何かを切り捨てて,自分に都合の悪い部分を見ないようにしている気がするんです. だから僕はなるべくそれを切り捨てないようにして,その中で自信を持とうとしています. それをするほど現実の人間関係では窮地に追いやられるようで難しいのですが. しかし,僕は正しいことに執着し過ぎなのではないかと思います. 正しいことを言って行えるようになる自信よりも,もっと別のことに自信を見出していってもいいのかもしれませんね.