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心のケアについて・・・

最近、凶悪な犯罪や事故が特に多発していますが、その度に「今回の事件の被害者の心のケアを云々~」とTVでさかんに報道されています。 で、先日そのニュースを見ていた男性(60代)が、「最近の人間はまったく弱くなりやがって。ちょっとしたことぐらいで何が心のケアじゃ! そんなものは「心を鍛えてない温室育ちの激甘モヤシな証拠」じゃ!甘えてんじゃねえよ!ボケが!」と苛立っていました。 確かに昔だって凶悪事件は多発していましたし、今とは違って心の傷を第三者が積極的にフォローするようなことはなかったように私も記憶しています。だから「事が起きるたびにいちいち甘やかしていてはキリがない」という意見も私的には納得出来ないこともないです。 これについて、皆さんはどう思いますか??

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回答No.4

心のケアが必要になりすぎてしまっているのも、精神的骨子がなくなってしまったからだと思っています。 原因は教育理念にあると考えています。 戦後教育では教育理念が無くなり、人の精神的骨子となるべく道徳教育を否定してしまった結果、精神的に脆い人間が増えています。 自己形成を行うのに必要な教育をなさずに、表面上の心の教育や学力ばかりを指導することにより、精神的骨子がなく精神的に成熟しきれていない状態となっています。 (体に骨がなければ立つことが出来ないように、精神面にも骨子は必要です。心が傷つきやすい状態というのも骨子がないため、あるいみ豆腐みたいなものです。支柱がないために、潰れ易く壊れ易い状態) 60年代の男性というのは微妙な年代で、教育の切り替わり世代であり、年配の教員から指導を受けていた場合には古い世代の教育理念を受け継いでいます。 戦前の理念は全体主義色と戦争色では問題がありましたが、道徳教育などの面では今よりも優れており、精神的骨子を与えうる内容です。 また60年代の男性の親の世代は当然戦前の教育を受けており、家庭内でも道徳教育がなされていたはずです。 このため、この年代の人から見ればニュースで言われた内容は、妥当性を持っているのだと思われます。 (当然、現代においても家庭内や人間関係ないし書籍等から自らの精神的骨子を得る人も多数おります。) 精神的骨子があれば、たとえ心が傷ついても身体の怪我同様に自然治癒を期待できますが、精神的骨子が無い場合、心の傷つき方も単なる傷では無く潰れるに近いもので自然治癒を期待しにくく、第三者によるフォローが必須になってしまうのだと考えています。 「事が起きるたびにいちいち甘やかしていてはキリがない」に関しては、現実的対応としては仕方がないものであると考えています。 成人病と同じようなもので、今の人たちの多くは何らかの要因により精神的に傷つき易い状態になっています。 成人病対策として、病気にならないようにする対策が教育改革であるとするなら、既に病気になってしまった人に対する治療は外科的・内科的な治療を行わざるを得ません。 心の傷の積極的フォローもこれと同じ事で、傷ついてしまった状態を放置するわけにはいかないための処置と考えればよいのではないでしょうか。 成人病対策以上に対策には時間がかかり、教育改革による成果が出るのは60年近く必要になってきます。(3世代) これは明治期の全体主義的教育指針が社会に大きく影響を及ぼした昭和10年代までに60年強かかっており、戦後教育がスタートしてから今日までの期間も60年強とほぼ同じ期間を用している事からも明らかです。 抜本的解決が実現できるまでの期間は、対処療法的な心のケアを行う必要が多くなるのも致し方ないと考えています。

pjmatrix
質問者

お礼

長々と有難うございます。 貴方のおっしゃる通りだと思いました。 ささいな事件のたびにいちいち心のケアが必要とされる現代っていったい何なんでしょうか・・・?

その他の回答 (3)

  • ame830
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回答No.3

個人的には最近、過剰に心のケアって言い過ぎてると思います。 甘やかしすぎというか。 ただ、昔はフォローする人はいなかったですけど、それで丸く収まってたかと言うと、そうじゃないんですよ。何十年も前に起こった凶悪犯罪の後日談などを読むと、被害者家族は未だにトラウマを背負い続けてる方がたくさんいます。悪夢を毎日見るとかね。 戦争についても、実は兵士及び一般人のノイローゼ率って相当高いんですよ。戦後、生き残った兵士や一般人が精神に異常をきたして日常生活を営めなかったり異常犯罪が起こってしまったりと多々あったらしいです。これは中々語られないことですが。 決して昔の人の方が現代人より著しく強かったわけではないです。ただ苦しんでる人をほっといただけです。その人たちが自力で立ち直れたかというとそうでもないです。語られないだけで苦しみ続けた人がたくさんいます。 全くケアが無いよりは、過剰にケアを叫んだほうが良いのかもしれないです。 ただ、ちょっと教師に怒られたくらいで「心に傷を負いました…」と言い出すような人が増えています。またそんな主張が認められています。 それは行き過ぎだと思うのです。

pjmatrix
質問者

お礼

有難うございます。 >ただ、ちょっと教師に怒られたくらいで「心に傷を負いました…」と言い出すような人が増えています。またそんな主張が認められています。 それは行き過ぎだと思うのです。 まったくもって同感です。

  • bascavil
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回答No.2

私も前から不思議でした。 「心のケア」という空疎な言葉もそうでしたが、例えば学校なんかで事件が起こったとき、パニックになって泣き出したり吐いたりする人がいると聞き、その弱さが不気味でした。戦争中はこんなもんじゃないだろうにと。空襲にあっても昔の日本人は大丈夫だったのにと。 ところが最近、トラウマについて研究している医者の話を聞く機会があり、少し分かることがありました。 どうも、事件や事故の心の傷とかトラウマってのは、 ギャップと希少性で起こるらしいですよ。 つまり、みんなが戦争やってたり、空襲うけているような場合は、 そうでもないそうです。不思議なんですが。 ところが、平穏な日常が普通になっているときに、事故や事件に見舞われる、しかもそれが「自分だけ」とか「たくさんある中でうちのクラスだけ」という場合に、パニックになったり、深々と心に傷ができる人がいるらしいのです。 例えば貧乏なんかも、周囲がみんな貧乏なら心の傷になりませんよね。 貧乏が辛いのは、周囲との格差なんですね。 みんなが貧乏ならけっこう平気なのです。 つまり、60代の人の子供のころの貧乏より、 今の貧乏の方が辛いはずです。 どうも心の傷ってのは、そういうもんらしいです。 ギャップと希少性ですね。

pjmatrix
質問者

お礼

有難うございます。 確かに・・・そうかもそれませんね。 国内が戦時中で空襲続きであった時代は近隣の事故や事件で1人2人殺されるのなんていちいち気にしていられなかったですし、戦後の混乱期でもほとんど国民全員が貧乏で明日の食料確保に必死したからね。 近頃の日本だと、ひとりだけ貧困でいるという状態はつらいですよね。 でも・・・現実の殺人事件で心のケアが必要なほどに傷ついてる一方でゲーム(バーチャル)の世界での多数の殺人(暴力)行為は平気なんですね~。それってどこか矛盾してません?

  • karuki
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回答No.1

私もその男性とほぼ同じ意見です。 ちょっとしたことで心のケア心のケアと言い過ぎだと思います。 特に理解できないのは、被害者(又は加害者)と同じクラスだった というだけで心のケアが必要という報道を聞く時です。 事件(事故)現場に居合わせたというなら、百歩譲ってまだ分かりますが、 この場合はどう考えても他人事ですよね。いったい何のケアが必要 なんでしょうか? ニュースで心のケアという言葉を聞くたびに、「とりあえず心の ケアって言っとけば文句言われないだろう」みたいな感じがひしひし 伝わってきて、何だかなあ…って気持ちになります。

pjmatrix
質問者

お礼

有難うございます。 >特に理解できないのは、被害者(又は加害者)と同じクラスだった というだけで心のケアが必要という報道を聞く時です。 事件(事故)現場に居合わせたというなら、百歩譲ってまだ分かりますが、 この場合はどう考えても他人事ですよね。いったい何のケアが必要 なんでしょうか? 事件の被害者なら傷ついた心をケアしてもらえばいいとして、その場に居合わせなかった人までをもケアすることはないと思いますね。 もしそのケアまでも必要だと言うのであれば、完璧に過保護もいいトコです。 まさに、現代人はここまで弱くなってしまったのか・・・そう感じずにはいられません。 それと、加害者が犯行に及んでしまったいきさつ(理屈)ばかりが延々と報道されがちですが、被害者の立場や心情ももっと尊重するべきだと思います。